上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

トロイのヘレン

 北朝鮮の兵士が、軍事境界線を突破して、韓国側に亡命した、とのニュースは、なかなかに衝撃的でした。
 境界線には、南北の兵士が常駐して、銃を構えている訳ですから、そう簡単には突破はできない、と、誰しも予想出来ます。
 もし、突破を強行すれば、恐らく、99%、いや、100%、射殺される筈です。
 その境界線に24歳の若者が、突破を挑んだのです。
 いえ、ご安心下さい。
 私は、このブログに政治的なテーマを書くつもりはありません。
 匿名のブログですので、その内容は、コメントも、そうですが、一定の制限を掛けておくのが、常識というものです。
 さて、報道された映像を見ると、軍用車に乗り、70キロ位のスピードで、軍事境界線に向かっています。
 恐らく、車に乗ったまま、境界線を突破しようとしたと思います。
 ところが、車輪が溝に挟まってしまい、車は動かなくなったようです。
 暫くして、若者は、車の外に出て来ます。
 この時の心境は、想像を絶します。
 軍用車が動けなくなれば、もう絶体絶命ですよね。
 でも、この若者は、冷静に判断して、諦めなかったのですね。
 車から降りる姿も映像で、はっきりと確認出来ます。
 そうして、走りに走った姿も。
 思い切り開いた両脚が、一センチでも先に行くぞ、と言う強固な意志を示しています。 数発、報道に依れば、4発程度のようですが、被弾しながらも、懸命に走ったのですね。
 腕や足、骨盤に命中していたようです。それでも、走った、走ったのです。
 しかし、やがて力尽きて、軍事境界線から少し離れた所で倒れたようです。 
 でも、もう、そこは南側でしたので、韓国兵に救出され、若者は、一命を取り留めました。  
 24歳という、人生の全盛期での体力が、彼を救ったのです。
 ところで、この若者に、100%死ぬかも知れない、決死の境界線を突破させたのは、何だったのでしょうか。
 数日後、意識を取り戻した若者は、報道に依れば、病院のベットで、韓国のガールズグループや、その他、韓国の音楽を聴いているとの事。
 また、アメリカ映画は素晴らしいと、言ったそうです。
 それを聞いて、私は、やはり、そう言うことか、と、納得しました。
 政治体制に不満、それも、確かにあるでしょうが、それは、実は、個人的には大したことでは無いと思います。 
 若者が、国境線を突破したのは、やはり、美しい女に逢いたかった、美しい女を抱いてみたかった、と言う事だと思います。
 美しい韓国の女、映画で見たアメリカの金髪女、生きてる内に、彼女たちと会ってみたい、その思いこそが、彼をして、軍事境界線での、必死の疾走に駆り立てたのだと思います。
 でも、まあ、成功して本当に良かったと思います。
 懸念されてますが、これだけ被弾しているので、偽装脱北では無いと思います。 
 脱出に命を掛けた、この若者の人生に幸あれ、と祈りたいです。
 さて、話は変わり、人類の歴史は、ある意味、革命の連続だったと思います。 
 その革命を引き起こす原動力になったものは、やはり、上記のような若者の行動だった、と思います。 
 1789年、フランス国民は、バスティーユの監獄目指して、「俺たちにパンを」と、叫びながら行進したと、歴史家は伝えています。
 有名なフランス革命の勃発です。
 でも、私に言わせれば、歴史家の記述は、些か、不正確です。
「俺たちに、パンと若い女をよこせ!」
 貧困階級の若者達は、恐らく、正しくは、このように大声で叫んでいたと思います。
 パンも女も手に入らなければ、若者は、もう死ぬ気で、革命を起こす事でしょう。
 此処から言える事は、実は、若者の性欲こそが、人類の歴史を推し進めてきたとも言える、と思います。
 若者にとって、食欲と性欲は、大して変わりません。いや、全く同じものかも知れません。
 どちらも不足すれば、若者は、狂気に走る事になるでしょう。
 だから、若い男が、貴女の体を熱心に求めても、それは愛情とは、全く関係ありません。
 単に、性的に空腹だったという事だけです。
 お腹が減れば、どんな不味いものでも、ガツガツと食べますよね。それと同じです。
 不倫の場合は、雰囲気というソースもかかりますので、余計に美味しく思えて、男は、貪欲に求めるものです。
 そうして、何時までも、無料の食糧を確保しておきたいから、貴女に、それなりの贈り物を、愛情の印として、提供するのです。
 一方、女性の方も、その贈り物と、男の性的行為に満足しているんでしょうね。
 かくて、両者が満足してる内は、優雅な不倫が連綿と続く事になります。
 でも、不毛な人生ですから、その一時期、そんな時間があっても、いいんだろうと、私は思ってます。
 ところで、猿の集団でも、芋を洗ったりする、新しい習慣は、全て、若い猿から発生したと言われています。
 若い力こそが、その種に於ける、新しい行動や習慣への推進力になるのは、人間だけでは無さそうです。    
 でも、若者の性欲は、新しいものへの推進力になる一方、悲惨な面もありますね。
 戦争の度に、性的被害者になる女性達です。
 これは、今後も、戦争が起これば、避けられませんね。   
 世界、どの国の軍隊も同じ事です。
 何万年前の、原始の時代、戦争は、他の部族の女や食料が欲しくて、起きましたが、それは、深層心理に置いては、21世紀の、今も同じかも知れません。
 即ち、若者の性欲は、諸刃の剣なのです。
 そうそう、昔見た映画に、トロイのヘレンというのがあった。
 ご年配の方は、もしかしたら、ご記憶かと思う。
 ロッサナ・ポデスタだったかな、美女ヘレンを演じたのは。
 あのトロイ戦争も、実は、一人の女、ヘレンの取り合いで、スパルタとトロイ、両国の間で起きたのです。
 だから、美女一人で、戦争が起きてしまうのですね。
 格言曰く、戦争の陰に女あり、犯罪の陰に女あり、ってことだな。
 へそくりの陰に妻あり、何てのもあったかな。
 ついでに、不倫の陰に醜女あり、ってのも聞いた事があるよ。
<あの、上州無線さん、戦争が起きないようにする対策はありませんか?> 
<無い事は無い。ありますよ> 
<えっ、あるんですか。で、それはどのような方法ですか?>
<世界中の男を全て去勢すれば、戦争は起きなくなるよ>
<でも、それだと、人類が滅亡してしまいますが>
<だから、私だけは、去勢しないのだ。私の精液の中には、数億の精子があるから、私、一人で世界中の女を妊娠させる事が出来るのだよ>



