上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

山の詩

 今朝は、天気が良かったので、それではと、布団を干した。布団は、もう冬用。
 ベランダの手摺りに掛けるだけだから、そう手間は無い。
 干した後、暫く、朝の陽光の下、眼下の関東平野を眺めていた。
 我が家は、赤城山麓で、標高が300メートル位のとこにあるから、眼下に関東平野が眺望出来る。
 真南には、秩父山脈、少し西には、八ヶ岳、蓼科山、浅間山、妙義山、榛名山。
 北に近づけば、草津の白砂山、沼田の谷川岳、小野子山、子持山。北は、赤城山。更に、東に向けば、日光の男体山など。
 自宅から四方を眺めれば、南東の東京方面以外は、全て山脈である。
 群馬は関東平野の始まりなのである。
 この関東平野は、何万年も掛けて、利根川が作ったものである。
 原始の時代、それこそ恐怖の塊のような大波、高さ10メートル位のが、奥利根の源流から流れ出し、それが、途中、大きな巌を砕き、土砂を運びながら、関東平野を目掛けて流れ下って行ったに違いない。
 その営みの果てに、緑の関東平野が出現したのだ。
 真南には、富士山が位置するが、生憎、私の家からは、途中にある、雲取山が邪魔をして、見えない。
 自宅から、西へ1キロほど行くと、冬、晴天であれば、白い雪を被った富士山が半分ほど見える。
 なので、その辺は、以前、富士見村という名前だった。
 赤城の鳥居から、少し登った地点でも、天気が良ければ、富士山を眺める事も出来る。
 ずっと前、赤城に登った帰途、途中から、富士山が見えて来たので、何処まで見えるか、確かめた事がある。
 そしたら、鳥居のすぐ前辺りまで、富士山がはっきりと見えた。
 さて、こんな山国に住んでいるのに、私自身は、それほどには、山を訪れた事は無い。
 山好きな人なら、群馬は天国かも知れない。
 里山から始まって、人跡未踏の奥山まであるからだ。
 それに、もっと高い山に登りたければ、長野県、新潟県に行けば、県境から、もう大山脈の連続となる。
 ずっと以前、長野県境の嬬恋村に、一年ほど住んでいたが、そこから車で10分ほど移動すると、もう日本アルプスの偉容が広がっていた。
 初めて見た時は、思わず、息を飲んだものだ。
 後は、スキーと温泉が群馬の楽しみだ。
 スキーは、大学の時、怪我して以来、ご無沙汰となったが、温泉は、今でも、時に、出掛ける。
 草津や伊香保が有名だが、余り有名で無い、僻地の温泉も楽しい。
 吾妻の、湯の平温泉、尻焼き温泉。川底から湧き出しているのも趣がある。
 こうして、青く霞む、遠くの山々を見ていると、若き日の想い出が、自然と蘇って来る。
 何と言っても、一番の思い出は、やはり上高地だろう。
 初めて見た西穂高の山容は、余りにも雄大で美しく、今も尚、脳裏に焼き付いている。
 梓川の水に手を入れ、それから、彼女の手を握ったら、彼女は悲鳴を上げて飛び上がったものだ。
 夏だというのに、本当に冷たい水だった。
 あの高い峰からの雪解け水が、山腹の地下を潜り抜け、この梓川に流れて込んでいるのだ。冷たい訳だ。
 川の水に手を入れ、振り返ると、彼女の顔の向こうに西穂高の峰が重なって見えた。
 そのシーンは、今でも、忘れる事無く、はっきりと思い出せる。
 その夏が終わると、彼女の姿も消えていった。
 翌年、私は一人で西穂高に行き、梓川の同じ場所で、同じように流れに手を浸した。
 そうして、もしかしたらと思い、去年と同じように、西穂高の方を振り返りました。
 でも、彼女の姿は見えなかったです。当たり前。
 男と言うアホは、一年経っても、まだ、引き摺っているんです。
 さっさっと、次の女を捜せば良いのに。
 女なんて、いくらだって、この世に居ますからね。
 長野県の八ヶ岳も、よく彼女と行きました。
 長い道を、時に、眠くなりながら、運転したものです。
 ある時、うとうとしていたら、彼女が叫んだので、すぐにブレーキを踏みました。
 もう少しで、渋滞の車に追突する所でした。
 途中、牧場に寄って、二人で搾りたての牛乳を、牧場の柵に寄りかかりながら、飲んだものです。 
 目の前は、広々とした牧草地、地平線の向こうには、青い山脈が幾重にも連なっていました。
「来年も、きっと、また此処に来ようね」
 と、彼女は言いました。
 マグカップを手にしたまま、私は、彼女の目を見ましたが、嘘は見えなかったです。
 が、二度と来る事はありませんでした。
 女の約束は、殆ど当てには、ならないのです。  
 その時、その瞬間は、そう思っているだけです。
 秋の落ち葉のように、ひらひらと、目まぐるしく、いつも変化して、止まる事はありません。
 若く美しい女の嘘ほど、残酷なものはありません。
 一体、何人の男を殺したら、気が済むのでしょうか。
 それにしても、若い男から見て、若く美しい女ほど、神秘に満ちているものはありません。
 不思議なのは、歳を取ると、その神秘性が全く消えてしまう事です。
 やはり、見えるのは、男の本能のなせる、幻なのかも知れません。
 神様は、もう少し若い女を、地味に作って欲しかったです。
 そうすれば、若い男は悩む事も、苦しむ事も無かったでしょう。
 その後、風の噂に、つまらない男と結婚したと聞き、女の考えは、ますます不可解になりました。    
 


