上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

我が無線人生<5> 紳士の口説き

 中学に入学すると、いよいよ無線に凝り出した。JA1CNE著のラジオ製作ハンドブックを擦り切れるほど繰り返し読んだ。その本は実家が火事になったので、今はもう手元には無い。思い出の本なので、惜しかった。
 勉強は出来たけど、ラジオ製作に夢中になって、勉強の方はしなくなった。
 勉強で頭が鍛えられるのだから、これは後で気付いた事だが、それなりにしておけば良かった。 
 この頃、単球ラジオを作った。確か、1T4と言う電池管である。よくは聞こえたが、余り満足した記憶は無い。
 部活は柔道部に入りたかったが、新設の中学校だったから、道場も体育館も無い。それで仕方なく、バスケット部に入った。
 柔道部があれば、私の人生も少しは変わっていたかも知れない。 
 この一年生の時に、クラスの女の子を好きになりました。目の可愛い子でした。
 授業中は、黒板を見ないで、専ら、その子の方ばかり見ていました。
 私の好みは、記憶を巡らせると、可愛い女みたいです。完璧な美人には余り興味ないみたいです。
 もう一つは、白人女みたいな子です。これは私自身の遠いルーツを懐かしんでいるのかも知れません。
 半年位、その女の子に熱中していましたが、その後は、熱が冷めてしまいました。
 理由は何だったのか、今でも、よく分かりません。
 この子とは、父が亡くなった時、ある葬儀屋に入ったら、偶然、この子が出て来たので、内心、ひどく驚ろきました。
 でも、お互い、何も言いませんでした。私の熱が冷めた事は、向こうも知っていたのかも知れません。今でも思い出す事があります。可愛い女の子でした。
 さて、中一の時、〇〇科のN先生は、男の先生で、なかなか貫禄のある紳士でした。
 で、ずっと後ですが、老妻が、ある中学校で、このN先生と一緒に勤めていたことがあります。もう、その時、N先生は校長でした。
 ある日、老妻が校長室に呼ばれました。
「ねえ、貴女、時間が割ける日は無いかねえ。一緒に何処か行きませんか」
「・・・・」
「都合の良い日があったら、連絡して下さい」
「・・・」
 老妻は、帰宅して、私に、当惑しながら報告してくれました。
 基本的に、N先生は善人の紳士でした。でも、男は、あっちの話となると、別なんですね。臍から下は、別人格なんてのが、ありましたっけ。
 それにしても、N先生は、私の事も、老妻の事も、熟知していた筈です。
 私は、中学校では、生徒会長もしてましたから、教え子の私を、N先生が知らない筈は無かった。また、音楽のアンプなどの話も、二人でした事がありました。
 選りに選って、元教え子の妻を口説いた訳です。いや、驚きました、これは。
 親しかった写真屋さんの話に寄れば、N先生は東京の有名場所にも、よく通っていたとの事です。
 でも、人間的には、実に、いい人でしたから、私は憎む気持ちには、毛頭、なりませんでした。男とは、そんなもんなんです、きっと。
 その後、会議などで、何度か一緒になりましたが、普通に世間話をしていました。N先生も、全く素知らぬ顔をしていました。
 また、何十年も過ぎて、ある日、街中で、誰かに呼ばれました。振り返ると、N先生が笑顔で立っていました。もう、すっかり老人姿でした。
「〇〇しゃーーん、〇〇しゃーん」 
 妙な発音。見ると、歯が三本位しか見えなかった。老齢で抜けたのでしょう。
 その後、半年位で訃報欄にN先生の名前が載りました。あの時が、最後でした。
 まあ、老妻も、若い時は、なかなかモテたようです。当時は、ウェストも、きちんと在りましたからね。今ですか? うーん、コメントは差し控えます。
 後はですね、中一の頃、子どもはどこから出て来るか、男達の討論の対象となりました。屋上で、射精、おっとと、写生しながら、よく討論したものです。
 この時期の男の子は、何も知らないんですね。
 で、何日も討論した結果、臍から、子供は産まれてくると言う結論になりました。
 赤ん坊は、臍の緒で結ばれている訳ですから、正に、正論でした。


  


俳句


中一も 遙かな昔 双子山
(双子山は中学校近くにある古墳です)