俳句


思想より 女の方が 大切よ




公孫樹の葉

 霜月も、もう少しで終わりになります。
 確か、この晩秋の頃でした、高校の図書館で、かげろう日記を読んだのは。
 どうして晩秋だと覚えているかと言うと、窓際に大きな公孫樹の木が見えたのです。
 既に、木全体が黄色に染まり、時折の北風で、その葉が空中に舞っていました。
 虚空を舞う公孫樹の一葉は、まさに、私の高校生活、そのものを象徴していました。
 と言うのは、身体の具合が悪くて、高校生活、何もかも思うように行かなかったからです。
 その高校時代、赤い夕日が校舎を染めて♪♪と言う歌が流行っておりました。
 そう、あの歌の時代が、我が高校時代なのです。
 言われて、すぐに、あの歌か、と思い出す人は、大丈夫、惚け老人ではありません。
 あっ、失礼しました。
 この歌をご存じの方は、正しく私と、同世代の仲間と言う事ですね。
 歳は言わなくて、結構です。
 この歌でした。
 もう卒業式間近だった頃、クラスの誰かが言い出して、帰りの時間に、みんなで大声で、合唱しました。
 当時は、高校卒業式の日が、国立大一期校の試験日だったので、半数位は、もう卒業式に来られないのです。
 だから、逢えるのは、その日が最後と分かっていましたから、みんな、もう心を合わせて、歌を歌ったんですね。 
 色気無しの男子校でしたが、それでも、最後は、さすがに、感傷的になっていたのでしょう。
 いつもなら、すぐに意見がまとまるなんて事、とても、なかった筈です。
 クラス仲間何時までも♪♪で、終わりましたが、実際には、二度と逢う事は無かったです。
 あれから、幾星霜、〇〇年が過ぎ去りました。
 あの時、教室に居た紅顔の美少年達は、どんな人生を送ったのでしょう。
 恐らく、もう、クラスの2~3割位は、亡くなられた事と思います。 
 いや、かく言う私にだって、程なく、この人生の終焉が迫っています。
 やがて、天国に、みんな集まった時、今度は、何の歌を歌うのでしょうか。
 やれやれ、公孫樹の葉から、脱線しましたね。
 その、読んでいた、かげろう日記の中に、床離れ(とこばなれ)と言う言葉があったのです。 
 なかなかに、奥ゆかしい響きのある言葉です。
 さすが、典雅な平安朝です。
 さて、この、かげろう日記の作者は、すごい美人だったと伝えられています。
 彼女は、19歳の時、藤原兼家の妻になります。
 この時の彼女を、一目で良いから、見たかったものです。  
 一番綺麗な年頃で、もし、十二単を着ていたら、そのまま絵になっていた事と思います。  
 でも、結婚生活は、19年で終わりを告げるのです。
 まだ、38歳です。
 老妻と比べたら、ピチピチの若さです。何と勿体ない。
 それなのに、夫兼家は、来なくなってしまったのです。
 兼家と言うのは、例の藤原氏の一族で、当時、権力の絶頂期ですから、女は、いくらでも、手に入れる事が出来たんでしょう。
 一声上げれば、間違いなく、1000人の美女が応募して来たと思います。
 分かりますか、何時の時代も、金が無いとね、女にはモテないんですよ。
 それで、応募者の中から、きっと、もっと若い、名器の女を見つけたんだろうと思います。
 で、この夫が来なくなる事を、床離れと呼んだのです。
 床離れと宣言すれば、それで、もう男は女の元に通わなくなり、愛の生活は、お終いなのです。
 実に、男にとって、天国のような言葉、開けゴマと同じです。
 でも、兼家はセックスはしないけど、彼女に対して、心の繋がりは残しているのです。
 だから、その後も、兼家は手紙をよこしたり、裁縫などを頼んでくるのです。
 彼女と言う、人間自体を嫌いになったと言うのではないんですね。
 この辺が、何か曖昧模糊としていますが、要するに、男の雄の部分ですね。
 純粋だった高校生の時、どうして、一人の女をずっと、愛さないのかなと思いました。
 それで、この床離れと言う言葉が、心の奥底にずっと、残っていました。
 先日、久し振りに、埃を払いながら取り出して、このかげろう日記を、一寸、読んでみました。
 高校生の時とは違って、まあ、これが男というものだな、と思いました。
 それが良いも悪いも、どちらにしろ、それが現実なのです。
 かげろう日記の本を、再び、書棚に戻す時、私は、ふと思いました。
 いやいや、平安朝でなく、今の時代に生まれて、ホント良かったな、と。
 と言うのは、あの時代、運良く、富裕階級に生まれていれば、兼家みたいな、楽しい、ピチピチギャル三昧が出来たでしょう。
 そうではなくて、貧困階級、農民の下層階級に生まれていたら、私は、死ぬまで、若い女の綺麗な身体を見る事ですらも、到底、出来なかった筈です。
 貧乏百姓の長男以下は、当てもなく、放浪するのが関の山だったと思います。 
 やがて、都で乞食になったり、気の強いものは、盗賊になったり、だったと思います。
 私なんか、気が優しいから、多分、乞食の中でも、一番下の部類でしょう。
 それで、乞食の親分から、命令されて、近くの百姓の家から、綺麗な若い娘を拉致して来い、なんて言われて居たと思います。
 ある日、女を盗みに行って、百姓の返り討ちに遭い、殺されて、お終い、そんなとこだったでしょう。
 当時、貧困階級が、女を手に入れるには、この略奪しか、方法が無かったんです。
<あの、若い女の乞食は居なかったのですか?>
 だから、若い女の乞食は、いないんですよ。
 若い女の乞食は、洗って磨けば、そもそも、身体は立派な女ですから、需要が数多、あったのです。
 だから、諺にもあるでしょ、女の乞食はいないって。
 さてさて、と言う事で、昭和の世に生まれて、ホント幸せでした。
<ならば、上州無線さん、富裕階級なら、平安の昔に、生まれたかったですか?>
<逆に聞きたいね、いいかね、床離れされて、悲しむ女を山盛り作って、あなたは、幸せを感じますか?>



