上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

岩宿遺跡

 高校生の時、帰り道で考える事は、いつも決まって同じだった。
 今、私が生きている、この人生に、何か意義があるのか、在るとすれば、それは何なのか、と言う事だった。
 さて、私の母親は、8人弟妹の一番上で長女、昔風に言えば、惣領である。
 祖母は、何と8人も子供を産んだのだ。
 今の感覚で言えば、ものすごいなと思うが、昔は、当たり前だった。
 本当の数は、父母の話からだが、12.5人だったと言う。
 4.5人と言うのは、即ち、早死、流産、堕胎の事らしい。
 昔の女性は、こんなに沢山の子どもを、病院にも行かず、農家の納屋で産んでいたのだ。
 勿論、お産婆さんは居たと思うが。
 でも、帝王切開などせずとも、ちゃんと子供は産まれていた。
 特に、異常妊娠で無ければ、女の骨盤は左右に開くし、時間さえ掛ければ、安全に産む事は出来るのだ。
 人間、元々は、動物の一種なのだから、女が、そんなヤワに出来てる筈も無い。。
 ところが、妊婦が自力で産めるのに、病院ベッドの回転率を高めるために、安易に帝王切開する、昨今の病院のやり方は、ほんとに良くない事だ。
 さて、母の妹、即ち、私の叔母さんは4人居たが、余り幸せで無かった叔母さんも居た。
 総合的に見れば、母が一番、幸せな人生を送ったように思う。
 母は、丈夫で聡明な女性だったから、その様な人生を獲得したと言えるかも知れないが、やはり、恵まれた天運、天命があったのだろう。
 どんなに努力しても、幸運に恵まれなければ、人の一生は、貧しいものとなるようだ。
 自分が古稀になった今、人は持って生まれた星の下で生きて行くだけ、と言う事を強く感じる。
 さて、二女の叔母さんは、とても頭が良くて、昔の級長だった。
 ただ、女としての器量は普通位。
 学校の勉強は、すごく出来たが、今も、そんな子は居るが、体育や、日々の俊敏な行動は不得意だったようだ。
 勉強が出来たのだから、学校の先生にでもすれば、それが最適だったと思う。
 ところが、祖父は、そうさせなかった。
 山麓の農家に嫁がせたのだ。
 それからが不幸の始まりみたいであった。
 農作業も不得意だったと思うが、それ以上に、夫と、余り良い関係を築けなかったようだ。  
 私が小学生2年生位の時、帰宅すると、その叔母がいた。
 叔母は、冷たい水道で頭を洗っていた。
 見ると、洗面器の水が、真っ黒に濁っていた。
 ずっと、長い間、頭を洗っていないのだ、と言う事が、小さな私にも、すぐに分かった。
 叔母は、30キロも離れた山麓から、母の家、実姉の家まで、徒歩で来た。
 叔母は、その日は泊まった。
 翌日の夜になって、夫という人が、自転車で迎えに来た。
 当時、一般家庭に車などは無かった。
 要するに、叔母は、もう、その生活に耐えきれず、嫁ぎ先から脱出して来たのだ。
 だから、叔母は、とにかく、夫の元には帰りたくないのである。
 迎えに来た夫、叔母、父母が、居間で小声で話をしていた。 
 その時の、母の言葉を、妹に言った言葉を、今も、私は、はっきりと覚えている。
「お前の家は、此処じゃあないんだよ。だから、一緒に帰りなさい」
 他人なら、いざ知らず、実の姉が実の妹に、言ったのだ。
 私は思うのだが、
「貴女、家には、いくらでも好きなだけ泊まっていいからね。よく考えて決めてね」と、その位は、言えなかったものか。
 幼心にも、母の言葉は、ひどく残酷に響いたものだ。
 その後も、はっきり覚えていないが、何度か、叔母は、姉である母の所に来たように思う。
 私が、高校生になった頃、もう叔母は来る事は無かった。
 姑とか、そんな存在も消えて、以前よりは、幸せな生活を送っていたのかも知れない。
 亡くなったのは、学生の頃だから、60歳にもならずに、早逝した。
 その死を聞いた時、この叔母さんの人生、何だったのか、と思ったものだ。
 女の人生、それも苦労して、死んだだけではないか。
 何か、深遠なる、人生の意義たるべきものが、叔母の人生に存在しただろうか。
 どうも、人生には、何の意味もないようだと、以来、漠然とだが、思うようになった。
 もう一人の、三女の叔母は、結婚して幸せな日を送っていたのに、その夫が、30歳少しの時、悪性の病気で亡くなってしまった。
 それからは、働き手が居なかったから、苦しい生活の連続だったようだ。
 僅かな田畑で、食を繋いでいたのだと思う。
 父が退職して、まもなくの頃、その叔母が来た。
 帰った後、父母が沈痛な表情で話をしていた。
 父は、大金を叔母にやるつもりだ、と言った。母は、申し訳なさそうに頷いていた。
 何でも、借金で、家が取られてしまうので、助けて欲しい、と言う事らしい。
 父は、義妹に、躊躇する事なく、かなりの大金をやった。   
 昔から、父は、そんな人間だった。
 戦中、特高の時、恵まれない朝鮮人に、親切にしたのも、同じ事。
 何の見返りも期待出来ない相手に、そう言うことをする人なのだ。
 三年後、一番下の叔父から連絡があった。
 三女の叔母が行方不明だとの事。一家で夜逃げしてしまったらしい。
 恐らく、また借金をして、返せなくなり、今度は、さすがに父の所に顔を出す訳には行かないと思ったのだろう。   
 もう40年前の事だが、以来、消息は聞いてない。
 不幸な人生を思う時、この世に、神も仏も居る筈は無い、と、強く思う。 
 不思議な事だが、不幸な人には、不幸が連続して襲いかかって来るのは、どう言う事なんだろう。
 そう言えば、「不幸は一人でやって来ない」と言う、諺があった。
 ところで、近隣の町に、岩宿という、数万年前の古代遺跡がある。
 相沢忠洋が、日本にも旧石器時代が存在した事を証明した遺跡として名高い。
 この遺跡に初めて行った時、遙かな昔、この湖畔で生活していた、古代の人々に思いを馳せた。
 恐らく、森の木の実、昆虫、小動物、湖の魚を捕まえて、生活していたのだろう。
 毎日、森のあちこちで、食物探しをして、一日は終わる。
 何も採れず、探し疲れて洞窟に入って寝る。
 この繰り返しだったろう。
 ならば、人生について、何も考える時間は無かった。
 それよりも、明日は、何処で、ウサギを捕れば良いか、考えていたのは、そんな事だろう。
 そんな時代の方が、人間、幸せだったかも知れない。
 文明が発達して、人間が暇になり、人生について、考えるようになったとすれば、どうも、それは、必ずしも、幸せとは言えないように思う。
 何故なら、いくら考えても、人生の意義など発見出来ないし、そもそも、在りそうにも無いからだ。
 人生とは、ただ生まれて、そうして、死んで行くだけだ。
     
<すると、上州無線さんとしては、人生に意義は無いと思う訳ですね?> 
<うん、まあ、さっきまではね>
<えっ? 変わったんですか?>
<うん、思い直した。人生に意義はあった。その意義とは、美しい女性を大事にして、心ゆくまで抱きしめる事だ。だから、全く意義が無い訳では無い。また、これで十分、他は何も要らない>
<でも、それだと、殆ど思い直していないように思いますが>
<それは、なかなか鋭い指摘だ>



俳句


 生きる意義 そは麗しき 乙女なり