上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

雨音

 今朝は、台風が接近してるので、群馬は朝から雨が、少し降っています。
 空を見ると厚く雲が覆って、暗く如何にも陰鬱な感じです。
 こんな日は、散歩にも行けないし、困った事です。
 さて、友人の犬が死んで、彼は大層、落胆してるようです。
 私も、随分と前ですが、一年ほど飼った、ハムスターが死んだ時は、意外なほど、落ち込んでいる自分に気付きました。
 夜、飼育箱を覗いたら、彼は、箱の隅で動かなくなっていました。
 その時は、然したる感慨は、無かったのですが、翌日、片付けていると、寂しさが込み上げて来ました。 
 それほどには、世話をしてた訳でも無いんですがね。
 あれは、喪失感、ですか。小さくは無かったです。
 ところで、今は、ペットが死ぬと、火葬してお墓まで作るのですね。
 ある時、近所の大きな犬が死にました。
 そしたら、その家のおじさんが、自転車に、死んだ大きな犬を括り付けていました。
「その犬、どうするんですか? おじさん」
「端気川に捨ててくるんだよ」
 端気川とは、近くを流れていた、比較的、大きな川でした。 
 昔は、飼っていた犬、猫が死ねば、大抵は、庭に埋めるか、川に投げ込むか、そんな風に処置していました。
 友人は、もう十数年、その犬を可愛がっていましたから、その悲しみの大きさは、言わずもがな、です。  
 すぐ、また、別の犬をもらえば、と言いかけて、止めました。
 まあ、悲しみから脱却するには、それが一番早いと、私は思ったからです。 
 でも、それは、無関係の傍観者の思想で、本人は、そう言う気持ちには、なれないようです。
 ペットで、この喪失感ですから、我が子、伴侶を失った時の、喪失感、絶望感は、今の私には、全く想像できない事です。
 諺に言う、「死んだ子の歳を数える」と言うのは、正に、そんな親の気持ちなんですね。
 我が子を失った悲しみは、何年経っても、忘れる事は出来ないと思います。
 幸いな事に、私には、何度も書きましたが、鉄骨製の老妻が居ますので、伴侶を失う悲しみには、遭遇しないで済むと楽観視して居ます。 
 さて、私も古稀まで生きて来ましたから、その間、何度か深い悲しみに襲われました。
 まだ、若かった頃、あれは、冬の深夜でした。
 一人で歩いていましたら、白い道路に、自分の影が薄く映っているのに、気付きました。
 冬の夜、月は出てないのに、です。星明かりだけでも、うっすらと人影が出来る事を、その時、生まれて始めて知りました。
 悲しみに打ちのめされていたので、歩きながら、下ばかり見てたのでしょう。
 若くて元気な筈の青年が、きっと、今にも倒れそうな、情けない歩き方をしていたと思います。
 その悲しみから、回復するには、相当な期間、かかりました。
 その原因ですか? 若き男の悲しみは、決まってます。いわずもがな、です。
 大体、男の悲しみ、悩みは、一生を通じて、殆ど、仕事なんかでは無いです。
 仕事上の悩みは、頑張れば、能力を駆使すれば、何とかなるものだからです。
 でも、女の心は、頑張っても、どうにもならないんです。
 その女を好きになれば、なるほど、拒否された時の悲しみは、死に等しくなります。
 雄の一生は、どんな動物も、同じかなと思います。思えば、哀れなもんですよ。 
 さて、体を叩けば、即ち、物理的に叩けば、痛みを感じます。当たり前ですね。
 ところが、精神的に、ひどい悲しみに出会うと、物理的に叩かれたのと同じ痛みを感じるのです。
 中年の頃、また、ひどい喪失感を味わいました。 
 それで、こんな事に負けてなるものか、と、県営プールに泳ぎに行きました。
 その頃、水泳が趣味だったので、沢山泳げば、悲しみも吹っ飛ぶだろうと思ったのです。
 そしたら、泳いでいると、心臓が痛くなり出したのです。勿論、私は、心臓は何処も悪くなかったです。でも、実際に、痛いと思いました。
 続いて、胃の辺りも痛くなって来て、何か、体全体が痛いように思えてきました。
 とうとう、泳ぐのを止めて、プールの真ん中で、仰向けになって、ただ、浮かんでいました。
 時々、また悲しみが湧き起こり、涙が零れました。そしたら、不思議な事に泣いた方が、痛みが薄れたのです。
 それに気づき、我慢せずに、堪えずに、素直に涙を流すようにしたら、徐々に、痛みが引いていったのです。
 それで、私は、痛みの原因が、純粋に精神的なものだと、理解しました。
 生身の、肉体の不具合からの痛みでは、無かったのです。
 それにしても、泣くと言う動作に、こんな力があるとは、夢にも思いませんでした。
 人は、すごく悲しい時は泣きますが、実は、あれで、悲しみに対抗していたのですね。
 女性は、よく泣きますが、それで、悲しみにも強いのかなと思います。
 ですから、失恋しても、男みたいに、いつまでも引き摺って居ないように見えます。
 数日も経てば、もう元気で、学食で笑いながら、腹一杯食べてます。
 もう憎らしくなるほどです。
  余談ですが、私は、女の人が泣いていると、いつも抱きしめたくなります。
 でも、実行した事は無いです。勇気が、無いですから。
 さて、ずっと以前から、ストレスは、体に作用して、目に見える不具合を引き起こすと言われていました。
 しかし、私は、それまで、そんなストレス学説は、馬鹿げたものとして、全く信じていませんでした。
 でも、プールでの経験に鑑みて、精神と身体は、密接な相互関係にあると言う説に、始めて納得しました。 
 きっと、人間も、コンピョータと同じく、ソフトとハードで成り立っているのですね。
 そうであれば、こう言った深い悲しみから、できるだけ早く立ち直るには、どうするのが、最善の方法なのでしょうか。
 悲しみに何時までも沈んでいると、心身共に良くありませんからね。
 悲しみから、鬱病が始まったと、ブログにも、あったと思います。
 私の経験から申せば、出来るだけ、早期に、代わりの、人、ペットを見つけるしか無いと思うのです。
 すぐには、そんな気になれませんが、それしか方法が無いように思います。
 私も、ある時は、次の恋人が見つかり、一年もすると、もう以前の、女の子の事は、すっかり忘れる事が出来ました。
 まあ、若い時であれば、そういうことです。
 でも、歳を取るにつれて、気分転換が出来なくなり、痛みを永く引き摺るようになります。
 それは、結局、死ぬまで、お墓まで持って行くみたいです。
 でも、時間が経てば、少しずつですが、どんな精神的痛みも減少していきます。
 ですから、時間が経つのは、本当に有り難い事ですね。
 悲しみや悩みは、辛いですが、人間を鍛える面もありますから、ほどほどですが、時には、逃げずに向き合ってみるのも良い事かなとも思います。
 但し、それは体力ある、青春の時代に限定した方が良いかと思います。
 さて、先ほどまで、無音だったのに、微かな雨音が聞こえてきました。
 いよいよ、少しずつ雨脚が強くなるみたいです。
 今日は、何処にも行けそうもないので、部屋で、本でも読むしか無さそうです。
 アマチュア無線は、雨が降ると、雑音で交信できないのです。 
 皆様の地域で、被害が出ない事を祈っております。
   
  
俳句



雨音に 昔の友の 声がする