上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

ノースリーブの紐

 今朝はトイレで座ると、秋がやって来たなと感じた。お尻がヒヤッとしたからである。
 すなわち、春は山から、秋は尻からやって来るのである。
 季節は、気付かぬ内に、流れる雲と共に、確実に変化していく。
 それでも、秋になると、やれやれとホッとする。
 古稀青年に、夏はとても厳しいからである。大体、50歳辺りから、夏は苦手になった。
 学生の頃は、夏が大好きだった。
 半袖を着て、焼け付くような午後、煌めく太陽の下を当てもなくフラフラと歩いても、楽しいだけだった。
 背中に夏の陽光を感じ、その燃える暑さに、却って心が躍ったものだ。
 学生時代は、何も無い一日というのは、無かった。
 必ず、何かとの出逢いがあった。また、その出逢いを期待していたから、一日が長く、楽しかった。
 私は、ノースリーブの女性の、優しい肩のラインが、特に好きだ。今でも、そうだ。
 街で、ノースリーブの女性が来ると、思わず、その肩を抱き寄せ、撫でたくなる。
 女性の肩は、どうしてあんなに魅力的なのだろうか。
 そのノースリーブで、肩紐がチラッと何かの折りに見えたりすると、どんな男も発狂してしまうらしい。私もそうだった。
 でも、いつ頃か、常に、肩紐を見せるフアッションが流行りだした。
 男達の心理を察知したものらしい。
 でも、そうなると、もうつまらなくなった。
 不意に、見えるから、楽しく魅力的だったのだ。いつも見えてたら、つまらない。
 それにしても、夏の日、キャンパスで見かけた、あの可愛いノースリーブの女の子達は、何処へ行ってしまったのだろうか。
「おおーい、君たちはどこに行ってしまったの?」
「此処よ。此処に居るわよ」
「えっ、どこ? そこは何処なんだ」
「公園近くの老人ホームよ」


 さて、1週間位前の新聞に、また、例の記事が載っていた。
 給食を残した小学一年生に、無理に食べさせたら、7人だったか、吐いたと言うものである。
 食べる事を強制したのは女子教員である。何故か、この事件で男性教員は見た事がない。
 ずっと以前、私のブログにも、この事は書いた。
 50年前にもあったし、今後、また起こるだろうと。
 私の娘も、小一の時、無理に食べさせられて悩んでいた。3月生まれだったから、一年位も違うし、女の子だから、沢山食べられる訳が無い。
 給食指導等という訳の分からぬ、言葉が教育現場に残る限り、この強制的に食べさせると言う事件は、必ず、何度でも起きる事だろう。
 実は、この根底にある思想は、かなり残酷で闇が深い。  
 要するに、集団の構成員と異なる行動、容姿の者は、抹殺するというものだからだ。
 みんなと同じように食べられない者は、その存在を否定するのだ。
 アフリカの黒人国に、色の白い人間が誕生すると、周りから攻撃を受けて、やがて殺されてしまう。同じ原理である。
 アルビノは遺伝的な突然変異に過ぎないが、その存在は許されないのである。
 全身が真っ黒な仲間と、まるで違う容姿をしているからである。
 つい先日の新聞にも、脳をくり抜かれてしまったアルビノ青年の記事が載っていた。
 これは、人間だけで無く、他の動物、例えば、ライオンなどにもある。
 仲間と同じ行動をしない、奇妙な行動をするライオンを、周りの仲間が噛み殺してしまうのである。
 ある程度の高等動物の脳に中に書かれているプログラムらしい。
 このプログラムが、小学一年生に、食べ物を残さず食べろ、と言う行動を強制するのである。
 今後も永遠に繰り返される事だから、もう、この事について、意見は述べない。
 無駄だからだ。 


 秋になると、初めて赴任した山村の光景を思い出す。
 紅葉した落ち葉が、谷川を赤い絨毯で埋めていた。百人一首の歌の通りであった。
 駅前の下宿に初めて泊まった夜、駅の構内で何か事件があったようだ。
 朝になって、前の家のおばさんが話してくれた。
「駅の構内で、熊の母子が電車に轢かれて死んだのよ」
 これはまた、すごい山奥に来たなと思った。
 秋風に乗って、色々な思い出が脳裏を駆け巡っている。




俳句


峰に立ち 遙かな故郷 思い出す