俳句


床離れ 便利な言葉 羨まし



山麓の雨

 今朝は、朝雨です。
 ベランダの手摺りが雨で光っています。
 晩秋の雨は、一雨毎に冬の息吹をもたらしてくれます。
 これから、赤城山麓は、永い冬の衣を纏うのです。
 一葉散って、木枯らしを呼び、万葉は天を目指して、乱舞します。
 微かな冬の声に、遙か青春の思い出が蘇って来ます。
 我が家は,標高差で前橋市街と200メートル程度ですが、それでも、市街と比べて、かなり気候感は異なります。
 始めて、この地に引っ越して来た時、確か六月頃だったと思いますが、何か、観光地の高原に居るような気持ちになったものです。
 暑苦しい前橋の街とは違って、爽やかな高原の空気、それと、どこからともなく聞こえて来る、ウグイスやカッコウの鳴き声、まさに、山麓の高原ホテルでした。
 まあ、我が家の作り自体は、豪華なホテルとは大違いでしたが。 
 それが、数年経つと、近辺に人家が林立し、道は舗装されたものですから、夏になると、風通しは悪くなり、道路は太陽で焼けて、蒸し暑くなり、もう、来た時の高原ホテルは、姿を消してしまいました。
 それと、最初は、眼下に広がる、関東平野の、素晴らしい夜景が見えたものですが、前方に建物が出来ると、残念ながら、その一部が見えなくなりました。 
 この世は、何でも、変化、万物流転なんですね。
 さて、昨夜、書斎で本を読んでいたら、老妻が飛び込んで来ました。
「トイレの水道が止まらないよ」
 それではと、一階のトイレに行くと、もう、流れ出た水が、床にも貯まっていました。
 タンク上部から手洗い用の水が噴き出したままです。それが止まらないのです。
 すぐに、上蓋を開けて見ました。
 すると、水の流出を止めるシャッターに、何か物が挟まっています。これが原因です。
 手を水底に差し込んで、シャッターの下から、取り出すと、それはゴミのフィルターでした。 
 シャッターが閉まらないので、水がタンクに貯まらない、それでフロートが持ち上がらない、なので水の噴き出しが止まらない、と言う事だったのです。
 よく聞いて見ると、フィルターにゴミが貯まっていたので、老妻が掃除しようとして、強く擦ったようです。
 老妻の、いつもの豪腕ですから、フィルターのプラスチック製ソケットが耐えきれず、砕けてしまったのです。  
 これはプラスチック製のソケットを交換するしか方法が無いです。
 でも、こんなもの、建築屋に頼んでいたら、一ヶ月もかかってしまいます。
 アホらしいので、私が、ステンレスの針金をソケットに通して、何とか補修しました。
 接着剤が効かないプラスチックだったのです。 
 たった、これだけの事ですが、2時間もかかってしまいました。
 更に、一昨日は、老妻の部屋のエアコン、利きが悪いというので見たら、ゴミが一杯詰まっていました。
 このエアコン、高機能すぎて、掃除も簡単にできません。
 一応、自動クリーニングと謳ってありますが、どうも、それだけでは綺麗にならないようです。
 製作社名は伏せますが、家庭用としては、この製品、駄目だと思います。
 第一級アマチュア無線技士の私にしても、奥のフィルターまで取り出す事は、説明書だけでは、不可能でした。余りにも複雑すぎます。