俳句

山道に 思い出残る 若き日々




ベンチから

 最近は、もう月刊誌等を購入する事は無くなった。
 以前は、数冊の月刊誌を本屋に頼んで配達してもらっていた事もある。 
 今、買う場合があるとすれば、どうしても自宅で、ゆっくり読みたいという記事が掲載されてる時のみである。
 それ以外は、近くの、巨大モールにある紀伊國屋書店で、全て立ち読みである。
 この本屋は、お客に座って読んでもらいたいと言う事で、ベンチが幾つか、店内に用意されてるので、実に都合が良い。
 なので、正確には、座り読みという事になる。
 座り読みのメンバーは、大抵、私のような年配者が多いが、若い人も、偶には居る。
 時に、妙齢の女性が隣に座った時は、嬉しくて、本の内容が頭に入らなくなる。
 若い女性から発せられる、麗しき香りに囲まれて、まさに至福の時間となる。 
 もっとも、その女性の方は、私の加齢臭に辟易しているかも知れない。
 いや、朝、生ニンニクの下ろしを食べているから、加齢臭は、十分抑制されている筈である。
 細かい事は省略して、ともあれ、私の隣に来た事は、相当の好意を私に感じた結果に違いない。
 であれば、至近距離の彼女を素直に楽しむのが、適切な行動である。
 さて、ベンチの近くを、時折、女性が通るが、その姿を瞳の端で捉えて、思わず視線を走らせる事がある。
 本を読んでいても、雄としての活動に怠りが無いのは、実に立派な事です。
 ある日、女性を目で追う事には、一定の法則があると、気付いた。
 目で追うのは、以下の条件、①から④のどれかに合致した時のみです。 
 ①若い女性である。
 ②ミニスカート姿である。
 ③膝上、少なくとも10センチ以上である。
 ④ウェストが、はっきりと認められる。
 ⑤肌の露出が膨大である。 
 上記の条件に当てはまるか、どうかを、チラリ見で、瞬時に判定し、当てはまらない場合は、すぐ、本に目を移してしまいます。
 この峻別能力の高速度には、我ながら驚きます。
 でも、ミニスカートに反応して、見たら、かなりの小母さんだったので、途端に、落胆したという場合も、少なくはありません。
 確率は低いですが、①から⑤の全条件に、当てはまる人も居ました。
 そんな場合、読書中でも、ベンチから立ち上がって、本を書棚に返す振りをしながら、その姿が見えなくなるまで、詳細に観察します。
 その内、何度かは、ふらふらと、ついつい、書店から出て、尚も、それとなく追尾した事もありました。
 追跡停止点は、トイレ、衣料品店、食堂でありました。
 春の頃、雄猫が雌猫を追って、自宅を出て、10日間位、行方不明になりますが、どうも、どの動物の雄にも、雌の後をフラフラと付いて行く、習性があるようです。
 美しい女性を見る事は、心身共に、私に、好影響を与えてくれます。また、その機会は、滅多にありませんから、十二分に活用しなくては、と思って居ます。
 本当に、美しい女性は神様です。多くの神様に逢いたいものです。 
