上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

心の距離

 私は、余り両親との関係は良くなかった。
 特に、中学生辺りから、色んな場面で対立するようになった。 
 いわゆる反抗期である。
 母は、兄ばかり溺愛していたから、それも反抗の大きな要因だったのだろう。
 若い時は、親に対する不満が強かったが、少し歳を取ったら、ああまでも反抗しなくても良かったのにと、反省するようになった。
 ところが、最近、また、少し考えが変わった。
 親子の距離は「近過ぎても、これは良くないようだ」と思うようになった。
 さて、生まれたばかりの男の赤ん坊は、身体は男だが、脳は、白紙である。
 そこへ、母親が自分の意志を、その子どもが10歳位まで、連日、豪雨のように降らせたら、どうなるか。
 やはり、コンピュータと同じ事で、脳のソフトが女性的になってしまうと思う。
 結果的に、母親に全て従属する思考回路を持つようになる確率は高くなる。
 そうなると、その子どもは、全員とは言わないが、その多数は、何時まで経っても、母親から独立出来なくなってしまう。
 これが、いわゆるマザー・コンプレクス(mother complex)と称されるものである。
 森鴎外が、この典型的人物である。
 母親を大事にしたと言えば、聞こえは良いが、性処理用の愛人まで世話をしてもらっているようでは、母親思いが、大分、その度を超していると思うが、どうだろうか。
 セックスフレンド、愛人位、自分で探せば良いでは無いか。
 勿論、嫁さん探し、決定も母親がやった。
 私に言わせれば、何とも情けない男にしか見えない。
 母親のために生きているような感じすらも受ける。 
 何でも母親に相談し、母親に意向に沿って、判断し、行動する。
 でも、小説家の系譜には、どう言う訳か、少なからず、このマザコンが見受けられる。
 私見だが、三島由紀夫も、書いた作品は、全て、まずは、お母様に見せていたと言うから、これもマザコン合格だと思う。
 いい歳をした、大の男が、お母様の感想を拝聴する図は、どうにも頂けない。
 後年になって、それに対する反発が鬱積して、あの何とも言えない終末を迎えたものと推測する。
 背が低く、貧弱な身体なのに、無理して、ボディビルなどで誇示せず、等身大の自分を、そのまま見せていれば、三島由紀夫は、あのような自決をせずとも済んだと思う。
 ところで、息子溺愛型の母親は、世に少なくは無い。
 そんな母親は、息子が結婚すると、決まって、嫁さんと、息子の取り合いを演じるものだ。
 息子がマザコンであれば、全て母親の言う事を聞くから、嫁姑戦争は、母親の勝ちになる。
 森鴎外の場合が、まさに、これだ。 
 ところが、息子が、マザコンで無い場合だと、話は異なる。
 息子にとって、自分の好きな女、即ち嫁さんは、雄としての本能から、母親よりも、更に大事な存在なのだ。
 自分の子孫を産んでもらうための女だから、当然のことである。
 従って、通常、息子は、口うるさい母親と決別し、嫁さんの味方になる。
 これが、まあ、普通の状況だと思う。
 だから、貴女が結婚して、もし、夫が母親の味方をするようであれば、即、離婚した方が良い。
 離婚しないで、ずるずると一緒に居ても、その後、どう転んでも、碌な事は無い事を明確に保証する。
 私の知り合いにも、マザコンがいた。彼は真面目な会社員だったが、とうとう、一生、独身のままで終わった。  
 どうも、彼が家に連れて来た女を、母親が全て追い払っていたらしい。
 勿論、実際に手で追い払わなくても、母親が無愛想な顔をすれば、それで十分だ。
 来た女は、二度と、彼の家に行く事は無かったろう。  
 結果的に、それで、彼は結婚出来なかったのだ。
 とんでも無い母親であるが、母親自身は、微塵も、その弊害に気付いていないと思う。
 自分は、ただ、ひたすら息子のためと思って行動している、と信じている筈だ。
 だから、母親は、息子が、余りにも自分の言う通りになりすぎたら、逆に、突き放して、男の子が、独立独歩出来るように配慮するべきである。
 息子が母親べったりなら、母親としては、極めて気分が良いが、男としての人生は恥ずかしいものになる、と銘記すべし。
 要するに、父子、母子は、適切な距離を保つ、と言う事だ。
 逆に、私自身は、親と離れ過ぎていたから、もう少し、息子の方から距離を縮めるべきだったという反省がある。
 私が、ある時、初めて、彼女を連れて来て、泊まらせた事があるが、翌日は勿論、その後も、父母は何も言わなかった。
 親子の距離が遙かに隔たっていたのである。
 私は、結婚の時も、相手の女性について、何も父母に相談した事は無かった。
 まあ、例え、「その人と結婚するな」と言われた所で、父母の言う事を聞く息子では無かったが。
 言わずもがなだが、勿論、母親に愛人の世話をしてもらった事も無い。
 付き合った女は、すべて自らの努力で探した。皆、素敵な女達だった。
 とは言え、父母が亡くなってみると、もう少し何とか、近い距離に出来なかったか、と言う思いは、どうも、消えそうに無い。
 もう少し父母との距離が近ければ、二世帯住居では無いが、大きな家だから、父母の晩年、自宅に引き取って同居する事も出来た筈である。
 とは言え、何事にも口うるさい父親だったから、やはり、同居は無理だったかも知れない。
 まあ、なかなか同居出来ない親子が多いからこそ、昨今の世、老人ホームが繁盛するのだろう。
 でも、世の中には、極めて良好な親子関係を維持してる人達もいるようだ。
 そんな人達の事を、少し羨ましいと思う時がある。
 それはともかくとして、何時か天国で、父母と再会したら、今度は、適切な距離を作りたいと、思って居る。




俳句


釣り池に 父に似た人 糸垂れる (敷島公園にて)