 これに比べて、二階にある私の大容量エアコンは、構造が簡単で、掃除も楽です。いや、年間、掃除を碌にしなくても、ゴミが詰まる事はありません。
 何か工場用みたいで、フィルターの目が粗く、少々のゴミは無審査で通過させています。でも、この位の方が家庭用としては、使いやすいです。
 それで、老妻のエアコンは、掃除をするのに半日かかりました。   
 次は、乾燥機です。
 半月ほど前でしたか、独立式の乾燥機から,異音がするというのです。
 乾燥機自体は、すごく簡単な構造ですから、中を見れば、原因は分かると思いました。
 しかし、パネルを開けるのは、デカイので大仕事になります。
 出来れば、簡単に済ませたいものです。そこで、小窓のパネルを開けて、様子を見ました。
 動作中に、確かに、シューというような音がしています。
 摺動部分の故障か、コンデンサーのショートかも知れないと思いました。
 コンデンサーであれば、その内に自然治癒するかも、と思いました。
 それで、少し放置する事にしました。
 老妻には、音がしたら、使用を停止する事にして、そのまま乾燥機を使うようにと、言いました。
 そしたら、1週間位して、音がしなくなりました。
 パネルを開けて、大修理をする必要が無くなったので、ホッとしました。
 でも、本当に壊れたら、もう修理では無くて、買うつもりでした。 
 今は、低価格で買えますから。  
 それよりも、修理に沢山の時間を掛ければ、その貴重な時間の方が勿体ないです。
 ところで、以前にも少し書いたかと思いますが、私が居なくなった時、老妻は、このような問題に、どのように対処するのでしょうか。
 本当に、気が重くなります。
 さて、今朝は、木曜日、ゴミ出しの日でした。
 老妻は、6時頃起きて、いつもの様にゴミを出しに行きました。
 私が、台所で朝飯を食べていると、食卓の側に来て、「今日も一番だったよ」と上機嫌です。
 朝食後、二階の書斎で休んでいたら、老妻が走り込んで来ました。
「今日は、祝日でゴミ出しは無かった!」
 道理で、ゴミ出しが、一番の訳です。   
 事前に予定表をよく見れば、すぐ分かる事ですが、そんな事、老妻は、した事は無いです。  
 それで、折角、出したゴミを、再び、回収しに行ったら、ゴミが一つだけ、置いてあったそうです。
「あたしみたいに、祝日に出す人が、居るんだねえ」
 同じ仲間を発見して、老妻は、とても嬉しそうでした。
 ともかく、生まれつき、本は嫌いで、本を読む事は、学生の時でも無かったそうです。
 運動選手として、早く走る事の習性が、生活の中にも優先されて、褒めて言えば、拙速を尊んでいるようです。
 まあ、でも、拙速の問題点は、少なくないですね。
 あと、女にしては、力が有り過ぎます。でも、この力は、女性の運動競技者には必須だったのです。
 とは言え、その老妻の、余り物事を深く考えない、大雑把な性格で、私の人生は、自由で、細かく干渉される事無く、平和に過ごして来られました。
 その恩恵は、実に、有り難い事でした。
 窓の外が明るくなって来ました。
 雨は止んで晴れるようです。
 朝雨と女の腕まくりは、本当なんですね。古人の知恵は、大したものです。
 と言う事で、今日のブログは、「拙速」で終わりです。



