上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

雪の記憶

 今朝も、カーテン開けたら、外は一面、雪景色でした。 
 でも、今日の雪は、春の雪と見えて、ベランダの手摺りに積もった雪は、もう自然に溶けて落ちていました。
 曇っては居ますが、太陽の赤外線が厚い雲を突き抜けて、地表に照射されているので、比熱の小さい金属製の手摺りが早く温まり、それで雪が溶けたのだと思います。
 それにしても、雪景色は、何か嬉しいものがあります。
 早朝、新聞を取りに庭に出たら、隣のお爺さんが、何と雪掻きをしていました。
 この、お爺さん、もう85歳を過ぎていて、体力も弱ったのか、普段は姿を見かけなくなりました。
 でも、きっと、雪を見て、心が子どもみたいに騒いで、外に出たくなったのだと思います。
 雪掻きの必要は無い場所ですが、門の所で、何か、楽しそうに身体を動かしていました。
 雪には、それが何か分かりませんか、どうも、不思議な力があるようですね。
 さて、学生の頃、うんと雪が降った時がありました。 
 キャンパスの隅で、大きな雪だるまを、黙々と一人で作りました。
 当時、素敵な子が居たのですが、なかなか、うまく行かなくて、そのエルのギーの吐け口を雪だるま作りに発散していたのです。
 芸術の世界では、男の性的エネルギー、恋のエネルギーは、こうして、色んな物に形を変えるようですね。
 多くの文学作品は、大抵、その背景に、異性との葛藤が見えます。
 即ち、恋の悲しみ、苦しみから、何かが生まれて来るようです。  
 まあ、ダンテやゲーテのような人が失恋すれば、名作が生まれるようですが、私の場合は、単に、雪だるまが出来ただけでした。
 ところで、新聞を取りに行ったら、郵便受けの上に、約20センチ位の雪が積もっており、入れ口は雪に埋まっていました。
 となると、この新聞が配達されたのは、この降雪以前となります。
 即ち、新聞が配達されてから、20センチ位積もったと言う事です。
 新聞屋さんは、普通、4時頃、配達に来るのですが、積もり具合からして、もっと、ずっと前に配達に来たようです。
 もしかして、朝の三時位かな、とにかく、大変な仕事ですね。
 因みに、新聞を宅配してるのは、世界の中でも、日本位だそうですが、それも365日ですから、すごい事です。
 さて、不思議な力を持った雪だからでしょうか、雪に関連した歌や詩は、沢山あります。
 そのひとつ、童謡「雪やこんこ」は、とても懐かしい歌です。
 特に、最後の、「犬は喜び 庭 駈(か)けまわり、 猫は火燵(こたつ)で丸くなる」は、私の子どもの頃の情景、そのままです。
 コロと言う犬を飼ってましたが、雪の日は、放してやると、大喜びで庭を駆け巡っていました。
 最後は、フィラリアでお腹が膨れて死にました。
 それで、当時は、犬が死んだら、川に捨てるものと決まっていた時代でしたが、それは余りにも可哀想なので、自宅の金魚池の端に葬りました。
 ですから、コロは、今も、あの、実家の土地に眠っています。
 とは言え、その土地、今は、他人の土地になってしまいました。
 さて、雪の俳句では、
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」も、いいですね。
 この俳句は、1912年に明治が終わって、それから、19年位経った時期、1931年に作られた俳句です。
 作者の中村草田男は、1901年生まれですから、作ったのは、30歳位と言う事になります。 
 まだ明治が終わって、20年位しか経っていませんが、それでも、明治は遠くなりにけり、と、感じたのは、中村草田男個人の、特別な思いがあったんでしょう。
 30歳の青年の俳句にしては、少し、老人みたいだなと感じます。 
 でも、明治と言うよりも、過ぎ去った過去に想いを馳せたのでしょう。
 私自身は、この俳句を読むと、以下のような情景を思い浮かべます。 
 古い日本家屋のガラス戸越しに、降る雪を、じっと眺めている老人の姿。
 降る雪を見ていると、過ぎ去った人生が、回り舞台のように思い出されて来ます。
 もう、余り先の無い人生、それ故に、過ぎ去った人生が、ひどく懐かしく思えて来るのです。
 この俳句は、今の私、そのものです。
 それから、三好達治氏の、「雪」も好きです。
 この詩は、1930年刊行の、詩集「測量船」にある、詩です。
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 太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
 二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ
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 たった、二行しか在りませんが、これで十分、情景が蘇ります。
 この詩を、何時知ったのか、記憶にありませんが、多分、小学校の頃だと思います。
 子どもの頃は、兄や姉と一緒に寝てましたから、夜、雪が降れば、文字通り、この光景だったのです。
 この詩を思い出すと、小さな三人で仲良く寝ていた、子ども時代を思い出します。
 もう、あんな時代は、二度と戻って来ません。
 過ぎ去って、二度と戻って来ない過去とは、もう、私の脳裏にしか、存在しないのです。
 それと、余りにも有名ですが、「雪の降る町」も、良い歌ですね。
 内村直也作詞、中田喜直作曲ですが、曲も詩も完璧で、胸に染み込んで来ます。
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 雪の降る街を 雪の降る街を
 想い出だけが 通りすぎてゆく
 雪の降る街を
 遠い国から 落ちてくる
 この想い出を この想い出を
 いつの日かつつまん
 温(あたた)かき幸せのほほえみ (二番、三番略)
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 詩の全部が、煌めく言葉ですが、特に、一番の、「遠い国から落ちてくる この想い出を」の部分には、思わず、高い空から降り注いでいる雪を見上げている自分を、想像します。
 この歌も、中学生時代に、よく聞いたと思います。
 まだ、純粋で感受性の強い時期でしたから、この歌は、思い切り、私の心の中に入り込んで来たようです。
 学生時代、アダモの歌、「雪が降る」も、良い歌ですが、もう、この頃は、本能的な欲望の方が強くて、憂さ晴らしに歌っていたと思います。
 段々、歳を取ると、感受性が鈍るのか、素直に、詩とか歌に感動出来なくなって来るのは、とても残念です。
 そうそう、「ペチカ」も、よい歌でした。
 北原白秋作詞、 山田耕筰作曲です。
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 雪の降る夜は 楽しいペチカ
 ペチカ燃えろよ お話しましょ (以下省略)
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 これもよい歌でした。残念ながら、長くなりましたので、割愛します。
 外を見たら、まだ、雪は少し降ってますが、暖かいのか、道路は溶けています。
 でも、散歩するのは、今日は無理のようです。
 仕方ない、午後は、本でも読んで、古稀の一日としましょう。


<あの、雪の歌、他にもありますか>
<あるよ。でも、直接、雪を歌ってないけど、早春賦も最高だよ>
<春は名のみの、ですか> 
<うん、ずっと前、彼女と長野県にドライブしてさ、丁度、三月頃で、長野県の風景は、あの歌の通りだったから、感動したんだ>
<なあんだ、また、昔の自慢ですか> 


俳句


雪降りて 寄り添う女 手の白き