上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

朔弦望(さくげんぼう)

 昨夜は、月食だったが、その事は、すっかり忘れていた。 
 と言うか、殆ど、それに興味が無かったから、見る気も無かったのだ。
 10時少し前に、老妻が、月食だよ、と、知らせて来た。
 折角の好意であれば、見る位は、しないと、後で祟りは、必至の事だろう
 ベランダへ出て、久し振りに夜の空を眺めた。
 薄曇りの夜空、東の方、欠け始めた満月が浮かんでいた。
 月の満ち欠けは、毎月在る事だから、欠けた月は珍しくも何でも無い。
 真冬の戸外は、さすがに、長居は出来なかった。
 一寸、見ただけで、書斎に戻ってしまった。
 さて、月の満ち欠けは、朔月弦月望月の繰り返しである。 
 望月(もちづき)は、藤原道長の、あの有名な歌にあるように、満月の事である。 
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
 これは、道長52歳の時、邸宅に諸公卿を集めて祝宴を催し、彼が即興で詠んだ歌とされています。
 勿論、何日も推敲し、汗流して、考えたんだろうと思いますが、得意絶頂の道長の顔が彷彿されます。
 実は、この道長さん、紫式部を初めとして、沢山の愛人を持っていましたが、残念な事に、糖尿病患者でした。 
 記録に依れば、道長さん、日本で最初の糖尿病患者と言われています。
 まあ、その前にも、記録に載らない、沢山の患者が居たとは思われますが。
 文献に依れば、以下の通り。
『藤原道長は51才で「消渇」を発病し、つづいて眼病を併発、最後は背中に大きなオデキを併発し敗血症で62才没』
 典型的な糖尿病の合併症ですね、これは。
 私の、柔道の知人も、太っていて、やがて、糖尿病に罹りました。
 それなのに、大会の昼休みに、相変わらず、分厚い弁当を食べていました。
 米などの糖質が糖尿病には、良くない事は、既に、当時も分かっていましたが、彼は、構わず、大食していました。
 その結果、45歳位で目が見えなくなり、確か55歳位で亡くなりました。
 糖尿病の合併症の怖さを知らなかったんですかね。
 何時でしたか、柔道大会会場で、会ったら、
「もう目が見えなくてね、困りました」と、話しかけて来ました。
 糖尿病は、網膜の神経をやられますから、結局、失明する視神経炎と同じ事なんですね。
 でも、病状に対して、それほどの緊急感を持っていない彼に、内心、呆れたものです。
 合掌。
 話を戻して、糖尿病が、男にとって怖いのは、何と言っても、性交不能になる事です。
 俗に、EDと呼んでいる、Erectile Dysfunction(イレクトル ディスファンクション)で、勃起機能不全の事です。
 これも、糖尿病が引き起こす、神経障害、血管障害の結果です。
 藤原道長さん、例の満月の歌を詠んだ時が、52歳です。
 と言う事は、既に、もう、その時、糖尿病に罹っていたと言う事です。
 糖尿病は、徐々に重症になる病気ですから、道長さん、沢山の愛人が居ても、恐らく、もう、どうにもならず、愛人達は、密かに、不倫をしていた事と推察されます。
 なあんだ、こうしてみると、道長さん、言われるほどには、大して幸福な人生でもなかったんですね。 
 男にとって、美しい女性とセックス出来ないのは、死ぬほど辛い、これ以上辛い事は、ありません。
 因みに、道長の一族には、多くの糖尿病患者が居たと伝えられていますから、遺伝型に加えて、美食、運動不足ですかね。
 今風に言えば、2型糖尿病です。
 きっと、道長さん、毎日、美味しいもの食べて、部屋で愛人と楽しい時間を過ごしてばかりで、運動しなかったから、発病したんだね。
<あの、すると、セックスは運動にならないのですか?>
 道長さんの例で考えれば、大した運動になっていない事が、明確に証明されてますね。
 うーん、実際の所、どうなんだろうねえ、
 まあ、女性は、その気にならない限り、殆ど疲れないとは思うけど、男の場合は、どうかなあ。 
 男は、毎回、その気になる動物だからね。