俳句


朝雨に 赤き傘さし 歩く女(ひと)






平城山の歌 続き

 さて、北見志保子と浜忠次郎の二人は目出度く結婚しました。
 二人は幸せになりましたが、夫の橋田東声の事が気にかかります。
 橋田東声も、同時に、好きな人が出来て、その人と幸せになるのであれば、私も、この話は、ハッピーエンドだと思うのです。
 でも、世の恋愛、不倫で、双方が同時に、新しい愛人を作って、円満に別れることが出来た、と言うのは、余り、いや、殆ど聞いたことがありません。
 感情の差が存在して、泥仕合になるのが、普通です。
 どちらかが、別れることに不満だからです。
 さて、橋田東声は、どのような行動を取ったのでしょうか。
 何しろ、幼なじみの恋女房ですから、なかなか諦めきれなかったと思います。
 その苦痛たるや、私も、ほんの少しですが、解るような気がします。
 単なる別れでは無くて、元妻が、新しい恋人、好きな男を作って去って行くのですから、この苦痛は、これ以上のものは無く、また喩えるものも無いでしょう。
 でも、橋田東声は、実に、立派な人格者だったようです。
 と言うのは、大正時代ですから、姦通罪も厳然と存在していました。
 姦通罪? 今の人は、ご存じないと思います。
 姦通罪というのは、その名前の通り、妻が、浮気をした時、その相手の男も含めて、夫が告訴すれば、二人とも刑務所に入れられるというものです。 
 但し、妻の立場からの、同様の法律はありません。
 実に、男のための、最高に素晴らしい法律だったのです。
 日本では、1947年の新憲法発布で廃止となりましたが、世界の多くの国では、厳然と今も有効です。特に、イスラムなど宗教色の強い国では、姦通は死罪となりますから、相当、厳しい法律です。
 江戸時代も同じでしたから、近松がよく書いた心中もの、不倫をした二人は、心中をするしか、一緒になる方法は無かったのです。
 ですけれど、資料を見る限りでは、橋田東声は、二人を告訴しておりません。
 告訴し、二人を牢屋に入れることは、確実に出来たと思います。
 あの、有名な北原白秋も、隣の奥さんと不倫をして、短い間でしたが、牢屋に入ってます。ですから、姦通罪は、戦前、珍しくもなく適用されていたのです。
 橋田東声は、本当に心優しき男だったんですね。
 と言うか、小さい頃からの恋人でしたから、嫌いには成れなかったのでしょう。
 実に辛いなあ、これは死ぬほどに辛かったと思います。
 歌詠みでもあった、東声は、以下の歌を残しています。
「花咲かばかへるといいし汝まつとしら菊の花けさ咲きそめつ」
「逢うべくはただに待ちをるわがために花咲かずやと問ひこそすれ吾妹」
「かりそめにちぎりしことと思はねど去りゆく心つなぐすべなし」
 最後まで、妻志保子のことを好きだったと思われます。
 三首目で、「去りゆく心つなぐすべなし」と、歌っているのは、まさに、悲痛の極みです。
 こうして、資料を見てくると、男である私の目には、どうも、北見志保子は、余り、良い人では無かったように見えます。
 幾つかの資料を見ますと、貧困家庭に生まれた志保子は、かなりの野心家でもあったようです。
 いつかは、周りのものを見返してやりたい、と言う気持ちが旺盛だったようです。
 そこから、邪推すると、もしかしたら、志保子は有名になりたいがために、不倫という行動を取った可能性も捨てきれません。
 相手は富裕な貿易商の息子ですから、どう転んでも、不利はありません。
 不倫の話題で、世間に出れば、歌人としての名声も高めることも出来ます。
 歌人であれば、恋愛の一つや二つ、少しも支障になることも無かったでしょう。
 事実、志保子は、東声との別れをテーマにした小説すらも書いています。
 でも、それは、大した反響は無かった。
 さて、夫である東声の、その後ですが、最後は、東京外国語大学の教授になりました。
 恐らくは、後妻をもらったと思いますが、その事の資料は無かったです。
 心に癒えぬ傷を生涯持ち続けて、人生を終わった訳ですが、まあ、仕方ない。
 これは、仕方ないとしか、言いようがありません。
 でも、幸せな人生を送ったと信じたいです。
 北見志保子は、昭和30年、70歳で亡くなります。
 約30年間の結婚生活ですが、一般人なので、当然ですが、特に資料はありません。
