上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

東京駅の記憶<1>

 学生時代、東京駅で友人達と待ち合わせたことがある。親しかった友人のMが九州旅行に行かないかと、誘ってくれたのだ。Mとはよくテニスをしたり、また旅行好きなMが旅先から報告をよこしたりすることもあった。だから、すぐに承諾した。 
 暫くして同行のメンバーは、Mの彼女と、もう一人の女の子だと分かった。その女の子はよく知っていたし、良い子だったから行くのが楽しみだった。
 予定が決まり、東京駅で待ち合わせをすることになった。
「じゃあ、川嶋、当日は東京駅で待ち合わせだからな」
 Mの言葉に私は即答した。
「大丈夫、間違いなく行くから」
 当日になり、私は上野駅で降りて、指定されたホームでひたすら待った。10時位になってもM達の姿はどこにも見えなかった。何か事情が生じたのだろうか。当時は携帯電話などは無かった。
「どうしたのだろう? あのMが約束を破る筈は、まず、有り得ない」
 定刻を30分も過ぎてしまうと、もしかしてとは思っていたが、さすがに諦めた。それにしても、折角の切符が勿体ないので、私は一人で九州旅行に行くことにした。
 その時、私はすっかり錯覚していたのである。東京駅と上野駅を間違えていたのだ。その理由は分からない。勝手に思い込んでしまったのだろう。秋葉原には電気部品を買いによく行っていたから、上野駅と思ってしまったのだろうか。
 一人旅の九州は色々な出会いもあって楽しかったが、複雑な気持ちだった。
 大学に戻ってMと会った。会うや否や、開口一番、Mは叫んだ。
「どうしたんだ、東京駅で待ってたんだよ」
 すぐに私は自分のミスに気づいた。しかし、Mは特に私を非難するような態度は見せなかった。いつものように穏やかなMだった。それが却って私の心を苛んだ。今思い出しても不思議なことに、そんなひどいことをしたのに三人に謝罪した記憶が全く無いのである。学生とは言え、土下座をして謝罪するべきものだった。
 Mは、その時の彼女と結婚したから、もし、私が九州旅行に行っていれば、私も同行の女の子と結婚したかも知れない。良い子だったから本当に惜しいことをしたものだ。これが、よく言う人生の岐路だったのだろう。
 50年前のことだが、未だに思い出すと、その度に申し訳なく、胸が激しく疼く。
 さて、大学を卒業してからは会うことも無かったMだが、40歳になる前に、突然、他界した。確か、死因は肺がんと聞いた。タバコか好きだったから、そのせいかもしれなかった。
 棺の中に横たわるMの顔には安堵が漂っていた。いつも穏やかな男だった。二人は、どこかお互いの価値を認めあっていたから、もし私が東京駅に行っていれば、長い友情が生まれていたかも知れなかった。
 葬儀当日、小高い丘に設けられた、広い葬儀場には教え子の女子高生達が沢山来ていた。桜の花と、花にも負けない女子高生達の姿、そんな華やかな季節に、Mがこの世を去ったとは到底、信じられなかった。この晴れ渡る春の碧さ、そんな時にも人は死ぬのだろうか。
 小さな子供を抱き、傍らには父の死を知らぬげに駆け回る元気な男の子、彼の妻の姿が痛ましく感じられた。徹底した保険嫌いの私だったが、翌日、初めて生命保険屋さんに電話をした。
  
