上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

無電手伝説

 電信の習得について、以前、ある事を書いた。
 古い電信教科書に、嘗ては、100字遅れ受信ができるほどの、凄腕の無電手が居たとの記述があった。
 それで、私は、あの話は、初心者のための激励の話であって、実際は有り得ないだろう、と書いた。
 ところが、最近、ある事に気付き、考えが変わった。
 暫く前まで、日本でも、沿岸局や商業無線で電信が使われていた。そこの通信係は、勿論、電信を受信し、解読する事が出来た。
 でも、彼らには、それほどの高い受信能力は不要だったと思う。
 何故かと言えば、電信を一回目で受信出来なかった場合、もう一度送って下さいと言えば、再度、送信されて来たからである。
 二回目となれば、聞き取れなかった箇所に、より注意するから、今度は容易に受信出来るだろう。
 魚は何トン捕れたか? 分からなければ、聞き返せばよい。
 終わりの部分がよく分かりません。これには、「ラスト」という略符号が用意されている。
 略符号が用意されているということは、逆に言えば、その状況が、よく有り得た事と言う事だ。何度も使うから、略符号が用意されたのだ。 
 とは言え、余り何度も聞き返すようでは、無電手としては失格でしょう。
 でも、要するに、聞き返す事が出来る中での、電信通信だった。
 ところが、そうで無い電信通信があったのだ。
 それは、戦時、軍艦などに搭乗していた無電手の場合である。
 送信は、たった一度きりである。
 何度も送信していたら、すぐ敵国に傍受解読されてしまうからである。
 日露戦争の時、信濃丸は三六式無線機で「敵艦見ユ」の暗号電文を送信した。
 この暗号電文を送信し、受信した人達は、命をかけて、送信、受信をしたと思う。 
 この電文のお陰で、小国日本は、バルチック艦隊を撃破、大国ロシアに勝利し、その後、発展の途を辿る事が出来たのである。
 この無電手達の事を思う時、彼らは、100字位の遅れ受信は出来たと、私は思うのである。いや、絶対に出来たと思う。
 と言うのも、100字の遅れ受信をも可能にする、厳しい血の滲むような練習を、それこそ雨の日も風の日も、毎日行い、そうして、彼らは、命をかけて軍艦に乗り込んだのだ。
 今時の趣味や遊びのアマチュア無線とは訳が違う。
 また平時の商業通信とも、全く違うものだ。
 彼ら無電手は、どんな電信であっても、一字をも聞き逃さないぞという、強烈な自信とプライドを持っていたと思う。
 その彼らであれば、100字の遅れ受信も可能であったろう。また、そうで無ければ、軍艦に乗る勇気は持てなかったと思う。
 彼らこそは、正に電信送受の神様だったのだ。
 私は、趣味のアマチュア無線や、平時の通信を基準にして、昔の電信の水準を考えていた。
 よくやる間違いだが、今の時代の物差しで、過去の歴史や、行動を推断してはならないのである。
 電信が遊びの道具では無くて、一国の運命を決め、戦争の勝敗を決する時代があったのだ。
 その時に生きていた、無電手は、今の我々とは、全く違うのである。
 先般のブログで、私は、100字遅れの話は、激励の神話だろうと、いい加減な判断を下してしまった。
 そうでは無かった。電鍵を打つ空間、時代が、違うのである。
 何度も言うが、我々アマチュア無線家は、遊びのために電鍵を叩き、明治の無電手達は命をかけて、国を守るために、電鍵を叩いたのである。
 そういえば、以前、会った元予科練の通信兵でさえも、すごい電信マンだった。
 その予科練通信兵の何十倍の電信送受能力を持っていたのが、軍艦に乗っていた無電手達だったと思う。
 その能力や、推して知るべしである。
 ここに至って、軽率なアマチュア無線家の判断を深く恥じ、訂正する次第である。
 さて、死ぬまで毎日練習をして、少しでも電信の神様に追いつきたい。
 追いつけたら、その時、私の目の前に、どんな光景が広がっているのか、それを、是非、自らの目で確かめてみたい。


追記
 過去の事は、やはり、その当時の人だけが知る事なんでしょうね。
 昔のボクシングチャンピオンは、もっと強かったなんて、よく言いますが、それもやはり、一緒に生きていた、当時の人だけが知る事かなと思う。
 ベルサイユ宮殿なんて、すごい建物と思うけれど、当時、もし、入ったら、そこら中、ウンコの匂いだらけで、私は窒息死したかも知れない。
 何故なら、昔の建物は、トイレが無かったから。歴史の本に出て来る、あの魅力的なドレスを着た貴婦人達も、庭の茂みの陰で、ケツ捲くって、ウンチとオシッコをして居たのです。
 時代が違うと、トイレ事情、一つにしても、これだけ違うのです。  
 そう言えば、私の子どもの頃、既に、トイレは家屋に付属してました。だから、ベルサイユ宮殿より、ずっと進歩してました。
 でも、実情は、信じられないほど、ひどかったのです。
 上州の空っ風は、強風で、今の台風並みです。
 冬、トイレで頑張っていると、下から、ウンコが強風で吹き上げられて来たのです。
 これ、信じられますか?
 勿論、咄嗟に、ウンコの吹雪から逃げる事は出来ませんでした。 
 水洗トイレ時代の人々には、到底、信じられませんよね。
 これが、時代の差です。
 また、当時、トイレの床は、貧弱な木製で、下に、そのままのウンコとオシッコが溜まっていました。そのため、下からの湿気で、床板は、大抵、腐食して居る事が多かったです。
 ある人が、友人の家に行き、トイレに入ったら、かなり体重のある人だったので、腐食していた床板が壊れ、その人は、床ごとウンコの中に転落した、と言う話もありました。
 その人、ウンコの中から、懸命に這い出したとは思いますが、そのあと、誰が世話してくれたんでしょうか。
 ウンコを洗い流した人達も大変な事だったと推察します。
 食欲が無くなる話になりましたので、この辺で終わりにします。 
  



俳句


電鍵を 叩く音あり 冬の夜