 さて、月刊誌は買わないが、愛読の記事は、幾つかある。勿論、立ち読みで済ましている。
 その一つに、ある月刊誌の対談記事がある。私より、少し年齢が上の、お二人が好き放題の事を、政治、経済、国内外の話題について、対談しているものである。
 80歳近い年配の方は、いつも、ご自分の体験に基づいた、具体的な話、自分の思想を話している。
 一方、少し若い人は、これまた、対照的に、ルソー、ケインズ、エドマンド、モーゲンソウ、ポール・ジョンソン、オールドリッジ、エーリヒ等、有名人の言葉を、頻繁に引用する。
 はっきり言って、読んで面白いのは、年配の人の話である。
 極めて具体的だし、分かり易い。何しろ、ご自分の体験だからだ。
 それに対して、若い人は、本の引用ばかりなので、終いには、貴方自身は、どう思っているのですか、と、問いかけたくもなる。
 本を読んで、自らの考えを構築しないのであれば、何のための読書なのでしょうか。
 この対照は、どう言う事で生じているのか、その原因を推測した事がある。
 年配の方は、いわゆる高学歴の人だから、色んな本を読んでいる事は確かである。
 でも、対談で、本の記事を引用する事は、殆ど無い。
 若い人は、まあ、二流の私立大。
 なので、高学歴の相手に負けないように、意図的に有名本を引用して、自説に箔を付けようとして居るのかも知れない。
 でも、それだと、逆に、一層、話がつまらなくなる事に、本人は気づかないのだろうか。
 本を沢山読めば、読むほど馬鹿になるという格言があるが、まさに、この人は、その格言に合致している感じである。
 偉い人の引用などせず、自分の思った通りに、感想を述べれば、それが一番良いと思うのだが。
 とは言え、自分独自の思想を作り出す事は、どんな分野に於いても、なかなか容易な事では無い。
 それで仕方なく、著名人の思想を借りているのかも知れない。
 しかし、それだと、いつまで経っても、その人には、独創的な思想は生まれませんよね。
 ですから、いくら沢山の本を読んでも、そこから、独自の思想を作らなければ、単に愚鈍な自分を作る事になってしまいます。
 それは、重々、気をつけねばならない事ですね。
 と言う事で、若い方の話し手に、若干の不満はあるのだけれど、全体的には、面白い記事なので、毎月、読んでいます。
 さて、今日は、どんより曇った空です。
 こう言う日は、もう、かなり寒いので、外の散歩は身体に良くありません。
 それより、暖房が十分に効いたモールの中を歩く方が、古稀青年には、適切というものです。
 昼ご飯を済ませたら、出掛けようと思います。 
 今日は、どんな可愛い子を見かける事が出来るか、実に楽しみです。 
 何しろ、いくら見ても、無料なのが有り難い事です。
 黒い防寒着、白のパンツで行きますので、見かけたら、若い女性の方、よろしくです。 
 なお、ズボンで無いパンツは、グンゼのブリーフタイプです。念のため。 


