上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

鍛えの部分

 今年も終わるが、古稀時代の一年が過ぎ去るだけで、特に、感慨は無い。
 新しい事や、変わった事も何も無かった。
 ところが、若い時は、毎年、夏になると、プール、山のハイキング、街角、図書館、歯医者の待合室などで、何処でも、新しい恋が、突然、始まったものだ。
 勿論、そのどれも予期もしなかった事、全くの偶然から始まった。 
 だから、それが若さだ。
 相手が、どんな人間か、金持ちか、貧乏人か、そんな事は一切、考えずに、30分後には、もう手を取り合って、街の通りを歩いていた。
 昨今の、年配者の婚活が、相手データの把握から始まるのとは、大違いだ。
 目の前に居る相手を、そのまま信じて、相手の心の中に飛び込んで行く。
 若いから、何も考える事無く、苦も無く、出来たと言う事だ。
 退職してから、病院の待合室で、老婦人と話をする事は、偶にはあるが、でも、それから付き合いが始まる事は、皆無だった。
 お互い、若さも情熱も無いから、もう相手の心の中に、無警戒で飛び込むなんて事は、とても無理、出来ない。
 偶に、美しく歳を重ねた、如何にも貴婦人と言う、形容詞が、ぴったりの女性を見かける事もあるが、それでも、積極的に行く気にならないね。
 と言うのは、「老婦人は、もうセックスなんて、関心、全く無いんですよね」と、思うからだ。
 一方、男は、幾つになっても、何時まで経っても、女を両腕で抱きしめたいのです。
 それが出来ないのであれば、お付き合いなんて、不要なんですよ。 
 さて、冒頭、今年は、新しい事は何も無かったと記したが、いや、そうでもなかった。
 三年前、マイコン利用の自動電信送信機を製作した。
 それで、その製作記事を掲載するために、アマチュア無線のホームページを立ち上げた。
 そのホームページから、幾つかの偶然が重なって、このブログに来た。
 即ち、このブログを始めた事、それが今年の新しい事だった。
 もう半年位、ブログを続けているが、アマチュア無線が、電離層悪化で、開店休業だから、今は、もうブログの方がメインとなってしまった感がある。
 ブログは、単に、毎日、思いつきで書き殴っているだけだ。
 それでも、過ぎ去った昔の思い出を辿ると、今まで気付かなかった事も、発見出来るから、それは驚きでもあるし、楽しい事でもある。
 問題は、このブログを、何処かに繋げて行けるか、と言う事である。
 ブログで、毎日、いい加減な事を書いているのは、楽しい事だけど、何時かは飽きるだろう。 
 何の展望も無いと、どんなものも、やがて確実に、アホらしくなり、止める事になるからだ。
 昔、剣道の講習会の時、師範の老先生が、「剣道を楽しくやるのは結構ですが、鍛えの部分が無いと、強くはならないし、長続きもしませんよ」と言った。
 その時、30代半ばだったと記憶しているが、「なるほど、そう言うことか」と思った。
 まあ、楽しいだけだと、上達もしないから、やがて飽きるという事だ。
 と言う事は、楽しいだけでは、将来への展望が無いと言う事。
 何にしても、「鍛えの部分」が不可欠なのである。   
 でも、鍛えとは、一体、何だ。
 以前、大して美人でも無かったが、背の高い女と付き合った事がある。 
 英語が抜群に出来る女だったから、事が済んだ後は、色々と英語の話をしたものだ。
「強アクセントはね、母音に付くのよ」
「カンマで連続する名詞節には主従関係が出来るのよ」 
「英文解釈で一番難しいのは、簡単そうに見える等位接続詞とカンマよ」
 今でも、彼女が言った言葉を、容易に思い出す事が出来る。
 どれも、それなりに私にとっては参考となり、役立ったものだ。  
 やがて、その子とは自然と別れてしまった。 
 やはり、女としての魅力に、少し欠けて居たからね。
 若い男は、何と言っても、ピチピチした、美人が好きなのです。それは本能的に。
 しかし、その彼女の事は、今でも、はっきりと思い出す事が出来ます。
 これと対照的に、一寸した美人であっても、ただ単に、セックスに明け暮れた女の記憶は、一旦、別れてしまうと、その記憶は漠として、遠い過去に埋もれ、顔すらも、余り、はっきりしません。
 と言うか、そもそも、その女の事を思い出す時がありません。
 これが、もしかすると、恋に於ける「鍛え」なのでしょうか。    
 セックスだけで無く、私に英語を教えてくれた女は、今も忘れる事なく、思い出す事が出来ます。
 セックス以外に、何かを持っていた女は、何時までも記憶に残っています。
 それは、勿論、英語だけではありません。
 鋭い感受性を持っていた女、何処までも優しい気持ちの女、土砂降りの雨の中、辛抱強く待っていた女、気が強いけども、ひどく純粋な女。私の傷を舐めた女。
 何処か人間としての良さと言うのでしょうか、その片鱗を見てしまうと、その女の事を何時までも覚えているようです。
 となると、ブログに於ける、「鍛え」とは何なのでしょうか。
 それを見つければ、私のブログは、長続きする可能性が大きくなります。
 また、このブログ自身は長続きしなくても、また次のステージに、進んで行く事が出来れば、それは、このブログが長続きしたのと同じ事です。
 単に、楽しいブログに加えて、他に、「鍛え」として備えるべきものは何か。
 全く分かりませんね。
 かと言って、語学や無線工学の話をするのは、私にとって、もう何の意味もありません。
 或いは、古典本の感想などは、考えただけでも、大きな欠伸が出ます。
 或いは、歴史の考察ですか。そんなん、今更、つまらない事です。
 まあ、やはり、興味だけで言えば、美しい女の事でしょう。
 でも、問題は、その美しい女性に、どう「鍛え」を織り込んだら、良いのでしょうか。
 もし、私に絵の才能があれば、美しい女の裸を描く所ですが。 
 それにしても、藤田嗣治は、本当に幸せな男でしたね。
 まあ、諦めずに、考えていれば、やがて、それが見つかる筈だと思って、当分の間、このブログを書いてみる事にします。
 とは言え、単調な継続は、飽きっぽい私には、まあ、かなりの難問ではあります。
 こんな殊勝な事を書いておきながら、ある日、ピチピチギャルに出逢って、ブログの更新が、翌日から、当然、止まってしまわないように、重々、気をつけたいと思います。
 でも、男と言う、生き物は、もう、どうしようも無い馬鹿ですから、何とも分かりません。
    
<あの、今日は、何か真面目ですね>
<ああ、年の暮れで、時には、鬱になるのかな> 
<飽きっぽいとの事ですが、若き日の恋は、どの位のスパンですか?>
<相手に依るけど、一日から、最大2年位かな> 
<一日と言うのは?>
<朝、パチンコ屋で出逢って、夕方、喫茶店で別れた>
<どうしてですか?>
<やらせるから、パチンコの金、くれってさ。普通の社会人かと思ったら、とても若い風俗嬢だった>


俳句


これからの 人生如何に 年の暮れ