上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

雨滴

 古稀位の年齢になると、葬儀の連絡が入って来るのは、もう珍しくはない。
 現役の頃は、連絡があれば、殆どの葬儀に参加した。中には、故人と一度も面識が無いのに、参列したこともある。
 さすがに還暦過ぎてからは、その範囲を一気に縮小した。 
 さて、普通は、葬儀に参列しても、お焼香して終わりとなるから、格段の印象は無い。
 まあ、親しい友人だと、葬儀後、多少の喪失感、寂寥感はあるが、日常の意識に、大きな変化を及ぼすまでは行かない。
 ところが、親族の葬儀となると、お焼香だけでは終わらない。最後の火葬場まで、確実に行く事になる。
 これが、どうにも辛い。
 何故、辛いかと言えば、横たわる白骨を見ることになるからである。
 白い骨位、人生の空しさを感じさせてくれるものが、他にあるだろうか。
 何時か、そう遠くない日に、私も、こんな姿で、無言で、横たわることになるのだ。
 そうすると、平穏な日常意識が大きく揺さぶられ、陰鬱な気分に落ち込む。
 しかし、いつまでも陰鬱な気分で居るのは、日々の生活に良くない。
 だから、私の葬儀参列後の、定番行為は、なるべく早い機会に、綺麗なミニスカートのお姉ちゃんを見に行く事、なのだ。
 華やかな若いお姉ちゃんを見れば、忽ち、一匹の雄に戻り、空しい白骨は雲散霧消、陰気な気分も、どっかに吹っ飛んでしまう。これで心理的バランスが回復する。
 先般、姉の夫、義兄が亡くなった。
 姉とは、冠婚葬祭とか、即ち、何か用が無ければ会わないと言う、比較的、縁の薄い姉弟である。でも、決して仲が悪いという事では無い。
 ところで、姉の家は、群馬から行くのに5時間も要する遠い所にある。
 だから、甥から訃報の電話をもらった時、半日もかかる遠い所まで、葬式に行くのは、正直、億劫な気がした。
 甥は、葬儀の日時を伝えた後、こう言った。
「叔父さん、遠いですから、それに身内だけの家族葬なんで、来るには及びません」
 家族葬なら、我が父の時に、私がやったことだ。そうか、そういう事か。
 「それなら、そうするかな」と答えた。勿論、香典、花輪代は、別便で送るつもりだ。
 電話を切った後、うっかり安易な返事をしてしまったと思い、暫し、考えた。
 待てよ、これは距離の問題ではあるまい。
 姉と義兄は4歳違い。ならば、姉も、そう先のことでは無い。
 だとすれば、今までのことを考えると、これが最後となるかも知れない。
 それに、いくら、日常的に疎遠とは言え、真の姉弟である。余程の理由があったとしても、葬儀に行かないのは、私の人生哲学に反する。行くべし。
 甥の電話の後、暫くして、今度は、姉自身から電話が来た。兄は通夜に来ると言う。
 それを伝えて来たと言うことは、姉が「お前も来て欲しい」と言う意味に違いない。
「姉御、あのさ、息子さんには、欠席と言ったけど、実は、考えが変わってね、行く事に決めました。だから、間違いなく、通夜、本葬に行くよ」
 本葬当日。
 姉は、しっかりと振る舞っていた。まだ、夫が亡くなったと言う実感がないのだろう。
 長い読経の間にも、姉の姿勢は崩れることはなかった。
 これは、よく聞くことだが、大勢の人が居る間は、気が張っているという事だ。
 さて、伴侶を失うことの辛さが、どの程度のものか、今の私には全く想像できない。
 ソ連の元大統領ゴルバチョフが、ソ連崩壊後、60歳代の時だったと思うが、最愛の妻を亡くした。
 あのタフと言われた、ゴルバチョフ大統領でさえ、「この歳になって、この辛さは耐えられない」と弱音を吐いた。
 葬儀場で悠然と振る舞っては居るが、きっと、姉の気持ちも、ゴルバチョフ大統領と同じ事だろう。
 さて、お焼香後、山深き火葬場に移動した。もう残っているのは、殆ど親族だけである。
 白い棺が焼き場の釜の前に静かに設置された。いよいよ焼却である。
 やがて、係員が、ゆっくりと棺を前に押し出した。棺が動き出した瞬間、側で並んでいた姉が、突然、一歩、前に飛び出した。
 私は、驚いた。まるで姉が棺を取り戻すように見えたからだ。
 姉は、体を前に傾けたまま、奥に進んで行く棺をじっと見つめた。
 鉄の扉は、見つめる姉を拒否したまま、音も無く、すぐに閉まった。
 でも、姉の気持ちは、よく分かった。