   俳句

行き暮れて 今宵の宿は 灯も見えず

老いし人 秋の陽を受け 独り去る

幼き日 秋の陽射しに 寝転びて

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パソコンによる電信送信

  50数年前に、多くの方と同じように、お馴染み9R59とTX88Dで開局しました。10Wでしたが、これでも自作のキュビカルクワッドで、世界中の局と交信できました。電話と電信が半分位ずつでした。その内に、和文電信をやるようになり、電信の面白さに気づきました。英文の電信はラバースタンプで面白味はありませんでしたから。
 30歳を過ぎてからは仕事の方が忙しくなり、段々と無線のアクティビィティは低下していきました。この辺も多くの方と一緒かなと思います。たまに、ワッチする程度で送信することは無かったです。それよりも、明日の仕事の方が心配でした。
 さて、60歳で退職すると、毎日が日曜となりましたので、再びアマチュア無線を活発にやり始めました。暫くは、電話ラグチューを楽しんでいましたが、また和文電信をやりたくなりました。
 それで、押し入れから、埃を被っていた縦ぶれ電鍵を取り出しました。ところが、いざ打ってみると、もうまるで、手が動きません。それ以上に、一分もしない内に肩が凝って来て痛くなりました。これはもう無理と即座に諦めました。
 それならばと、今度はエレキーを試してみましたが、まるで、タイミングが合いません。少しの間、練習すれば、何とかなりそうかなと思いましたが、60歳過ぎて、また練習するのも気が進みませんでした。
 それで、諦めて、暫くは和文電信をワッチするだけとなりました。聞き取り能力は語学と同じで、それほどは衰えては居ませんでした。送信技術の劣化の方がひどかったです。
 ある日、パソコン関係のインターネットを見ていると、パソコンにマイコンをつないで、接点出力が出来る製品が目に留まりました。接点が出力できるのであれば、もしかしたら、電信が送信できるのでは無いか、と閃きました。
 すぐに、そのタートル工業にメールを送り、接点出力の速度について問い合わせました。すると、接点は相当の速さでONOFF出来るとの話でした。これに自信を得て、製品を取り寄せ、色々調べた結果、電信の送信が可能と判断して、その後、一年間掛けて、VBで自動電信送信のソフトを完成させました。
 その後、更に、研究して、外部送信装置は既製品では無くて、市販のマイコンを使って作るようになりました。自作だと、約1500円位で作れるようになりました。既製品は12000円でした。電子工作も再び盛んにやるようになりましたが、マイコンの半田付けには、拡大鏡が必需品となりました。もう老眼で目がよく見えないのです。自作の限界を思い知らされました。
 さて、私自身は、パソコンのキーボードはブラインドタッチで打てますので、キーを叩けば、電信符号が自動で出ます。なので、特別の訓練する必要はありませんでした。ソフトが完成すると、その日から、もう電信を送信できるようになりました。
 でも、パソコンのブラインドタッチが出来ない方だと、流暢な電信の送信は困難でしょう。
 即ち、和文電信を送信するには、いずれにしても、電鍵かエレキー、或いはパソコンのキー操作について、かなりの訓練が必要だと言う事になります。
 現在、和文電信は、7メガか、3.5メガで多く聞くことが出来ます。それでも、昔からすれば、激減です。昔は名人芸の人が居て、驚いたものです。それと、キーイングに特徴があって、最初の一文字を聞いただけで、誰さんだなと分かることもありました。それはJA7の方でしたが、もう十数年も聞いておりませんので、恐らくサイレントキーになられたかと思います。また、バックキーのひどい符号も慣れれば、特に聞きずらくもありませんでした。でも、本当は好きではありません。綺麗な符号の方が長く聞いても疲れないからです。
 電信による交信にも色々な思い出がありますが、一番の思い出は、3.5メガでモスクワの女性、エリーナさんと交信したことです。
 その日、3.5メガをワッチしていると、何か微かな信号が聞こえたのです。Uの符号が聞こえましたが、いつものUAゼロではなく、UA1でした。慌ててコールすると、すぐに応答がありました。交信して、モスクワの局である事、女性である事、に驚きました。10Wで、よくモスクワまで飛んだものです。残念ながら、コールサインは忘れてしまいました。
 もう一つは、WB6UHF局です。この局はコールサインに特徴があったので、よく覚えています。また同じ大学生でしたから、何度も交信しました。ある時は、これから大学に行くところですよ、などという返事が返って来ました。彼も、もう古稀を過ぎてしまったことでしょう。
 
 付記 パソコンによる自動電信装置CWBOARDKKの詳細については、7N2HZXで検索 
   して、私のホームページをご覧下さい。
 
     
 詩
  
 春を想う
過ぎた昔が懐かしく
桜の枝に手をやれば
流れる雲に面影の
浮かびて消えし寂しさよ

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川を見つめる老婆

  小さい頃、よく一族で釣りに行った。一族というのは従兄弟やおじさん達、それに父や兄である。当時は車も無いから、皆、自転車である。
 ある日、鏑川に行った。利根川にも負けない位の大きな川であった。 従兄弟の話では,ここには大きなハヤが沢山居るという。焦る気持ちを抑えながら釣り竿を用意して、期待を込めて川に振りかざした。
 ところが、期待した割には魚は釣れなかった。私の所はどうも場所が悪いらしい。そう思って、あちこち場所を変え、移動した。すると、滝の側ですぐに三匹ほど釣れた。いずれも大きなハヤで、体側に鮮やかな色が付いていた。嬉しくなってそれから一時間ほど頑張ったが、その後はもう釣れなかった。
 昼近くになったので、持って来た握り飯を川岸の草原で食べた。手は川で一応洗った。今思うと、何とも不衛生であるが,昔は余りそんなことは気にしなかった。外で食べる握り飯はひどく美味しかった。これが釣りの大きな楽しみでもある。
 一息ついて、ふと辺りを眺めると、岸から上に続く山腹の途中に大きな農家が見えた。周りを鬱蒼とした竹藪に囲まれて、如何にも古い家である。随分と昔に立てられたに違いない。なおも見ていると、その縁側に一人の老婆がちょこんと座って,鏑川をじっと見下ろしている姿が目に飛び込んできた。
 勿論、遙か遠くだから,とてもその老婆の表情までは分からない。ところが、小学生だった私は、何か知らないが、その老婆の姿に強く惹きつけられた。
 その時の印象は上手く言い表せないが、何か子供ながらも、無性に心に感動を覚えたのだ。きっと、あの人は此処で何十年も生きてきて、この鏑川を毎日見ていたに違いない。そうして、歳を取った今、若い日々を思い起こしながら、この鏑川を眺めているだろう。
 そんな風に感じたように思う。あれから60年近くの年月が流れたが、今でも縁側に座っていた,あの老婆をはっきりと思い出す。
 釣りの方は高校生になってからは、もう行くことはなかった。でも、夏になり、釣り糸を垂れる人をたまに見かけると、あの鏑川を見つめていた老婆の姿が、何故か、いつも決まって蘇ってくるのである。
  