 さて、結婚なるものですが、一般に、女性が年下の場合が多いのは、勿論、生殖関係もありますが、やはり、加齢による容姿の衰えが、男性の場合よりも、早く顕著だからでしょう。
 これは、美しい存在である女性は、どうしても、その期間が短いのは、仕方のない事でもあります。
 まさに、女性は、花の命は短かくて、なのです。
 と言う事で、夫婦の年の差は、若い内は、何も問題もないと思います。でも、歳を取るにつれて、多分、問題が生じて来ると思います。
 それは、上で述べたように、同じ歳でも、女性の方が早く老けてしまうからです。
 女性は、歳を取ると、性欲衰退し、身体的にセックスも円滑に出来なくなり、若い夫の希望に応えられなくなると思います。
 此処から、若い男の不満が蓄積し、若い夫は、それなりの行動を、必ずや、取るものと思います。 
 その辺から生じる物語は、浜忠次郎も情熱的な男のようですから、恐らくは、あったと思われます。
 また、忠次郎とすれば、自分の子は、残せない訳ですから、それは、一時の熱情が覚めた後に、大きな問題になったかも知れません。
 まあ、妾が自由な時代でしたから、自分の子どもの問題には、それなりの方策はあったものと思われます。
 格言としての「子無きは去れ」と言う言葉が、結婚に於ける、子どもの有無の重要性を物語っていますね。
 これは、男側から見た思想ですが、やはり雄としての本能、跡継ぎが欲しいと言う気持ちは、簡単には否定出来るものではありません。
 まあ、現代では、例え、妊娠出来ず、子無きであっても、離婚する夫婦は、昔ほどは多くないと思いますが。
 一方、志保子としては、ともかく、好きな男と一緒になれたのですから、多少の、夫の浮気はあったとしても、全然、後悔は無かったでしょう。
 ところで、志保子は、その後、東声の事を思い出す事はあったのでしょうか。
 それは、情感を持って思い出す事は、無かったと思います。 
 新しい恋人が出来れば、人は、前の恋人の事なんか、どうだって良いのです。
 さて、平城山の歌ですが、これは、平井康三郎氏の名曲のお陰か、今日まで残っております。
 しかし、平城山以外では、志保子の歌を知る人は、もう少ないのでは、いや、殆ど知られていないのでは無いかと思います。
 それと、この平城山の歌ですが、成立の由来について、言われるほどの事は無いように思えます。
 磐之媛の仁徳天皇への思いと言う事ですが、詩人や歌人は、そんな事を踏まえずに、自由に作品を作るものと思います。
 どうも、後世の人による、文学的研究の、し過ぎだと私は思います。
 また、この歌についての、色んな意見がありますが、歌は、研究するものでは無くて、味わうものと言うのが、私の立場です。
 短歌は、物理や数学では無いので、多少の矛盾は、あっても当然だと思います。
 有名小説のモデル探しと同じ事で、殆ど意味はないと思います。
 縷々、私的感想を述べてきましたが、まあ、男と女、これからも、同じ物語が繰り返される事と思います。
 恋愛は、ただの本能であり、いつかは、時が経てば、必ず、覚めるものです。
 もう、死ぬまで、朝から晩まで、熱愛という、恋人は、さすがに居ないでしょう。
 第一、そうだとすれば、忽ち、過労で、二人とも、あの世行きになります。
 だから、重要な事は、熱愛が覚めた時、二人の間に、何が残るのか、と言う事だと思います。
 恋が消えた時、何も残らなければ、恐らくは、離婚になりますよね。
 細やかでも、穏やかな愛情が残れば、もしかすると、それが夫婦愛、と言うものかも知れません。
 その残ったものが、人生の最後で、伴侶を看取る愛情に、なるんだと思います。
 ところでですね、私は、捨てられる男の役だけは、到底、ご免だなあ。
 そこで、世の男性諸氏に助言するとすれば、余り情熱的な美人は、妻には不向きだという事です。 
 そのような美人は、生涯、また、必ずや、不倫を繰り返すと思うからです。
 だから、男性諸氏は、美人は止めて、出来るだけ、不美人を妻にしましょう。
 さすれば、男性諸氏に於いて、心穏やかなる日々を送れる事、間違いなしです。
 一方、私は、その残った美人を、すべて集めて、私の愛人に致します。
 これにより、世の中、万事、万人、幸せに包まれる事になります。
 めでたし、めでたし。


