上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

荷風さんの傘

 毎日、昼ご飯を済ませると、午後、散歩に出掛けるのが、私の習慣である。
 とは言え、時間は定まっては居ない。
 早ければ、昼ご飯を食べて、すぐに行く事もある。
 逆に、用事で遅くなる時は、五時位からでも散歩に出掛ける事もある。但し、その場合、墓地公園の散歩だけは、避ける。
 と言うのは、人影の絶えた、夕暮れの墓地公園は、散歩していても、どことなく不安で、少しも楽しくないからだ。
 お化けとか、幽霊は、この世に存在しないと、一応、確信はしているが、それでも分からない。
 もしかすると、出て来るかも知れない。
 何時だったか、春先に墓地公園を散歩していた。
 何かで遅くなり、もう夕闇近くで、公園には誰も居なかった。
 となると、私の脚も、自然と、いつもよりは、ずっと速いテンポになった。 
 歩き出して、すぐに、こんな時間に来なきゃあ良かった、と後悔したものだ。
 墓地公園は、その名の通り、広大な公園内に、墓地が彼方此方に点在している。
 その一画を通っていたら、急に、後ろで、大きな足音が聞こえた。
 思わず、振り向き、足音の方向を見つめて、臨戦態勢を取った。
 相手が人間なら、どんな奴でも、引き分け位は出来るだろう。少なくとも、負ける事は無い。でも、幽霊なら、すぐに逃げよう、と思った。
 とにかく、幽霊が相手では、得意の体落としも、十字固めも効かないからだ。
 じっと身構えていると、墓石の辺りから、また、足音がした。
 すぐに、足音は、強い春の風が、数枚重なっている卒塔婆を揺り動かしたものと、分かった。
 そんな事位にと思うが、一人で歩いていて、もう、内心、何処か怯えていたから、ちょっとした卒塔婆の音に驚かされてしまったのだ。
 これが、もし、数人で散歩していたなら、気持ちに余裕があるから、誰も喫驚する事は無かっただろう。
 いや、あの時は、本当に怖かった。
 さて、散歩の時、私は、必ず、大きな95センチの雨傘を携行する事にしている。
 これは、長年、散歩をして来た体験からの所産であって、決して、敬愛する、永井荷風さんの真似では無い。
 因みに、荷風さんの、もう一つのトレードマーク、下駄の方は、履かない。
 下駄は、学生時代まで。
 それに、今は、もう、下駄は見ないし、あっても、相当、高価格でしょうね。
 さて、傘携行の理由だが、ある時、散歩していたら、向こうから、大きな犬がやって来た。
 犬の種類は知らないから、分からない。とにかく、大きめの犬だった。
 中年の婦人が、紐を持っていた。
 繋いである犬なので、安心はしたが、それでも、なるべく近寄らない様に、警戒して擦れ違った。
 ところが、質の悪い犬で、突然、私に吠え掛かって来たのだ。
 恐らく、飼い主の悪い性質が、犬にも移っていたのだと思う。
 まあ、飼い主がいるからと、多少、安心していたら、飛んでも無かった。
 すぐに私は、素早く離れたが、何と、犬は、どんどん追い掛けて来る。
 その婦人は、駄目よとか、何か叫んでいるが、本気で止める気が無い様に見えた。
 さて、逃げると、犬は追い掛けて来るもの、である。
 それは知っていたから、とうとう、立ち止まり、犬と対決した。
 唸り声を上げていたが、さすがに、私の方が身体が大きいせいか、凶悪な犬は止まり、飛びかかっては来なかった。
 恐らく、犬は、私の、がっちりした体形から、これは強い相手と知ったのだろう。
 婦人は、済みませんと頭を下げながら、綱を更に、短く握りしめた。
 私は、犬を睨み付けながら、ゆっくりと移動した。
 この間、僅か、一分位だと思うが、ひどく疲れた。
 犬は、子どもの頃、飼った事があるが、あとは、無いから、大きな犬は、やはり警戒をする。その感覚が犬にも伝わり、犬の方も緊張するのかも知れない。  
 とにかく、犬とは相性が悪いので、散歩の時、犬は困る。
 後で思ったのは、大きな犬だから、婦人の方も力不足で、振り回されてしまったのだ。
 となれば、いくら飼い主がいても、婦人の場合は、全く頼りにならないと分かった。
 以来、護身用の武器として、大きな丈夫な傘を持つ事になったのである。
 それから、傘は、大いに役に立ち、何度か、犬を撃退したものだ。
 いや、犬ばかりか、人間を威嚇、撃退した事もある。 
 ある時期、その公園に、私に懐いていた野良猫、シロが居た。
 いつもの様に、広い芝生の端で餌をやって居たら、小さな犬が、シロを目掛けて襲いかかって来た。
 シロは、サッと身を翻し、素早く、近くの大木に駆け上がった。
 飛んでも無い犬だとばかり、怒った私は、その犬を追いかけ回し、大きな傘で、何度か、コノヤローと、思いっきり、叩いた。
 小さい犬だから、少しも怖くない。
 すると、向こうから、人が猛烈な速さで、走って来るのが見えた。
 40歳位の男が、息を切らして走って来た。
「家の犬を、何で叩くんだあ!」    
 もう、私に飛びかからんばかりである。
 きっと、遠くから、彼の愛犬が、何度も傘で叩かれたのを、見ていたに違いない。
 それで、これは、一大事とばかり、お犬様の救援に駆けつけたのだろう。
 いい大人が二人、芝生で睨み合いとなった。
「あのな、この公園では、犬の放し飼いは違反なんだぞ」
「何も、あんなに叩かなくても良いだろう」
「猫を襲ったから、向こうに行けと、そっと押しただけだ」
「いや、叩いてた、何度も強く叩いてたぞ」
「とにかく、繋いでおけば、良かったんだ」
「猫に餌をやるから、野良猫が増えるんだ。餌やりは駄目だろう」
「そっちの放し飼いは、ウンコをまき散らして、規則違反だ」
 論理は、メチャクチャである。まあ、喧嘩とは、そんなものだ。
 相手は、私と背は同じ位、そうは頑健に見えなかった。 
 この程度ならば、組み討ちで瞬殺、到底、私の敵では無い。
 殴り合いだと、さて、どうなるか、分からない。
 私よりは若いから、スタミナはあるだろう。
 となると、出来れば、無手勝流で行きたいものだ。 
 即ち、喧嘩に至る前に、相手を追い払う戦略である。 
 そこで、手にしていた、大きな傘を、ゆっくりと、如何にも威嚇する様に動かした。
 何時でも、この傘で、犬を叩いた様に、お前を叩くぞ、と言う意思表示である。
 こんな傘でも、目を突かれたら、相手は大怪我を負う事になる。
 相手の男は、私の意図をよく理解したのか、やがて、背を向けて、黙って立ち去った。
 今回の相手は、犬では無かったですが、大きな傘の威力は、絶大でした。
 それ以来、傘は、ますます、不可欠の携行品となりました。
 もしかすると、永井荷風さんも、質の悪い人間を叩くために、傘を持ち歩いていたのかも知れません。
 残念ながら、今となっては、その真意を確かめる術はありません。


      
俳句


芝生での 喧嘩は傘で 勝ちにけり