上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

小さな手

 恥ずかしながら、私は体毛が薄い。それは若い時からのコンプレックスだった。
 胸、脇、腕、脚も、殆ど毛が生えてない。ほんの僅かだ。陰毛は、銭湯などで見る限り、まあ、何とか普通程度には存在する。
 ところが、頭髪だけは、ライオンの立て髪のように、ものすごい量の毛があったし、いまもある。
 体毛が少ないのは、母に似た。母は色が白く、体毛は殆ど無かった。
 子どもの時、母と風呂に入ったが、下腹部にも、申し訳程度の毛しか無かった。
 頭髪が多いのは、父からの遺伝だ。
 父は、体毛は普通位だったが、頭髪は濃かった。95歳で死ぬまで、禿げる事は、一切無かった。
 だから、学生時代、プールなど行くと、体毛の無い私は、恥ずかしくて仕方なかった。
 見かけは、がっちりした体型なのに、何処にも毛が生えていないのである。
 体中に毛が生えていれば、逞しく見えるし、また女の子にも好かれるだろうと思って居たから、毛深い友人を見ると、羨ましくて仕方なかった。
 今、振り返っても、若い時は頭髪が多いことで、得したような事は何もなかった。
 ところが、古稀になった今、頭髪の多さは、ほんとに有り難い事と思って居る。
 と言うのは、同級生の多くの者は、もう、かなり禿げているからだ。
 「このハゲー!」と、女性に罵倒される対象には、誰しもなりたくないものだ。 
 恐らく、父親似の、この頭髪は、死ぬまで禿げる事は無いと思う。
 さて、いつも登場する老妻だが、彼女は、私と正反対である。
 今思えば、もしかすると、正反対のパートナーを無意識に求めていたのかも知れない。
 丁度、身長の低い人が、身長の高いパートナーを求めるように。
 産まれてくる子供が、体毛の薄い事でコンプレックスを持ったら、気の毒だ。
 そうかも知れない。
 だから、老妻は、頭髪は普通だが、その他の部分には、しっかりと毛が、生えている。
 まあ、老妻の場合は、その身体的逞しさが、陸上競技では、大きなエネルギーになったのだと思う。少しもマイナスの事ではない。
 でも、老妻自身は、若い頃、腕や手の指に生えている黒い毛に、ひどくコンプレックスを感じていたらしい。
 うーん、一応、女性だからね。
 私には、とても信じられない事である。若い頃、体毛の生え薬があれば、私は、すぐにでも使っていた筈である。
 それにしても、人間とは面白いものだ。同じ現象が、ある人には優越感と感じられ、また別の人には、劣等感になる。
 長女は、老妻に似たから、色白で体毛は濃かった。老妻に似たことを愚痴っているのを聞いた事がある。女の子には、濃い体毛は不要かも知れない。
 次女は、私に似た。体毛は、殆ど無かった。
 次女が、五年生の初め位だったか、一緒に風呂に入っていた時、
「パパ、毛が生えてきたよ」と言って、可愛い陰毛を見せてくれた記憶がある。
 よく見たら、三本位、薄い毛が生え始まっていた。
 残念な事に、その後の記憶は無い。恐らく、それ以後は、もう一緒にお風呂に入らなくなったのだろう。
 せめて、高校卒業位までは、一緒にお風呂に入りたかったものである。
 さて、体毛もそうだが、子どもとすれば、親の良い形質だけを受け継ぎたいものだ。
 だが、遺伝だから、そんな希望は叶える事は出来ない。
 私の手は、肩幅などに比べると、やや小さい。これは、母の手に似たからである。
 本当は、野球のグローブのように大きかった、父の手に似たかった。
 それで、若い頃、手の小さいのが不満で、私は、母親に愚痴を言った事がある。母は、ただ笑っていた。
 やがて、歳を取ると、手の大小など、どうでも良くなった。これから、格闘技の試合に出る訳でもない。腕力など、もう不要だ。
 小さな手は、母の形見である。時に、手を見つめて、母を思い出すことがある。
 それは、風呂場で裸になって、鏡に写る両肩を見た時も同じだ。
 肩幅のある、盛り上がった両肩は、亡き父にそっくりだ。 
 私という人間は、正しく、父と母の子なのである。
  


俳句


花活ける 見つめる母は 小さき手