    俳句

背の暑さ 若き夏の日 戻り来ぬ

昼下がり ピアノの調べ 何処より

草の原 寝てみる花火 風涼し

亡き父母の 墓に佇む 夏の夕

久々の 従兄弟の電話 老いし声

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中学の同級生

 梅雨の頃になると、決まって中学の同級生を思い出す。
 入試の発表が終わり、入学まで何もすることが無いので、ある日、その同級生の家に遊びに行った。彼の家は線路の近くだと聞いていたので、線路沿いの道を天川町の方へどんどん歩いて行った。少し汗ばんできたが、休まず歩いていると、聞いた通り、庭に大きな木がある、瓦屋根の豪壮たる農家が見えてきた。
 納屋が彼の勉強部屋だった。広い納屋で冬は相当寒いという。
「ヒマだなあ。早く高校が始まらないかなあ」
 如何にも退屈そうに彼は言った。その言葉を57年後の今もはっきりと覚えている。彼は早稲田に行き、私は浪人した。翌年、私が地元の国立大に入ると、彼から連絡があって、市内の小さな喫茶店で会った。
 暫く振りに会った彼は如何にも東京の学生に見えた。私は地元の学生。何かそれまでの立場が逆転したような感じになった。それっきり、学生時代は会うことはなかった。卒業して彼は大阪の方に就職したと風の便りには聞いたことがあった。優秀な男だったから、会社でも相当の地位に登り詰めたと思う。
 50歳の春、彼から手紙が来て、今度、群馬の実家に帰るので、是非、その時に会いたいとあった。勤めが大阪から徐々に東京に上がって来たとのことであった。最後が東京だと言うことは会社でも相当の幹部クラスになったのだろうと思った。
 勿論、逢いたい気持ちはあったが、彼の華やかな人生を想像すると、とても逢う勇気は奮い起こせなかった。それで、今は逢えないと断ってしまった。彼からの連絡は途絶えた。
 それから二年後、陰気な梅雨が始まった頃だった。ある日、葉書が舞い込んできた。見ると、黒枠の葉書だった。彼の死を知らせる葉書であった。死因を知りたくなって彼の奥さん宛に手紙を送ったが、返事は無かった。
 相当の喫煙家だったから恐らく肺がんでは無いだろうか。死を覚悟した時、私の住所を奥さんに伝えて、ここに知らせてくれと言ったに違いない。どんな思いで亡くなったことか。子供のこともまだ心配だったに違いない。
 なぜ、あの時に逢わなかったのかと、その後、思い出しては悔やんだ。 彼は英語が得意で私に言ったものだ。
「英語はアクセントだよ、一番大事なのは」
 彼から聞いたその知識が、それ後、どんなに役立ったことか。
  
