上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

公孫樹の葉

 霜月も、もう少しで終わりになります。
 確か、この晩秋の頃でした、高校の図書館で、かげろう日記を読んだのは。
 どうして晩秋だと覚えているかと言うと、窓際に大きな公孫樹の木が見えたのです。
 既に、木全体が黄色に染まり、時折の北風で、その葉が空中に舞っていました。
 虚空を舞う公孫樹の一葉は、まさに、私の高校生活、そのものを象徴していました。
 と言うのは、身体の具合が悪くて、高校生活、何もかも思うように行かなかったからです。
 その高校時代、赤い夕日が校舎を染めて♪♪と言う歌が流行っておりました。
 そう、あの歌の時代が、我が高校時代なのです。
 言われて、すぐに、あの歌か、と思い出す人は、大丈夫、惚け老人ではありません。
 あっ、失礼しました。
 この歌をご存じの方は、正しく私と、同世代の仲間と言う事ですね。
 歳は言わなくて、結構です。
 この歌でした。
 もう卒業式間近だった頃、クラスの誰かが言い出して、帰りの時間に、みんなで大声で、合唱しました。
 当時は、高校卒業式の日が、国立大一期校の試験日だったので、半数位は、もう卒業式に来られないのです。
 だから、逢えるのは、その日が最後と分かっていましたから、みんな、もう心を合わせて、歌を歌ったんですね。 
 色気無しの男子校でしたが、それでも、最後は、さすがに、感傷的になっていたのでしょう。
 いつもなら、すぐに意見がまとまるなんて事、とても、なかった筈です。
 クラス仲間何時までも♪♪で、終わりましたが、実際には、二度と逢う事は無かったです。
 あれから、幾星霜、〇〇年が過ぎ去りました。
 あの時、教室に居た紅顔の美少年達は、どんな人生を送ったのでしょう。
 恐らく、もう、クラスの2~3割位は、亡くなられた事と思います。 
 いや、かく言う私にだって、程なく、この人生の終焉が迫っています。
 やがて、天国に、みんな集まった時、今度は、何の歌を歌うのでしょうか。
 やれやれ、公孫樹の葉から、脱線しましたね。
 その、読んでいた、かげろう日記の中に、床離れ(とこばなれ)と言う言葉があったのです。 
 なかなかに、奥ゆかしい響きのある言葉です。
 さすが、典雅な平安朝です。
 さて、この、かげろう日記の作者は、すごい美人だったと伝えられています。
 彼女は、19歳の時、藤原兼家の妻になります。
 この時の彼女を、一目で良いから、見たかったものです。  
 一番綺麗な年頃で、もし、十二単を着ていたら、そのまま絵になっていた事と思います。  
 でも、結婚生活は、19年で終わりを告げるのです。
 まだ、38歳です。
 老妻と比べたら、ピチピチの若さです。何と勿体ない。
 それなのに、夫兼家は、来なくなってしまったのです。
 兼家と言うのは、例の藤原氏の一族で、当時、権力の絶頂期ですから、女は、いくらでも、手に入れる事が出来たんでしょう。
 一声上げれば、間違いなく、1000人の美女が応募して来たと思います。
 分かりますか、何時の時代も、金が無いとね、女にはモテないんですよ。
 それで、応募者の中から、きっと、もっと若い、名器の女を見つけたんだろうと思います。
 で、この夫が来なくなる事を、床離れと呼んだのです。
 床離れと宣言すれば、それで、もう男は女の元に通わなくなり、愛の生活は、お終いなのです。
 実に、男にとって、天国のような言葉、開けゴマと同じです。
 でも、兼家はセックスはしないけど、彼女に対して、心の繋がりは残しているのです。
 だから、その後も、兼家は手紙をよこしたり、裁縫などを頼んでくるのです。
 彼女と言う、人間自体を嫌いになったと言うのではないんですね。
 この辺が、何か曖昧模糊としていますが、要するに、男の雄の部分ですね。
 純粋だった高校生の時、どうして、一人の女をずっと、愛さないのかなと思いました。
 それで、この床離れと言う言葉が、心の奥底にずっと、残っていました。
 先日、久し振りに、埃を払いながら取り出して、このかげろう日記を、一寸、読んでみました。
 高校生の時とは違って、まあ、これが男というものだな、と思いました。
 それが良いも悪いも、どちらにしろ、それが現実なのです。
 かげろう日記の本を、再び、書棚に戻す時、私は、ふと思いました。
 いやいや、平安朝でなく、今の時代に生まれて、ホント良かったな、と。
 と言うのは、あの時代、運良く、富裕階級に生まれていれば、兼家みたいな、楽しい、ピチピチギャル三昧が出来たでしょう。
 そうではなくて、貧困階級、農民の下層階級に生まれていたら、私は、死ぬまで、若い女の綺麗な身体を見る事ですらも、到底、出来なかった筈です。
 貧乏百姓の長男以下は、当てもなく、放浪するのが関の山だったと思います。 
 やがて、都で乞食になったり、気の強いものは、盗賊になったり、だったと思います。
 私なんか、気が優しいから、多分、乞食の中でも、一番下の部類でしょう。
 それで、乞食の親分から、命令されて、近くの百姓の家から、綺麗な若い娘を拉致して来い、なんて言われて居たと思います。
 ある日、女を盗みに行って、百姓の返り討ちに遭い、殺されて、お終い、そんなとこだったでしょう。
 当時、貧困階級が、女を手に入れるには、この略奪しか、方法が無かったんです。
<あの、若い女の乞食は居なかったのですか?>
 だから、若い女の乞食は、いないんですよ。
 若い女の乞食は、洗って磨けば、そもそも、身体は立派な女ですから、需要が数多、あったのです。
 だから、諺にもあるでしょ、女の乞食はいないって。
 さてさて、と言う事で、昭和の世に生まれて、ホント幸せでした。
<ならば、上州無線さん、富裕階級なら、平安の昔に、生まれたかったですか?>
<逆に聞きたいね、いいかね、床離れされて、悲しむ女を山盛り作って、あなたは、幸せを感じますか?>



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床離れ 便利な言葉 羨まし