俳句


本読んで 横目で女 疲れます



対極の価値

 夏目漱石と森鴎外は、よく対比される。似たような例は、他にも沢山あるが、卑近な例で言えば、長嶋茂雄と王貞治とかが上げられるかも知れない。
 まあ、厳密には、ともかく、一見して、対照的な存在を感じるからだろう。
 系列としては、夏目漱石と長嶋茂雄、森鴎外と王貞治だろうか。
 かの松本清張は、森鴎外派であったと思う。
 それは夏目漱石に、余り良い批評をしていないからだ。すると、清張は、間違いなく、王貞治派でもあると思う。
 清張は、余りにも、極貧の中で育ったから、何か明るい、派手な存在に、もう無意識的に嫌悪感を感じたのかも知れない。
 それは、自分には無いものを持つ者への曲折した羨望感だったと思います。
 それ故にだと思いますが、一生、共産主義思想を支持していましたね。
 まあ、漱石や長嶋さんの方が明るい感じがしますよね。
 対して、鴎外や王さんは、少し暗いです。
 ところで、私の父は、王貞治派であった。
 だから、よく長嶋茂雄の悪口を言っていたものだ。私は、長嶋派だから、テレビを見ながら、長嶋さんの悪口を言う父は、非常に面白く無かったものである。
 さて、その人を支持する根拠だが、それは、清張さんの例のように、生育歴の影響とか、あとは、要するに、最初の印象では無いかと思う。
 特に、最初に、その人について、余り好ましくない情報を掴んでしまうと、以後、どんどんと、その方向に突き進んでしまうようだ。
 人は、初対面の印象が大事と言われる所以である。 
 とは言え、いくら初対面の印象が良くても、その後、仲違いして、付き合わなくなる人も居るから、初対面で決まる訳でも無い。
 だから、支持する理由は、よく考えれば、それほどの深さは無いように思う。
 さて、夏目漱石と森鴎外は、私が高校生の時に、それらの本を読んだ。併せて、伝記も読んだのだが、その時の印象が、極めて大きく影響している。 
 夏目漱石は、明るい小説を書いた。極めて健康的である。読んでも楽しい。
 また、資料や伝記を読むと、帝大に入学したのだから、明治の時代に於いて、富裕層である事は間違いないが、それでも、鴎外ほどでは無い。
 幾分は、より庶民層に近い。
 それと、漱石の女性関係は、極めて単純である。
 明治の時代であるから、公然と妾を何人でも持てた筈なのに、一人も持たなかった。
 勿論、花柳界で芸者遊びもしなかった。
 鏡子夫人と8人の子どもを作ったが、浮気騒動も無い。
 英国に留学しても、現地で愛人を調達する事も無かった。
 大雑把に言えば、日本から外国に留学して、現地の愛人を持たなかったのは、漱石位では無いだろうか。
 他の著名な男達は、すべて、女を作った。それを責める気は、今は無い。
 若い男なら、そうするしか無いからである。
 健康な男にとって、セックス無しの生活なら、死んだ方がマシと言うものである。
 対して、鴎外はどうか。
 最後は軍医総監になった人だから、明治のエリート中のエリートである。 
 生まれも育ちも、並では無い。
 ドイツに留学して、鴎外の事だから、さぞかし沢山の金髪女と、ヤッタ筈である。
 その内の一人が、遙々日本まで追い掛けてきたが、本人は会わず、親戚や友人が追い払っている。
 何と不人情の事か。