 追記
 日本では、姦通罪は廃止されましたが、ならば、好き放題に不倫が出来るか、と言うと、それは,一寸、難しい所です。
 例えば、貴女が、隣のイケメン夫と,不倫関係なったとします。
 それから、不倫を三年ほど楽しんで、もう飽きたので、不倫を止めようと思った瞬間、隣の奥さんから、損害賠償で2000万円をよこせ、と言う民事訴訟を起こされる可能性は十分あります。
 これは精神的苦痛を与えた事に対する、慰謝料と言うものです。
 最終的に、どの位の金額になるかは、裁判次第です。 
 ですから、今の時代であっても、全く処罰される事無く、自由に不倫出来るか、と言うと、そうでも無いのです。
 どうぞ、お気を付けて遊んで下さいね。

  


俳句


利根川と 恋の流れは 止められぬ





平城山の歌

 先日、沢山のブログを見ていたら、その中に、平城山の記事が載っていた。
 確か、中学の時、音楽教科書の巻末資料にあった曲である。
 思い出すと、音楽の先生が、一度位は、歌ってくれたかも知れない。 
 とても、しんみりした、哀情溢れる歌だ。
 高校に入学して、ある時、図書館で、偶然、平城山の作詞者、北見志保子について知った。
 その時、北見志保子についての事実を知り、驚いたものだ。
 あとは、大学生の時、友達から借りたCDか何かで、聞いた事があったと思う。
 それ以後は、この平城山の曲に、然したる記憶は無い。
 随分と、久々に、平城山の文字に邂逅したので、無性に懐かしくなり、改めて、作詞者の北見志保子について、調べてみたい気持ちになった。
 歌詞は以下の通り。作曲は平井康三郎。
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 一番
  人恋ふは悲しきものと
  平城山(ならやま)に
  もとほり来つつ
  たえ難(がた)かりき
 二番
  古(いにし)へも夫(つま)に恋ひつつ
  越へしとふ
  平城山の路に
  涙おとしぬ
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 歌詞の元は、短歌だから、何とか分かると思うが、簡単な口語訳を以下に。
「人を恋することは悲しい。平城山近くを彷徨っていますが、堪えがたいです。昔も夫を恋しいと思って平城山を越えた女性がいました。その平城山に私も涙を落としたことだ」
 ところで、北見志保子とは、何者なのか。
 色んな資料を総合すると、以下のようである。
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 「北見志保子、明治18年(1885)、高知県宿毛(すくも)村生まれ。
 本名は川島あさ子。昭和30年(1955)、70歳で没。
 志保子は、幼なじみの橋田東声と結婚。その後、東声の弟子で、12歳年下の浜忠次郎と交際。これにより、忠治郎は、親族によって強制的にフランスへ。
 平城山の歌は、志保子が奈良の磐之媛陵周辺で、忠治郎への思いを詠んだもの。
 磐之媛の仁徳天皇への思いをイメージして詠んだと言われます。
 その後、橋田東声との離婚成立、浜忠次郎と再婚した。」
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 これに依れば、志保子は、12歳年下の男と、不倫という事になります。