     俳句

けふもまた 何事も無く 老いの日々

雨音や 独り暮らしに 過ぎし日々

痛風の 足をさすりて 古稀近し

老いた身に いずれあらん 別れの日

夏空や 人無き道に 靴の音

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私の天使

 誰であっても、その人生に於いて、何度かは、ひどく苦しい場面や絶望的場面に遭遇するものだろう。私も幾度か、一本負け確実の場面に遭遇したことがある。その最大のものは、さすがに、このホームページに書くことは出来ない。十分時効だとは思うが、それでもまだ書くのは躊躇われる。なので、それ以外のものを書き留めておく。
 50歳位の時だと思うが、人付き合いの関係でひどく疲労し、生きる気力を失った。死にたくなったが、何があっても自殺はしないという信条だったから、よろめきながらも生きていた。ある日、自室で本棚を何気なく見ていると、大学の時の名簿が見えた。薄いもので本の間に挿し込んでおいたらしい。
 ふと見る気になり、無心にページを捲っていると、一人の女子学生の名前が目に飛び込んできた。あまり大学には行かなかった私だが、この女の子には何か安心感と淡い好意を抱いていた。絶望に負けそうになってる今の私に援助の手を差し伸べてくれる人は誰もいないが、この子は、もしかしたら、助けてくれるのではないだろうか。
 確たる信念は何も無かったが、そう思った。しかし、卒業して30年近くも過ぎていて、その間、一度も会っていない人である。しかも県外に居住していたから、そんなに簡単に来る筈はない。それでも、当時の私は藁をも掴むという心理だったに違いない。
 どうやって電話して、どんな話をしたのか、覚えていない。いくら考えても、もう思い出すができない。ともかく、必死の思いで話をしたのだろう。
 ともかく、その電話で、彼女は「行きます」と言ってくれたのだ。
 本当に来てくれるのだろうか。常識で考えれば、来る筈はなかった。来ることが彼女に何か利益をもたらすだろうか。何も有りはしない。彼女と逢う日まで、私は不安と期待の中で悶々とした。来てくれればよいが、もし、彼女が来なかったら、私は更にひどい絶望感に襲われて立ち上がることも出来なくなってしまう。そんな結果になるなら、私はあんな電話などしない方が良かったことになる。そうだ、この電話はしない方が良かったのだ。自分の浅はかな行動を何度も悔やんだ。
 最初にどこで待ち合わせたのか。いくら考えても、それを思い出せない。何処か市内で待ち合わせたのだろう。それから、水沢神社までそれぞれの車で行ったのは覚えている。久しぶりに見る彼女は学生時代とほとんど変わっていなかった。
「学生時代と同じだね」
「あたしたちの年になると、もう体の線を維持するだけでも大変なのよ」
 色々と話をしたと思うが、ほとんど思い出せない。話よりも、私とすれば、待ち合わせの場所に彼女が来てくれた事が全てだったのだ。彼女の姿を見ただけで、私はもう生き返っていた。
 人はひどい困難に遭遇すると、とにかくそれを撃破しようとして頑張るものだ。そんな時、ほんの僅かでも援軍がいれば、思いのほか、簡単に敵を打ち破ることができるものだ。ほんのわずかの援助があれば十分なのである。
 水沢うどんを食べて、暫く話していると、本当に学生時代に戻った気分になった。
「よく来てくれましたね」
「川嶋さんは、私にとって特別の人なんですよ。そうでなければ、電話一本で来ませんよ」
 そうか、この世に自分のことを思ってくれる人がいたんだ。ならば、これからも何とか頑張って生きて行こう。
 何か彼女を思いきり、抱きたくなった。それを言うと、彼女は、それは駄目です、とはっきり言った。自分の家庭を大事にしている姿勢を強く感じた。不思議なことにすぐに諦めることができた。元々、私の気持ちが性欲からではなかったからだろう。
 別れ際、車の中から差し出した彼女の手を固く握った。いつまでもお互い、固く握りあい、離そうとしなかった。
「この次は、いつ会えるの? 一年後? 三年後、それとも十年後かしら」
「うん、そうね、いつだろうね?」
 またぜひ、逢いたいとは思ったが、人妻である。そんなに簡単に会うわけにはいかないと思った。自分が苦悩している時には、そんなことは少しも考えず、ただ彼女に逢いたいと思ったが、普通の状態に戻れば、やはり、社会的なルールも、つい考えてしまった。
 とは言え、感謝の気持ちはあったから、その後、何度か、連絡をして会いたいとは思った。しかし、その度に躊躇し、諦めた。
 それは、まだ当時、私は若かったから、今度逢えば、男の欲望が先行して彼女を落胆させることになるかもしれないと恐れたのだ。若い時の性欲は、男なら誰でも暴走を制御する事はなかなか難しい。彼女がそれを望んでいるのなら、嬉しいが、それはどうだろうか。
 遠くから来てくれたのだから、少なくとも私に好意を抱いてはいただろう。ただ、だから、男の望みをかなえてくれるかは、また別のことだろう、と思った。そんな事で彼女に迷惑を掛ける訳には行かない。
 もし再び逢えれば 「あなたのお陰で、再び人生のトーナメントに参加する気持ちになれたんですよ。ほんとにありがとう」 と言いたかった。
 あの日から、早や20年数年も過ぎてしまった。
 今や彼女も私も古稀を超えてしまった。もう逢っても、それほどの問題も起こらないと思うが、今度は別の懸念が生じた。歳を取った彼女に会うのは些か、勇気が必要だと思った。いつまでも若く綺麗だった彼女にしておきたいからである。それは男の勝手な望みではあるが。
 古稀を越せば、もう後は、あっと言う間の人生である。遠く離れているからお互いの死を知ることすらもないだろう。
   
  
    今日の俳句

ともかくも 生き生きて来た 古稀二年

朝掃除 終わりて思う 老いの日々

妻出掛け 一人飯にて 部屋静か

数えれば 母の歳迄 あと少し

ミズナラに いと小さき葉 夏を待つ

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