 ドイツでは、さんざん、下半身をお世話してもらったのだから、もう少しは、温か味があっても良かったと思う。
 この辺の鴎外の合理性は、ひどく嫌いです。
 鴎外は、最初の結婚後、28歳で離婚するが、その後、40歳で再婚するまで、12年間、独身である。
 12年間、よくぞ我慢していたものと、高校生の頃は、ひどく訝ったが、勿論、そうでは無かった。
 この間に、花柳界で活躍していたのである。
 それと、妾もいた。何と、その女が18歳の頃からだと言う。何とも羨ましい事だ。
 これなら、独身でも、何の苦痛も無い。
 この妾は、母親も公認で、息子の妾として末永くと言う事で、近くに家まで作ってやり、月々の手当も母親自身が出したという。
 明治の母親は、こうしておく事で、息子が女で人生に躓かないように、気を配ったのですね。いやはや、大した母親です。
 そう言えば、息子が強姦事件を起こした女優がいましたね。あの母親も、早めに女を世話しておけば、強姦事件も起きなかったでしょうにね。
 以上の漱石像と鴎外像を高校生の時に見れば、どちらに好感を持つか、それは明らかですね。
 さて、私は、作家としては、遙かに、漱石の方が上だと思います。
 その一番の理由は、誰にも分かる、容易な言葉で、文章を作っているからです。
 そこに、読者と向かい合う、漱石の心情を温かく感じます。
 漱石の本を読めば分かりますが、漢文の大家、英文学者であった片鱗は、文章の何処にも見えておりません。
 即ち、難解な語は、ありません。 
 対して、鴎外の本は、英語、ドイツ語、漢語で満ちています。
 また、本のページは、行間を空けずに、多くの難解な漢字を羅列してありますから、ページ全体が真っ黒に見えます。
 これでは、到底、現在の人々は読めないでしょう。
 いや、一見して、読む気は起こらないと思います。
 さて、小説は、文学者の研究対象としてのみ読まれ、一般の人に読まれなくなったら、その時点で、小説としての寿命は尽きた、と言えると思います。
 そもそも、小説の本なんて、大学で研究するものでは無くて、楽しんで読むものだからです。 
 それは、物理化学の本とは、まるで違うものです。
 ですから、従来から言われている、大学に文学部は不要だとの論は、実に、正鵠を得ており、極めて妥当な事と、私も思います。
 さて、この歳まで生きて来ると、青かった高校生の時とは考えも変わり、鴎外の女遊びを批判する気持ちは、もう全く無くなりました。
 鴎外は、地位も金も、沢山の女も手に入れ、実に、幸せな人生でした。
 その素晴らしい人生を自己の羨望感で批判するのは、あまり上品ではありませんね。
 それより、私も鴎外さんを見習って、これからも、沢山の愛人を作り、一歩でも、明治の偉人、鴎外の境地に近づきたいと、そう強く思います。
 今、我が人生を振り返ると、漱石の小説は好きでしたが、その清潔なる生き方は、どうも、私の人生とは、対極の存在であったようです。
 ところが、鴎外については、逆で、高校生の時とは違って、今は、その生き方に共感を抱くようになっています。
 私の人生も、実は、鴎外さんのそれと、まあ、同じようなものだったんです。勿論、女の数では、勝負にならないとは思いますけどね。
 だから今は、鴎外も漱石も、同じ程度に好きです。
 但し、鴎外の小説は、一寸、読む気にはなりませんね。



