上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

「風」 その2

 一時間ほどした時、金髪女と男は、立ち上がった。男は、私の方を振り向くと、ガンを飛ばして来た。
 どうやら、すっかり私を舐めているようだ。まあ、入って来た時、すぐに謝ったから、与しやすきと思ったのだろう。
 少し酔いが回っていたから、もう自制は無かった。
 相手の目を見ながら、私は、ゆっくり立ち上がった。
 すると、金髪女がすぐに気付いて、慌てて男を店の外に押し出した。
 外に出た男が、再び、戻って来たら、一気に、飛びかかるつもりだった。
 レジで支払いをしている金髪女に声を掛けた。
「お姉さん、すごい美人だね」
「うん、ありがとね」
 意外な、その愛想の良い返事に、猛烈に抱きたくなったものだ。
 この女は、きっと、そこらの飲み屋か、バーの女に違いない。あの男の彼女という訳では無いんだろう。
 暫くして、店を出ると、もう、いつもの時刻だった。
 歩き出すと、後輩の藤本が、「風」を歌い出した。聞きながら歩いた。
 厚い胸の、肺活のある男の声は、深みがあって、なかなか聞き良かった。
 半月後、藤本の故郷、松井田に行った。
 藤本の自宅は、山の中で、景色も良いから、家に来ませんか、と誘われたのだ。
 確か、信越線で松井田まで行って、後は、歩いたのだと思うが、遠い記憶は、もう朧である。  
 舗装の傷んだ、長い坂を登り、大通りの十字路まで来ると、そこが彼女の家だった。 
 ここに来る気になったのは、藤本と彼女の家が同じ松井田にあるからだった。
 夏休みの終わり頃だったと思うが、勿論、寄る事は出来ない。
 もう関係は壊れかけていたからだ。 
 でも、家の前は、出来るだけゆっくりと歩いた。出来る事はそれだけ。
 若い時の思い出は、いつも後悔ばかりである。それと、切ない思い。
 繁華街を抜けて、やがて山道に入った。
 暫く山道を歩いた所で、三叉路に来た。
 道路標識に、土塩とあった。
「ひじしお、か」
「先輩、よく読めましたね。普通、読めないですよ」
 以前、彼女の家付近の地図を見て、土塩なる地名がある事を知っていた。
 ここから、更に二つ峠を越えると、彼の家で、もう両親は死去し、妹も家を出て、廃家だと言う。
 まだ歩くのか。もう行く気は失せていた。釘ぶつけの廃家を見てもしようが無い。
 本音は、彼女の家を見たくて、来ただけである。
 廃家の方角を見ながら、藤本が呟いた言葉を、今でも、はっきりと覚えている。
「俺の家は、滅びの家なんですよ。みんな、死んじゃうんです」
 藤本とは、翌年、私が山奥の学校に行ってしまったから、付き合いも途絶えた。
 藤本は、卒業すると、東京秋葉原の紙問屋に勤めた。
 時は過ぎ去り、私の退職間際、藤本の友人から、「もう10年前から、年賀状が来なくなりました」と聞いた。
 それを聞いた時、滅びの家と言った、藤本の言葉を思い出した。
 彼は、多分、50歳位で亡くなったのだと思う。
 どう言う訳か、不幸な人は、生まれてから死ぬまで、不幸な人生を送るようですね。
 藤本の下宿で、ギターを弾きながら、風を歌った事もある。
 二人とも、あの歌が好きだった。
 彼女との仲が終わりかけていた頃、工事中の17号を何処までも歩いた。
 男と女の仲は不思議で、もう終わると分かっているのに、二人で道を、それも二時間以上も、一緒に歩いたのです。   
 最後の日、彼女の下宿で逢った帰り道、人通りの途絶えた繁華街の道を、自然に、風を口ずさんで、歩いていました。   
 実に、可哀想な男。でも、身勝手な男には相応しい運命なのです。
 何時だって、宝物が手元にある時は、大事にしないのです。
 そうして、宝物が離れて行く時になって、急に、慌てて、その宝物を失いたくない、と気付くのです。  
 だから、愚かな男には、相応しいエンディングなのです。 
 あの頃、学生運動が全国を吹き荒れましたが、ある時、大学に行ったら、門の所にバリケードが築かれていました。
 門の所には、椅子や机の山。赤や白、色鮮やかなヘルメットを被った革新系の学生が、その周りに沢山集まり、興奮しています。
 見ると、何と、そこに彼女の姿がありました。
 やれやれ、そう言うことか。きっと、つまらない男と知り合ったのだなと思いました。 
 毎日ブラブラして、将来に、何の夢も持たない男よりも、社会に革命を起こす男の方が、どう見たって、格好良いですからね。
 でも、お陰で私も気が楽になりました。
 その後、私が、大学を去る間近の日、囲碁部で碁を打っていたら、その窓際を彼女が友達と通り過ぎました。お昼をキャンパスの階段で食べるために、通ったのでしょう。
 それが、我が人生で、彼女を見た、最後でした。
 あれから、約50年、もう、いいお婆ちゃんになっただろうと思います。
 今でも、端田宣彦の「風」を聴くと、彼女の事や、後輩の事が、彷彿と思い出されます。
 私の恋には、いつもBGMがあるんです。
 でも、それは誰しも同じ事と思います。
 人は誰もただ一人 旅に出て・・・、結局、みんな、毎日、生きているのだけれど、本当は、孤独なんですね。
 だから、この歌が共感を持って、迎えられたのだと思います。
 例え、どんなに親しい人が、側に居ても、人は一人なんだと思います。
 不倫して、楽しい日々だとしても、でも、貴女は、一人だと思います。
 ええ、何時の日か、それが、自分は一人なんだ、と分かる日が来ると思いますよ。
 そうそう、彼女と別れてから、すぐに、一度だけ、短い手紙を書きました。
 当時、スマホなんてものは無いですから。  
 そしたら、返事に「もっと、本当に愛して欲しかった」とありました。
 蛇足ですが、30年後、別の女性から、また同じ文面の手紙をもらう事になりました。
 ところで、2年後位に出た、「花嫁」も良い曲でしたね。
 既に、大学を卒業していた私は、この歌を山奥のアパートで、風と共に、よく歌ったものです。
 アパートの窓から、遙か彼方に聳え立つ、真っ白な浅間山の姿が見えました。
 取り留めも無い思い出、この辺で終わりにします。
 端田宣彦 合掌。




俳句


過ぎし日は 彼女の姿 風の歌