 死んでも遺体がある内は、まだ、夫は、この世に居る。しかし、焼かれてしまえば、もう、本当に夫は居なくなってしまう。
 老妻に依れば、姉は、棺が、焼き釜に入った後、気を失いそうになったと言う。
 気丈に振る舞っては居たが、姉は、限界寸前で、辛うじて持ち堪えていたのだ。
 その後、焼却が済むまで、いつもの会食である。
 テーブルの前にいる、甥の小さな娘を見て、我が娘の小さかった頃を思い出した。
 老妻も、そう感じたと見えて、しきりに話して掛けている。
 我が娘達との過ぎ去った日々が、ひどく懐かしい。 
 ほどなくして、連絡が来て釜の所に行くと、既に、白い骨が台車上に横たわっていた。近づくと、まだ、かなりの熱が照射され、顔が熱く感じられた。 
 例の箸渡しも終わり、お骨は壺に収まり、雨の中、元の葬儀場に戻った。
 これで、葬儀は、無事、すべて滞りなく終わった。
 先ほどまで控え室に居た親族も、殆ど居なくなってしまった。
 さて、これから遠い群馬まで帰らなくてはならない。私は急いで礼服を着替えた。
 まだ残っている、僅かな親族に最後の挨拶をと思い、荷物を手にしながら、控え室に行くと、姉が茫然と、一人で立ち尽くしていた。
 立ってる姉の姿は、ひどく寂しく見えた。それで、私の心に、突然、何かが生じたらしい。
 私は、姉に、そっと近づくと、姉をしっかりと、何度も何度も、抱きしめてやった。
「気を落とさないでね」
 胸の中に入った姉は、驚くほど小さかった。こんなに小さかったかな。
 突然のことで、姉は、びっくりしたかも知れない。でも、父親譲りの、肩幅のある、私の胸の中で、姉は、無言のまま屹立していた。 
 甥に別れを告げ、降りしきる雨の中、私は、老妻と葬儀場を後にした。
 ローカル線で1時間、上野駅まで行き、それから、始発の東京駅まで戻った。
 強い雨の中、東京駅から新幹線がゆっくりと動き出すと、私は、椅子を大きく後ろに傾けた。そうして、ゆっくりと深呼吸をした。
 ひどく疲れた。でも、来て良かったな、と思った。窓には、雨が激しく当たり、それは無数の太い筋となって流れ落ちている。
 絶え間なく、流れ落ちる雨は、いつしか、姉との思い出を運んで来てくれた。
 私が5才位の時、姉と道路で落ち葉焚きをした。昔は、土の道路だし、焚き火をしても文句を言う人は、誰も居なかったのです。
 その時、フィルムが余っていたのか、父が写真を撮ってくれた。当時としては、珍しいことです。
 その焚き火の写真を、私は、今でも、よく覚えているのだ。
 焚き火の側で、姉と小さな私が並んで立っている写真。私は左手に木の枝を持っている。それで焚き火をかき回したのだろう。
 その写真は、もう無い。実家の火災で焼失したから。
 学生時代、まだ新婚三ヶ月位だった姉のアパートを訪ねたことがあった。
 一人で留守番をしていた姉は、突然、私がドアを叩いたものだから、驚くと共に、ひどく喜んだ。それで何と一万円をくれた。当時の一万円です!。 
 姉は、嬉しくてたまらず、もう何も考えずに、訪ねて来た弟にお金をやったのだろう。
 その後、姉は生活費で困った筈である。私は、その金を、勿論、帰りの秋葉原で電気部品を買うのに、全部、使ってしまった。
 まだ学生だったから、姉の生活費までは、頭が回らなかったのですね。
 さて、長旅の後、自宅に戻ると、疲れたのか、何もする気がしなかった。暫く、茫然でした。
 それで、早めに寝ることにした。既に、ベッドで横になり、テレビを見ていた老妻に言った。
「遠くて疲れたけど、まあ、姉も喜んだと思うし、行って良かったよ」
 私の言葉に、老妻は何を思ったか、いきなり、起きると、ベッドに座り直した。
「そうね、行って良かったよね。貴方、すごく立派だったね、とても偉いよ。とっても素晴らしかった」
 幾分、興奮気味に言いながら、老妻は大きな拍手までした。老妻が、これほど私を褒めて、拍手までした姿は、今まで一度も見たことがなかった。
 葬儀に参列して、こんなに褒められるのは、全く想定外のことでした。
 さて、明日は、どこかに行って、気持ちのバランスを取るとしよう。そうしないと、陰気な気分が何時までも晴れないから。
 それにしても、人間の骨は、すごく白いのですね。暗い部屋でも浮かび上がって見えました。




俳句


矢のように 走る列車に 雨滴散る