俳句


男とは 女の数で 決まるなり


午後の書斎

 昨日の昼過ぎ、書斎で本を読んでいたら、老妻が足音高く入って来ました。
 元陸上選手ですから、歳を取っても、走るのは得意です。
 ですから、いつも、家の中を走り回っています。とても古稀近い女性とは思えません。
「ねえ、変な葉書が来たよ」
 珍しく老妻の表情には、かなりの緊張が走っています。
 手渡された葉書を見ると、普通の葉書に何やら、細かい字が、沢山印刷されています。
 文面は、概略、以下の様でした。
----------------------------------------
 貴女の消費税納入の事で、貴女は告訴され、裁判が起きようとしています。もし、これを回避したいのであれば、下記の電話番号に、一週間以内に連絡を入れて下さい。
 その期間を過ぎてしまうと、直ちに裁判が開始されてしまいます。
 出来るだけ早く、下記に連絡される事をお勧めします。
 TEL 123-〇〇〇〇-4567
----------------------------------------
 他に裁判処理の番号や、該当する条文など、如何にも、それらしい単語が羅列されていました。
「何なんだい、これは?」
「まあ、オレオレ詐欺と似たようなもんだよ。破いてゴミ箱に入れれば良い」
 私の説明を聞いて、老妻は、やっと、安心したようです。
「あたしは、何もしていないのに、こんなの、来るはずも無いよ」
「うん、だから、心配する事は何も無いさ」
 老妻が出て行った後、私は、椅子に寄りかかり、一寸、考え込んでしまいました。
 オレオレ詐欺の事件が報じられる度に、私は、いつも、こんな事、本当なのだろうか、と半信半疑でした。
 と言うのも、電話で声を聞けば、本当の息子の声か、どうか、容易に判定出来る筈と思ったからです。   
 それなのに、簡単に騙されてしまう、のは、どう言う事か。
 その疑念が氷解したように思いました。
 即ち、老齢になると、人間は、一寸した、見慣れない事に対応出来なくなってしまうのだろう、と言う事です。
 因みに、書斎に入って来た時の老妻の表情は、まさに、不安の塊、そのものでした。
 老妻は、ずっと以前ですが、
「貴女は、今回、一等賞に当たりました。ついては、2万円の特典が受けられます。すぐに弊社の商品を購入して下さい」
 と言う、ダイレクトメールに飛び上がって喜んだものです。
 その位、純粋な人ですから、今回、もし、私が側に居なければ、裁判という言葉で、もう、気が動転し、判断力を喪失して、すぐにでも電話を掛けていたと思われます。
 すると、相手は、電話番号を知る事になりますから、今度は、また、別の手段を使って、詐欺を企てる事になるのでしょう。 
 まあ、こんなデタラメ葉書に電話を掛けて来るような相手は、すぐにでも、騙しやすいと、詐欺の連中は思いますよね。
 要するに、こいつはカモだ! と、満足そうな笑みを浮かべるのでしょう。
 これは、弱ったなあ、と思いました。
 電話でのオレオレ詐欺は、今後も、間違いなく続く事だろう。
 また更に、巧妙に、バージョンアップして、今回のような葉書での騙し作戦など、様々な変形が登場する事は、十分に考えられる。
 となると、私が亡くなった後、老妻一人では、その複雑な騙しに、とても対応出来ないだろう。
 騙されて、この豪華な大邸宅を取られてしまうかも知れない。 
 ずっと、今までは、私が先に死んで、老妻に喪主をしてもらえば、万事、満足と考えていたのですが、どうも、それは、まずいようです。
 ところで、今までは、電話でのオレオレ詐欺は、私の家には来た事がありません。
 今回の葉書が初めてです。
 と言う事で、今まで、最後の人生計画に、このような詐欺事件については、全く考慮に入れて無かったのです。
 これは、対策を考えねばなりません。
 長考の結果、老妻を守るには、私が長生きするしか無いと、思いました。
 私の父は、95歳まで生きましたので、まあ、努力すれば、私も、その位までは生きられるのでは無いかと思います。
 何しろ、古稀の今でも、バリバリの現役ですから、体力は保証付きです。
 あとは、長生きするぞ、と言う気持ちになれば、老妻より長生き出来るかも知れません。
 とは言え、老妻の母も、97歳まで、とても元気に生きましたので、どちらが長生きするか、これは、なかなか判断が難しい所です。
 まあ、ともかく、理想形としては、私の方が何とか長生きして、老妻を見送るのが、最善です。
 それで、その後ですが、美脚で、ピチピチの若いギャルを後妻にもらって、その女性に、私は喪主を頼みたいと思ってます。
 今は、後妻業が盛んだから、いくらでも、いい女が来ると思ってます。
 私の大邸宅と預金通帳を見れば、どんな女も、すぐにウンと言う事でしょう。
 ともかく、そうすれば、老妻は、騙される事も無く、幸せな生涯を終える事が出来ると思います。
 老妻の野辺送りは、大変な悲しみですが、でも、この選択の方が、安心です。
 それにしても、人生、死ぬまで、なかなか、悩みは尽きないもの、と改めて思いました。
<上州無線さん、そんな高齢で、若い女をもらってどうするんですか?>
<えっ、そうだなあ。まずは、床の間に飾ります。後は、毎日、抱っこして散歩します>


