上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

貧困の威力

 松本清張の本は好きで、よく読んだ。小説作りでは彼の右に出る人は居ないと思っている。どの小説を読んでも、退屈をした事が無い。
 勿論、推理小説や歴史小説だから、寝転んで読むのが相応しい。
 ある時、清張の自伝らしきものを読んだ。余りの貧困さに驚いた。
 彼の小説に明るさが無いのは、ひどい貧困の中で育った事が大きな原因だろう。
 もし、彼がもう少し豊かな家庭に育てば、作風も思想も随分と違ったものになっていたと思う。
 彼が左翼思想の持ち主だった事は、多くの事実から明らかである。
 どうしようもない貧困の中で育てば、現実の社会を構成している資本主義社会に反発を覚えるのは、無理も無かったと思う。
 あれだけ沢山のベストセラー小説を書き続けたのだから、晩年は、文化勲章位もらっても当然だったと思うが、やはり、左翼的立場が影響したのだろう。芥川賞の他には、重みのある賞は一つも受賞していない。
 清張は、本人が公言しているように森鴎外が好きであった。しかし、夏目漱石については、余り良い評価はしていない。
「鴎外と漱石を比べれば、鴎外の方がよほど大人です」とまで言っている。
 これは、かなり厳しい言い方である。漱石は子どもになってしまう。
 それほどの差があったとは思えないし、100年後の今、両者を比べてみて、どちらの作品が多く読まれているかは、歴然である。
 漱石は子どもでは無い。
 ただ、清張が漱石を疎んじる気持ちは、何となく分かる。また、それは清張の言葉を知らなくても、容易に想像出来た。 
 明治の文豪で並び称せられた、漱石と鴎外だが、その人気や華やかさを比べると、漱石の方が圧倒的に、上である。
 漱石が多くの門下生を持ち、幅広い人脈を有していたのに比べ、鴎外には、それに匹敵するものは無い。
 作品にしても、漱石のユーモア溢れた作風は、多くの読者を惹きつけた。それに対して、鴎外の作品は、やはり、固すぎたし、難解漢字も多すぎた。端的に言えば、読み難かったのである。
 鴎外は軍医総監であり、厳然たる社会的地位を有していたから、それを振り捨ててまでの作品を書く訳には行かなかったのかも知れない。
 一方、漱石は帝大教授の職を辞して、天下ご免の素浪人となって、作家の道に進んだ。もう何を書くにも、遠慮する事は何も無かったのが漱石である。軍医総監の鴎外は、そうは行かない。 
 この辺に、小説に対する意識の差があったと思う。
作家に全人生を掛けた漱石、二足のわらじの鴎外。勝負はついていたと思う。
 さて、この漱石と鴎外を比べて、松本清張がどちらに手を上げるか、は、実は、聞く迄も無かったのである。
 恵まれない境遇にあった者は、幸運な人生を送ってた者に、決して賛意を表しないものと決まっている。
 もし、生前の清張に、長嶋と王のどちらが好きか、と問えば、間違いなく、王と答えた事だろうと思う。華やかで人気抜群の長嶋に共感するものは何も無かった。あるとすれば、羨望位だっただろう。
 清張が鴎外を支持した理由は、作風にもあったようだ。清張は、綿密な取材を行い、多く事実を集め、そこに想像力を加えて、小説を作り上げた。鴎外も似たような手法である。鴎外の小説が「歴史そのまま」と称された所以である。
 対して、漱石の小説は、勿論、事実に立脚しているが、同時に、漱石の想像力が大いに発揮されている。清張は、それを、頭の中で作った小説と酷評している。
 やはり、自分に似た人を支持するのは、人情として、否めない事である。
 清張は、創価学会や共産党の幹部とも親しかった。これも、作家になる前の凄まじい貧困時代の影響である事は間違いない。
 青年期までの貧困は、その人間の思想形成に、大きな作用を及ぼすという事である。
 松本清張が、もし、豊かな家庭に育ち、漱石のように東京大学を出ていたら、どんな作家になっていた事だろうか。
 最後まで、体制側の人間として生きなかった松本清張は、殆どの賞とは無縁だったが、それでも、娯楽対象としての小説作りでは史上最強だと言うのが、私の持論である。
 付言すれば、私は、小説を研究対象とする立場には与しない。小説は寝転んで読むもの、と決めている。学術論文では無い。読んで感動や楽しみが無いものは、小説では無い。 




俳句  


盆過ぎて 暁の窓 暗くなる

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