 やはり、12歳も年下の若い男の身体に惹かれたんでしょうかね。
 いやいや、きっと、押さえ難き純愛だったんでしょうね。
 ところが、これ以前にも、志保子は、純愛を経験しております。 
 それと言うのは、最初の夫、橋田東声とは幼なじみで、ずっと、付き合っていました。
 その後、志保子は、大学に入学した東声のために小学校教員をして学資を稼いだそうです。
 この時の二人は、生活は苦しくとも、心は充実した、とても幸せな日々だったと思います。
 そうして、東声が東京帝国大学を卒業すると同時に、結婚しました。
 何と言う、幸せな人生でしょうか。
 これ以上の幸せがあるでしょうか。
 一番好きな人と、結ばれるというのは、なかなかありませんからね。
 志保子の母親も、実は、二人の結婚に応援してくれたのですが、それは省略します。
 こんなに幸せな日々だったのに、どうして、いとも簡単に崩壊してしまったのでしょうか。
 この辺からは、筆者の私も、些か、心が痛みます。
 さて、この上ない、幸せの日々に、予想外の出逢いが訪れたのです。 
 12歳年下の浜忠次郎と言う、若き男の登場です。
 写真で見ると、志保子は、なかなか、いい女ですので、此処は、忠次郎が、強引に口説いたものと思います。
 豊かな貿易商の息子で、富裕な生活をしていた訳ですから、忠次郎は、明治の時代、女には不自由していなかったと思われます。  
 それなのに、選りに選って、12歳も年上の女に近づいたのです。
 間違いなく、志保子に、忠次郎を惹きつける強烈な、女としての魅力があったんだろうと思います。
 12歳も年上ですから、並の女の魅力では、若い男は寄って来なかったと思います。
 それが来たと言うのは、我が畏友、青井に言わせれば、「その女は、空前の名器に間違いない」と言ったと思います。
 加えて、志保子には、精神的にも男を癒やす、何かを備えていたものと思われます。
 でも、そんな結婚が、今はともかく、あの時代、すんなり行く筈がありません。
 明治の時代、しかも不倫。おまけに、12歳も年上の女でバツイチ。
 これでは、男の両親も、当然のことながら、納得出来ないでしょう。
 貿易商の父親は、息子をフランスに追い払い、二人を引き離しました。当然ですね。
 まあ、フランスで、暫く、キュッと括れのある、金髪女を抱いていれば、志保子のことは忘れるだろうとの目算ですね。
 でも、こう言った事情だと、二人を引き離すことは無意味です。
 困難になれば、なるほどに、燃えるのが、世の恋情というものですから。 
 そうして、とうとう父親も諦めたんですね。  
 大正14年の春、若き男、浜忠次郎は帰国します。
 二人の愛情が勝った訳です。こうして、めでたし、めでたし、となりました。
 この時、志保子40歳、忠次郎28歳です。
 うーん、現代ですら、この年齢の組み合わせには、かなりの抵抗があるんでは無いでしょうか。
 私が忠治郎の父親なら、フランスでは無くて、スウェーデン辺りにやったと思います。
 あの北国なら、間違いなく、ウルトラ級の美人は居る筈ですから。
 まあ、ともかく、これで二人は結婚出来ました。
 でも、私には、素直に、めでたし、と言えない気持ちがあります。
 それは、やはり、他の人間に苦しみを与えた末に、獲得した幸せですからね。
 他人を踏みつけて、その上に居座る幸せとは、どんな味がするものでしょうか。



 以下次回




俳句


年上の 女求めて 金わらじ