上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

我が無線人生<3> 人生最初の対決


 小学校での最初の思いでは、沢山ありますが、まずは、立ち回り、喧嘩です。一年生の時でした。
 ある日、クラスのガキ大将と仲間二人が私のところに来ました。要するに、喧嘩しに来たのです。もう理由は忘れました。どうせ、大したことじゃあ無かったでしょう。
 まず、ガキ大将が、てめえ、と言って、私の胸元を掴んできました。
 すると、私は反射的に相手の襟と腕を掴み、父直伝の小内刈りを無意識に掛けていました。ガキ大将とは言っても、小一です。それに柔道も知りませんから、ものの見事に技は掛かりました。相手は転倒し、後頭部を打って泣き出しました。
 それで、終わりになりました。以後、ガキ大将が私に因縁を付けることは無くなりました。それどころか、一目置かれるようになりました。
 父は戦前の特別高等警察官でした。特高と称され、余り民間での評判は良くなかったようです。スパイや思想犯の検挙が主な仕事だったからです。
 父は仕事柄、柔道もやり、幼い私達兄弟に柔道を教えてくれました。でも、やる気になったのは私だけだったです。姉は女ですし、兄は温厚な人柄でしたから。
 それで、小学五年生から、前橋駅近くの町道場に通うようになりました。まあ、小学生ですから、遊びみたいなもんですが、それでも、柔道の基本の動作や感覚は身に付きました。このまま、柔道を続けていたら、私も警察官になっていたかも知れませんね。
 でも、柔道をやっていた恩恵は、その後もずっと、感じました。
 退職して、家の風呂場で、二度、不意に転倒しましたが、いずれも後頭部を打つことも無く、怪我無しでした。これも無意識に体が動き、安全な倒れ方をするからです。 しかし、三度目があってはたまりませんので、風呂場の壁に、「滑る、要注意」と、マジックで書いた紙を貼り付けました。これで大丈夫の筈だったんですが、風呂に入る時、この紙を見るのを忘れる時があるので、困っています。
 それ以外にも、柔道の反射神経でしょうか、何かの折りに、体がバランスを失って倒れたという事はありません。不意に石に躓いたり、木から落ちても安全な体勢を取っていました。
 高一の時でしたか、榛名山の急な草原を無謀にも駆け下りていた時、でこぼこに躓きました。勢いが付いていたので、空中に高く舞い上がりました。自分でも滞空時間が長いなと思いました。5メートル位、先に落ちました。でも、ちゃんと背中から落ちて、ショックを最小限にしていました。あれは大怪我しても不思議では無かったと思います。 
 さて、中学校に入ったら、柔道を是非、やりたいと思っていましたが、運命の神様は微笑んではくれませんでした。どうやら、私の人生、可愛い女の子と柔道には縁が無かったようです。
 と言うのも、中学校に入学の年、生徒数増大のため、新設の中学校が建設されることになったのです。新しい学校ですから、柔道の道場などある筈がありません。当時は、どの中学校にも体育館はまだなかった時代です。柔道場が無ければ、柔道部も活動出来ません。
 それで、私の柔道練習は、中学入学と同時に、終わりになりました。希望する部が無いので、仕方なく、バスケット部に入りました。何処の部でも良かったのです。
 本当に不運なことでした。もし、柔道をしていれば、全く違う人生を送っていた筈ですから。
 運動の方が余り興味が持てないこともあって、この頃から、無線の方に段々と、熱中するようになり、勉強も以前よりは余りしなくなります。電気クラブに入ったのも、この頃です。
 暑いので、今日はこの辺で筆を置きます。


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あついけど サウナ行こうか どうしよう

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