上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

白紙のページ


 中学一年生だった。夏休み明けの始業式。校長先生が、「本校の生徒、A子さんが一昨日、亡くなりました。ご冥福を祈りる次第です」
 A子さんは小さな女の子で、小学生の時からずっと一緒でした。中学に入ると、別クラスになった。殆ど話したことは無い。全く目立つ存在では無かった。
 小学校卒業の文集に、A子さんは、
「あたしは何時までもお母さんと一緒に居たいと思います」
 他の子は、男の子も女の子も、どの子も、野球選手だ、歌手だ、宇宙飛行士だ、女優だ、などと書いてある。
 作文内容が余りに他と隔絶していたので、私は無意識に、A子さんの作文を鮮明に覚えていた。その子が亡くなった。
 60年過ぎても、未だに、覚えている。
 生まれて13年位で亡くなり、何も出来なかったろう。
 その人生の幸せ色は余りにも薄過ぎるではないか。
 人生が一冊の本であるとすれば、死んだ後のページには、何も書かれてない、白紙のページが続くという事だ。真っ白な色が、ずっとずっと何時までも続く。
 いくら、捲っても、もう何も書かれていない。もう何も聞こえて来ない。
 
 夭折した同級生は他にも二人居る。
 高校の同級生、大学の同級生、今も忘れる事はない。
 不思議な事に、二人とも、父親が早くに死んでいる。
 片親の所に、嫁にやるな、と伝承は、当たっているのかも。
 
 もう一人、27歳で夭折した先輩の事は、余りにも不憫な人生で忘れる事が出来ない。
 貧しい妾の子どもだったと言うが、有り余る才能があったのに、何故、この世に長く生きる事が出来なかったのか、今でも解く事の出来ない疑問である。
 最近、その先輩の人生を偲んで、私の推測で、彼の人生を描いてみたいと思うようになった。
 彼はどんな人生を送ったのか、それを知る手段はもう何も無いが、私なりの推測で、彼の人生をデザインしてみたい。
 
 ところで、古稀まで生きてきた私は、幸せなのか。
 雨降りの日曜日、遠い記憶の流れ。
 昼寝の夢がまだ続いているのか。
 でも俺は、まだ生きて行こうぜ。まだ生きていける生命を持ってるんだから。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。