 私的な例で恐縮だが、セックスは不思議でね、若い時は、うんと疲れました。
 でも、50歳辺りから、不思議と、余り疲れを感じなくなりました。
 原因は分かりませんが、若い時みたいに、夢中で、やらなくなったせいかもしれません。
 今ですか?
 今は、疲労感、全く無いです。それどころか、以後、1週間位、不思議な充実感に満ちています。  
 もしかすると、還暦以後のセックスは、より精神的なものに変化するのかも知れない。
 即ち、精神的な要素が大きくなるから、肉体的に疲れないと言う事です。
 もっと、はっきり言っても良いのですが、ブログなので止めます。 
 さて、人生は、その合計が、即ち、和がゼロと言う説があります。
 合計と言うのは、幸せをプラス、不幸せをマイナスと考えた時の和です。
 具体的に言うと、若い時に、幸せだった人が、晩年になって、病気とか、事故等で不幸せになり、その、プラスとマイナスの和が、ゼロになる、と言う訳です。
 道長さんの人生を思うと、正に、この説は、ピッタリですね。
 晩年、10年余に及ぶ、道長の闘病生活を考えると、それまでの得意絶頂の日々で蓄えた幸せは、十分に、償却、相殺されてしまいました。
 同じ不幸でも、若い時は、何とか立ち向かえる体力を持ってるけど、歳取るとね、そうは行かないから、不幸は、より一層厳しいものになったと思いますよ。
 さて、この説が正しいとすれば、現在、不運の病気に苦しんでいる貴女、頑張りましょう。
 いや、この説が正しくなくても、良いんです。 
 病気を治そうとする気持ちさえ、あれば良いんです。
 毎日、ピアノを弾いて、一日一回は、外に出ましょう。
 ピアノは指の運動だから、脳を活性化させてくれますよ。
 あと、反省は、少しだけに止める事。
 ともすると、反省が自己弁護になってる事があります。
 ありのままの自分で、図々しく居直った方が良いですよ。
 肩の力を抜いて、気軽に、現実に立ち向かって下さい。
 きっと、絶対に治ると思います。
 さて、弦月(げんげつ)は、半月(はんげつ)の文学的な表現です。
 上弦または下弦の月、または弓張り月を指します。
 さて、中学生の頃、理科の試験問題に出た、この上弦月と下弦月、いくら考えても、その区別が出来ず、大変、悩んだものです。
 参考書を読んでも、人に聞いても、イマイチ、明確では無かったです。
 恐らく、参考書は、分かり過ぎてる著者が書いたから、肝心の点を書き落としたものと思います。
 また、教えてくれた教師は、悪口は言いたくないですが、その人自身が、正確に、きちんと理解していなかったものと思います。
 あれっ、悪口じゃん。済みません。
 要するに、自分が、その事をはっきりと分かっていれば、的確な教え方が出来るものです。
 数学などの教え方が下手と言うのは、そもそも、教える本人が、その項目をよく理解出来ていない事が殆どです。
 ですから、中学高校の数学を教える場合、教師にとって重要なのは、その教え方ではなくて、教師自身が、どれだけ、その教材、例えば、微分積分などを深く正確に理解しているかの方が、よほど重要な事となります。
 話を戻して、弦月の見分け方ですが、月の変化は、常に、右から始まる事と、満月に向かうのが、上弦の月である事、この二つを覚えれば、もう区別に苦しむ事はありません。
 私は、この区別法を、40代の頃、星座に興味を持った時代、独自に考案しました。
 実に、簡単な方法なので、これを中学の時に、参考書か、誰かに、教えてもらえば、理科の試験で、何の苦労もせずに、済んだものをと、とても残念です。
 これは、全ての教科について言える事ですが、実力のある先生に教えてもらう事が、如何に大切か、と言う事ですね。
 朔月(さくげつ)は、新月の事です。陰暦で第一日目。
 少し長くなりましたので、この項については、割愛します。  


<あの、道長さん、気の毒でしたね>
<うん、人生なんて、そんなもんかな。今、運が付いてない人達は、だから、頑張って欲しいね>
<上州無線さんの人生もゼロですか?>
<うーん、老妻がプラスなのか、マイナスなのか、全く不明でね。だから分からんね>


俳句


この世をば 最後は病気 悲しいね