上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

冷たい女

 今朝も、ニュースによると、大分冷え込んだようですね。
「様ですね」と言うのは、実際は、どの位冷え込んだのか、私自身は、分からないからです。
 わたしは、エアコンを朝までオンにしておくので、室内温度は、起床時、15度位です。 
 ですので、全然、室内は寒くはありません。
 それどころか、一昨日、買った敷蒲団のせいで、暑い位です。
 なので、掛け布団は、一枚にしました。
 それにしても、敷布団の保温効果が、これほど大きいとは、思ってもいなかったです。
 一階で寝ている、老妻は山奥育ちですので、寒さに慣れていますから、新しい敷蒲団にしたら、暑すぎたそうです。
 それで、新しい敷き布団にした日から、エアコンを使ってないと言う事です。
 さて、子どもの頃、早朝の厳しい冷え込みに、どう対応していたのか、と思い出してみますが、はっきりと記憶を辿る事は出来ません。
 とにかく、戦後の家屋は、ガタガタで、壁は穴だらけ、凍るような隙間風が、遠慮無く室内に入って来ました。
 暖房装置は、炭と練炭炬燵と石油ストーブだけでしたけれど、不思議と、寒くて死にそうだなどと思った事は無かったです。
 その石油ストーブも、点けておくのは、ごく短時間でした。石油を沢山買う、お金が無かったからです。
 でも、人の心は、今よりも、確実に温かかった気がします。 
 当時は、下駄でしたから、足は、足袋を穿いていました。足袋は温かくて、快適でした。
 それと、厚い、ももしきを穿いていました。
 手袋もしてましたから、やはり、今よりも気温は寒かったんですね。
 厳冬期は、何枚もボロの服を重ねて、過ごしていました。
 でも、みんなが貧乏でしたから、ボロ服着ていても、恥ずかしいという事は無かったです。
 さて、時は過ぎて、大学を出ると、山奥の学校に赴任しましたが、その冬期、朝の印象は、今でも極めて鮮明です。
 標高1500メートルの高地にありましたから、冬の寒さは半端ではなかったです。
 満州並みと、よく土地の人が言っていました。
 また、近くに硫黄臭いので有名な万座温泉がありますが、ここを訪れた人であれば、山奥の学校の寒さを、ご想像出来るかと思います。
 あの万座スキー場は、実に寒かったです。
 さて、正月が終わり、冬休み明けに、暫くぶりに山奥に戻り、寮の部屋に入りました。
 すると、部屋のテーブルに置いてあった、コカコーラの瓶が、何と破裂していました。
 凍って、その体積膨張でガラス瓶が崩壊していたのです。
 大体、この辺の山奥では、冬期、マイナス20度位になると言われていましたから、まあ、当然の現象なんですが、驚きましたね。
 翌日の朝、ふと寒さで目覚めたら、私の鼻の周りや、掛け布団の所に、白い霜が降りていました。初めての事で、もう驚きました。
 その霜は、私の息が凍って出来たのです。
 部屋にあった暖房器具は、粗末な石油ストーブと炬燵だけでしたが、それでも、その冬、凍死せずに、私は生き残りました。
 あの当時、私は、燃える火のように若かったんですね。
 今、あの環境で寝たら、私は、間違いなく凍死すると思います。
 山奥の粗末な寮でしたから、壁は、ガラス窓と障子だけでした。
 冬は、テープで目張りして、隙間風を防いだと記憶しています。
 夏になると、熊が来て、この窓際のトウモロコシを食べていた事がありました。
 熊は、別に珍しくなく、何度か目撃しました。
 そこは硫黄鉱山の山で、ずっと前に廃山となり、人も居なくなりましたので、今は、熊も安心して、あの辺りを徘徊していると思います。
 さて、朝が寒いだけなら、何とか耐えられますが、そうで無い朝もあります。
 もう大分前ですが、臨時職員として、55歳の女子教員が、私の職場に着任しました。
 1週間ほどして、昼休み、その方と雑談をしていました。
「旦那さんは、もう退職されたのですか?」   
「いえ、あの・・・」
 聞けば、ある朝、目覚めて、その方は、暫く、蒲団の中に居た。
 その内、夫も目覚めて、いつもの様に、おはようの声がかかるだろうと。
 ところが、その朝は、何時まで経っても、夫から声がかからなかった。 
 それで、ふと胸騒ぎがして、すぐに身体を起こして、隣の夫に声を掛けました。  
 それでも、返事が無かった。
 今度は、側に寄り添い、声を掛けながら、顔を触ると、もう冷たかったそうです。
 こんな朝は、絶対に、勘弁してもらいたいものです。 
 そうは言っても、どの夫婦も、いずれ、最後には、こんな別れに遭遇するのかも知れません。
 でも、長く寝たきりになるよりは、いいかも・・・、いや、どっちがいいか、よく分かりません。
 先日の野村監督の奥さんも、突然死だったようですね。
 突然死だと、その覚悟が出来ていないから、気持ち的に大変だなと思います。 
 まあ、私は、老妻よりも先に死ぬ筈なので、そんな心配はしなくても済むでしょう。
 さて、私が退職間際のころ、私と同い歳の先生が、朝の打ち合わせが終わって、ストーブの周りで、手を温めていました。
「今朝は、えらく冷え込みましたね」
 周りにいる、若い先生に声を掛けました。
 ところが、反応はゼロでした。
「そうかあ、みんな、もう暖房があるから、冷え込みが分かんねえんだ」
 その先生は、共感を得られず、仕方なく、一人で苦笑していました。
 あの時代辺りから、各家庭は、既に学校よりも早く、もう完全な暖房装置を持つようなっていたのです。
 時は流れ、星は移り、朝の様相は、全く変わりましたね。


<あの、上州無線さんは、寒さには強いですか?>
<寒いのは厭だね。だから、冬期は体温の温かい女を湯たんぽ代わりにしてたよ>
<でも、それだと夏は、困るでしょ?>
<そん時は、また低体温の女と取り替えました>
<そんなに沢山、女がいたんですか?>
<居たさ。ああ、ついでに、春と秋用の女もいたんだ>
<嘘でしょう?>
<うん、まあ、果てしなき妄想かな。でも、ほんとにヒヤッとする冷たい女もいたよ。そうそう、女の何処が一番冷たいと思うかね>
<???>
<尻さ、尻こそ冷たいんだ。じゃあ、一番熱いのは?>
<???>
<まだまだ修行が足りないな、君は>


俳句


抱き合えば やがて汗掻く 若さかな