上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

思い出すままに

 昨日、書斎の窓から、音も無く降る雪を見て、雪の歌と同時に、小さかった頃の歌も思い出しました。
 懐かしさが込み上げて来て、子どもの頃、聞いた歌の事を書いてみたくなりました。
 五歳の頃だったと思いますが、私は第二保育園に入りました。
 家から歩くと、幼児の足で、15分位の所にありました。
 最初は、慣れず、泣いて居た事もあったようですが、一緒に入園した友達よりも、ずっと早く、すぐに順応した、と、母から、聞いた事があります。 
 隣の敷地が養行寺と言う、大きな、お寺さんで、その境内に入り込んで、よく遊んだものです。
 今思うと、墓地で遊んでいた訳ですが、その墓石は、幼児から見ると、楽しい遊具だったようです。
 昔、撮った卒園写真を見ると、当時の園児達を思い出します。
 もう67年前の事ですが、五歳児と言うのは、すごい記憶力があるんですね。 
 坂井先生と言う、若くて綺麗な保母さんが居ましたが、既に、好きと言う感情を抱いていました。
 勿論、性の対象と考えていた訳ではありません。
 幼児でも、さすが男、女性に対する恋の気持ちを持っていたんです。
 恐らく、坂井先生、もう亡くなられたでしょうね。
 その保育園時代の歌と言うと、まず、「春よ来い」です。
 勿論、意味も分からず、歌っていました。
 みいちゃんと言うのは、ごく小さな児ですが、それも、よく分かっていなかったです。
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 「春よ来い」
 春よ来い 早く来い
 あるきはじめた みいちゃんが
 赤い鼻緒の じょじょはいて
 おんもへ出たいと 待っている
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 この歌が作られたのは、大正時代後期で、作詞は、相馬御風(1883-1950)、「都の西北」も作詞しています。作曲は、「鯉のぼり」等で知られる、弘田龍太郎(1892-1952)。
 この歌を思い出すと、保育園の体育室で、みんなして、歌っていた時を思い出します。
 そこでは、運動したり、昼寝もしました。
 昼寝ですよ、と言われても、私だけは、どうしても寝る事は出来ませんでした。
 仕方ないので、先生が廻って来ると、その時だけ、寝た振りをしていました。
 五歳児でも、保母さんに対する戦略を考えていたのですね。
 不思議と、同じ歳の女の子に対する、興味は、全く、ええ、何も無かったです。
 保母の坂井先生には、好きと言う感情があったのですが。
 大人が考える以上に、五歳児でも、複雑な感情構造を持っているようです。
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 「ないしょ話」
 ないしょ ないしょ
 ないしょの話は あのねのね
 にこにこにっこり ね 母ちゃん
 お耳へこっそり あのねのね
 坊やのおねがい きいてよね 
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 この歌は、1939年に作られ、作詞は結城よしを、作曲は山口保治です。
 ないしょ、と言うのが、当時の私、よく発音出来なかったのを記憶しています。
 最初にアクセントを置けなかったように思います。
 結城よしを氏は、19歳でこの詩を作ったそうですが、その五年後、24歳、小倉陸軍病院で、亡くなっています。
 遺言は、「私の童謡集を出版して下さい」だったそうです。
 戦争が無ければ、沢山の歌を作れたのに。可哀想になあ。 
 1944年と言えば、もう終戦直前、実に、気の毒です。
 もしかしたら、彼は、戦地、南太平洋の島で、病気になって、本国に送還されたのかも知れませんね。
 祖国を守る戦争とは言え、多くの若者が亡くなった事は、ほんとに悲しい事です。
 翌年、不肖、この私が生まれています。
 まだ、戦争は終わっていませんでした。
 空には、アメリカの戦闘機が旋回して、機銃を発射したり、B29爆撃機が沢山の焼夷弾を、雨霰の如く、振り撒いていました。
 他に、「からすのあかちゃん」、「春が来た」、「こいのぼり」、「たなばたさま」、「かたつむり」、「揺籠のうた」、「かもめの水兵さん」、「赤い帽子 白い帽子」、「仲良し小道」、「かわいい かくれんぼ」、「おもちゃのマーチ」、「青い目の人形」、「どんぐりころころ」があったと思います。
 遥かな記憶なので、中には、小学校低学年のと、混同しているかもしれません。
 まだ戦後の混乱期でしたから、保育園のカリキュラムも、明確に定まって居らず、当然、小学校低学年の歌を、多く借りて来ていたと思います。
 「かたつむり」の歌は、雨の日、傘を差しながら、外に行き、木に居る、カタツムリを手に取って、カタツムリに話しかけるように、歌った事を覚えています。
 雨の日は、どろんこ工事で、道に小さなダムを作るのが、とても楽しかっですね。
 当時の道は、舗装して無くて、全て泥の道ですから、そんな遊びが出来たのです。
 うーん、小さい頃から、一人で、何か作るのが好きだったようです。
 ごく幼い日の思い出ですが、その時の自分が、小さく、かわいく思えて来ます。
 それにしても、もう何十年もの間、歌っていなかったのですが、歌い出すと、滞りなく、自然と、その歌詞が出て来ます。実に不思議な事です。
 えっ、出て来ないって? 
 それは、一寸、心配ですね。一度、脳ドックに、行って診てもらった方が良いかも知れませんよ。
 それにしても、子どもの頃の歌を思い出すと、改めて、古稀まで長く生きて来たなあ、と、感慨も一入(ひとしお)です。
 古稀と言えば、昔なら、老人の代表みたいでしたが、私自身は、身体も元気だし、そんなに老いたと言う、意識は、少しも感じておりません。
 ところで、人口に膾炙した、かのサミュエル・ウルマン、19世紀アメリカの実業家・詩人、によれば、「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る」との事です。
 そうであれば、私は、永遠に老いないと思います。
 何故なら、未だに、元気で、理想の美しき女性を追い掛けているからです。
 この理想は、私にとって、永遠の理想なので、これを失う事は有り得ません。
  


俳句


幼きは 若き父母 御座します (おはします)