上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

一握の金

 少し前に、石川啄木について書いた。
 彼の文芸的業績は残るけれど、少し廓通いが多すぎたようだと、多少、非難めいた感想を述べた。
 しかし、彼の人生を、もう少し精緻に見ると、また、別な感慨を覚える。
 年譜を見ると、啄木の人生は、始めから終わりまで、大きな不運の連続である。
 折角、東京に出て来て、詩人として成功しそうになったのに、父親の不始末で、一家離散、経済的安定的生活を失ってしまった。
 啄木は、当時の旧制盛岡中学に入学していますから、実家は、まあまあの富裕層だった事を物語っています。
 何しろ、旧制中学は、庶民の殆どは、入学できなかったのですから。
 ヨーロッパ中世の音楽家達も富裕層のパトロンがいて、経済的に安定していたから、自由に、何の心配も無く活動できたのです。
 いくら啄木と称しても、木を突っついて生きる訳には行かない。衣食住が保証されなければ何にも出来ない。
 社会主義思想に共鳴していた事もあって、住民とのトラブルが起こり、故郷を石もて追われ、函館に来て、やっと働き始めた矢先、函館の歴史的大火に遭遇し、失業。
 何か、不運が啄木に先回りして、待っているかのようである。
 気の毒としか、言いようがない。
 満19歳で恋愛結婚していたから、家族を養わなければならなかった。
 この辺も、何とかならなかったのかなと思う。
 好きな女と暮らしたい気持ちは分かるが、生活の見通しを確かめたのだろうか。
 でも、19歳だと、そんな事は無理ですね。
 とうとう、22歳の春、啄木は、母、妹、家族を残したまま、東京に出奔する。
 このまま、此処に居ても、自滅と思ったのでしょう。
 上京して、作品を発表しても、得られるお金は僅かでした。
 でも、未来に挑戦した気力は、立派だったと思います。
 ところが、此処でも、絶望的な不運に見舞われます。何処までも行っても、不運が追い掛けてきて、啄木を捕まえてしまうのです。
 それは、上京2年目、宿痾の肺結核で、喀血してしまいます。いつ頃、感染したのか、分からないが、当時、結核は不治の病でしたから、死刑宣告と同じです。
 そんな状態の時、啄木の所に、函館から、家族が逃げ込んできます。
 更に、何と行方不明だった父親まで啄木を頼って来ました。
 何か嘘か、小説みたいな話です。ここまで不運に見舞われてしまうのは。
 細々と貧困生活を送っていた啄木に、この多人数を養う力が無いのは明らかです。
 驚くべきは、この時期に、あの有名な、「一握の砂」を出版した事です。
 そうして、とうとう、病に勝てず、26歳で窮死します。
 詳細は省くが、妻も、母も、その他、近くに居た者も、後に、結核で亡くなっています。
 妻は、啄木死後、一年と少しで、同じく、結核で亡くなっています。
 溜息が出るほどの人生です。
 こうなると、あの貧困の中で、廓に通い、沢山の女を抱いたのは、そんなに悪い事では無い、寧ろ、誤解を恐れずに言えば、豪快な感じすら覚えます。 
 もう、俺の人生は、あと僅かに違いない、ならば、思い切り、好きな事をして死んでいこうと、思ったのかも知れません。
 貧困生活の中で、高いお金を出して、女を買う訳ですから、生活費は、ますます足らなくなったと思いますが、もう、そんな事、構うもんか、と思ったのでは無いでしょうか。
 遊郭での啄木の行動は、かのローマ字に日記に詳細に書かれています。
 内容は、別に、男なら普通の事です。
 しかし、啄木は、妻を嫌いでは無かったようです。(注1)
 それでも、多くの風俗嬢を抱く訳です。(注2)  
 それも、私は男だから、男の強烈な性欲が分かりますから、その行動を理解できます。
 でも、ですね。
 何とか、必死で性欲をコントロールして、その僅かな金、一握の金で、栄養のある食べ物を買えば、啄木自身も家族も、結核に対する免疫力が強化されたのではないかと思うのです。
 更に、薬代も、質屋通いせずとも、きちんと払えた筈です。また、生活も、ほんの少しでしょうが、楽になった筈です。
 何故、そうしなかったのか。やはり、もう絶望していたのですかね。
 それにしても、これほどの貧困なのに、凄まじいほどの男の性欲です。
 女性なら、こんな時、ホストを買いに行く事は、無いでしょうね。  
 何よりも、生活、薬代を優先しますよね。
 啄木は、オナニーすれば、性欲を我慢できたのでは?
 でも、オナニーは、18歳位までは有効だけど、通常の男ならば、オナニーのみで、性欲を抑える事は、可能な人も居るだろうが、殆ど不可能と思います。
 例の天国の神様が、精液を無駄にしないように、男の脳に、特別の回路を組み込んでいるからです。
 即ち、「出来た精子は、必ず、全て膣の中に入れよ」と言う命令が、男脳に、はっきりと書いてあるのです。  
 それにしても、26歳で終わった人生、余りにも短すぎました。
 そう言えば、私の中学時代の先輩も、その有り余る能力を持ちながら、27歳で亡くなった事を思い出しました。
 やはり、短い人生は悲しすぎます。
 せめて、最短でも、人生50年位は、長生きしなくちゃあ、駄目、駄目です。
 さて、文末になりました。
 妙な事ですが、もしかすると、先のブログとは異なり、私は、70%位、啄木の味方になったかも知れません。
 どうしてなのか、その理由は、今、明快に説明できませんが。 
 こうして、啄木の人生を改めて俯瞰すると、一握の砂は、その余りにも不運な人生と引き換えに生まれた、永久に輝く詩集と言えるかも知れません。
 最後に、
 貴女は、啄木みたいな夫と暮らしたいですか?
 貴方は、啄木の廓通いについて、どう思いますか?



注1 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。   
注2 「彼の借金のほとんどはこうした遊興に費やされ、それが為の貧困だった」と、
  金田一春彦氏は語っている。
筆者注 生活費を貸した筈が、女のために使われたとなれば、こうも言いたくなりますよ
   ね。


参考 啄木生没年 1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日



俳句


啄木の 人生見れば 我は幸