俳句


何事も 最後が大事 人生も


時代の産物

 もう大分前だが、中学時代の恩師宅に伺った事があった。
 玄関で、声を掛け、待っていると、すぐに懐かしい恩師が姿を現した。
 至近距離で立ち、私の方を見ては居るが、何か妙な素振りだ。
 何だろう? 不審に思っていると、声がした。
「どちら様でございましょうか?」 
 これは、どうも、私自身が見えないらしい。恩師は目を悪くされたようだ、と気付いた。
「〇〇です、中学の時、お世話になりました」 (〇〇は私)
「おお、そうかね、それはそれは」
「あの、目が不自由になられましたか」
「うん、加齢黄斑変性と言ってね、網膜の病気らしいが、現代の医学では、治療不可なんだそうだ」
 恩師は国語の教師だったから、目が見えなければ、字は読めない。
 と言う事は、それまでの膨大な国語的知識の蓄積が全て消失した事と、同じ事である。
 それは、有能なボクサーが両手を失った事に匹敵する。
 目を失った我が恩師は、数年前に亡くなった。
 晩年の生活が、如何に苦しいものであったかは、容易に想像出来る。
 何しろ、本好きの人が、一冊の本も読めなかったのだから。
 ところで、私も古稀になったので、最近、目の事が少し心配になり、幾つかの文献を漁ってみた。
 すると、加齢黄斑変性も、初期又は中期程度であれば、治療が可能である、との本を見つけた。
 著者は、深作秀春=眼科外科医である。横浜辺りに病院を開設しているらしい。
 もし、もう少し早く、10年位前に、この手術が開発されていれば、恩師も、不自由なく、安穏な晩年を過ごせた筈である。
 と言う事は、人間、その生まれた時代の中で、自らの人生を送るしか無いと言う事である。
 人間は、大きな運命の中で、生きて行くしか無い、と言う事だ。
 例えば、江戸時代、盲腸炎に罹ったとする。
 今なら、盲腸炎で死ぬ人は、余程の事が無い限り、居ないと思う。その手術も、ごく簡単な例として挙げられるほどだ。
 ところが、江戸時代であれば、致命的な病気である。
 麻酔も無いから、開腹出来ない。やがて腹膜炎を併発し、感染症で死んでしまう。
 江戸時代に生まれた人は、それが、その人の運命だった。
 ところが今は、盲腸どころでなく、脳腫瘍などですら、鼻から侵入して、脳に達し、簡単に腫瘍を摘出し、治してしまう。
 暫く前だったら、電動ノコギリで頭蓋骨を切断、開頭手術をして、やっと処置したものである。
 人の寿命は、その生まれた時代に、左右されるという事である。要するに、それが運命と言うものなのだろう。
 さて、最近、報道に依れば、あの梅毒が、流行りだしたらしい。
 もう、過去の病気だと思って居たのだが。
 少し前までは、もう医師ですら、日本では、本物の患者に接する事は珍しいと言われていた筈である。
 どうも、外国の観光客が、日本の風俗を利用して、そこから、急速に広まったという話がある。これは推測である。
 梅毒は、ご承知のように、新世界からヨーロッパにもたらされて、瞬く間に、世界中に広まった病気だ。
 長い間、不治の病であり、このため、多くの人が、廃人となり、亡くなった。 
 しかし、1929年にペニシリンが発見されてから、梅毒は治る病気になった。
 梅毒の発見は、1492年以来だから、1929年までの治癒確立まで、約450年間、強烈な猛威を振るった訳で、当然、その罹患者は、膨大な数に上った事だろう。
 中世の芸術家、政治家、王族、哲学者、富裕層は、殆どが梅毒に罹ったのではないでしょうか。
 音楽で有名なモーツァルトも、そうです。
 わずか35歳で亡くなって居ますが、その放蕩生活で梅毒に感染したのでしょう。
 70歳まで位、生きれば、もっと素晴らしい音楽を沢山、作っていたと思われます。
 実に、勿体ない事でした。
 でも、音楽家は、大体、すごい女好きですから、これは必然の運命とも言えます。
 その他、哲学者のニーチェ、詩人のモーパッサン、シューマン、ローマ教皇、ヘンリー8世、シューベルト、シューマン、ボードレールなど。
 ニーチェは、晩年、神経梅毒で廃人同様だったと言われます。この人の著作は、誤訳が多い事が、近年、分かって来ました。
 その難解なのは、誤訳もさることながら、どうも、最初から、訳の分からない事を書いていたのではないかとすら、疑いたくなりますね。
 勿論、日本人も沢山居ます。
 結城秀康、徳川家康の次男、最後は、ゴム腫で、顔が凄まじい様子になっていたようです。
 芥川龍之介も、自殺しましたが、神経梅毒の故と言われています。
 上げたら、キリがありませんので、止めます。
 梅毒の蔓延は、富裕層だけでなく、庶民階級も同じだったと思われます。
 江戸川柳にも、梅毒を読み込んだものが、沢山、あります。
 もし、梅毒の治療法が、早期に開発されていたら、世界史は、確実に、大きく変わっていた事は、間違いないと思います。
 まあ、今は、治るとは言っても、性病は、ご免ですね。
 梅毒は、ゴムを使用した位では、防ぎきれませんので、これはと思ったら、風俗街に行かない方が良いと思います。
 だから、不倫相手の選択には、十分、気をつけた方が良いですよ。
 楽しい不倫の最後が、梅毒治療では、余りにも悲しい結末ですから。
 それにしても、世界中の梅毒蔓延を考えると、男と女の性欲の凄まじさを、しみじみと感じます。
 他の病気で、あの早さ、あの規模で、世界中に蔓延したものは、見当たりませんね。
<上州無線さんは、梅毒は大丈夫なんですか?> 
<うん、若い時から、しっかり禁欲して、余り女性とは付き合わなかったからね。それで、感染する機会が無かったんだよ>
  


俳句


哲学者 それでも行くよ 色町へ