上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

豊田村

 2000年、赤城山麓の中学校に赴任した。
 初めての出勤日、部屋に入り、そっと窓辺に寄ると、眼下に広がる、遙かな関東平野を眺めた。
 雨上がりの朝だったから、南西の方向に微かに虹らしきものが見えた。
 長い裾野に広がる光景は、朝日が射して、まさに、煌めく箱庭のように見えた。
 最初の日の事だったから、一層、この記憶は、鮮明にして、衰えていない。
 1週間ほどして、行事が一段落した頃だったと思うが、村内を巡る事になった。
 村の郷土史家が、新しく村に赴任して来た人達を、遺跡とか、風光明媚な場所に案内してくれるのである。
 小型のバスで、参加者は10人程度だったと思う。
 赤城山麓は、いざ、廻ってみると、さすがに広かった。
 赤城山は実家から近くにあり、見馴れていたせいか、そんなに広大とは思って居なかった。
 しかし、山は、やはり山岳であり、決して小さな存在で無いと、改めて気付いた。
 村内を廻って、いよいよ最後と言う時、案内役の郷土史家の人が、言った。
「どうも、皆さん、お疲れ様でした。最後に、故郷を歌って、終わりにしましょう」
 故郷、あのウサギおいし、かのやまの歌である。 
 山麓一帯の緑に囲まれて、私も声を上げて、故郷を歌った。
 歌いながら、十年前位の思い出が、心に蘇り、思わず、胸が一杯になった。
 あれは、長野県に、行く先も決めず、ふらふらとドライブに行った時だった。
 高速のインターで昼食を済ますと、一般道に降りて、田舎道を走った。
 すると、豊田村の標識が見えた。
 周りは、如何にも長野県の田舎らしい風景であった。
 とは言え、特に、印象も無い場所なので、そのまま通過するつもりだった。
 暫く行った時、高野辰之記念館の案内板を、少し眠くなっていた筈だが、私の目が、素早く捉えた。 
 その名前は、忘れる事は無かった。
 明治時代に、沢山の唱歌を作詞した人である。  
「此処に寄って行こう」
 助手席で、ウトウトしていた彼女は、すぐに目を開けた。
「いいよ」
 その記念館、大して大きくも無い、長野県の典型的な民家のようだった、と記憶している。
 季節は秋頃だったと思う。
 記念館に入ったが、私達以外に、誰も見学者は居なかった。係員に、挨拶はしたと思う。
 様々な展示品や、写真、遺品などがあったと思うが、もう、細かい事は覚えていない。
 高野辰之は、1876年(明治9年)- 1947年(昭和22年)で、長野県下水内郡豊田村の豪農出身である。
 東京帝国大学で、国文学を学び、その後、東京音楽学校の教授になっている。
 その後、同校教授の岡野貞一氏と共に、あの学校唱歌を作った人である。
 数年前、高野辰之に関する著作を読んだ事があり、以来、鮮明な印象を持っていた。
 だから、いくら眠かったとしても、その名前を見逃す事は無かったのだろう。
 誰も居ない部屋を幾つか通り過ぎていくと、やがて、小さなオルガンが隅に置いてある部屋に来た。
 こんな所にオルガンがあるとは、暫く、二人でオルガンを眺めていた。
 それから、彼女は、オルガンの側に行き、そっと開け、鍵盤を試しに叩いていた。
「弾けるみたいよ」
 当時、彼女は音大を出たばかりだった。オルガン位は、目を瞑っていても弾ける筈だ。
「じゃあ、故郷を弾いてくれないか」
 人影の無い記念館に、故郷のメロディーが流れ出した。
 その懐かしいメロディーに、私は、思わず、小さな声で歌い出していた。
 歌は得意では無いが、高野辰之氏の生涯を思うと、是非とも、歌わずには居られなかったのだ。
 それにしても、此処で、故郷を歌うとは、思いもしなかった事でした。 
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  故郷 ふるさと
 こころざしをはたして
 いつの日にか帰らん
 山は青き故郷
 水は清き故郷 
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 どんな人生にも、失意の日々は、あるに違いない。
 この歌にも、高野氏自身の思いが込められている筈である。
 さて、高野辰之氏が作詞した唱歌は、他にもあるようですが、故郷、朧月夜、もみじ、春が来た、春の小川、日の丸の歌、等が、よく知られています。
 いずれも歌いやすく、岡野貞一氏の名作曲と相俟って、長く日本人の心を捉えてきました。
 岡野貞一は、クリスチャンだったので、それで、どの歌にも、賛美歌の影響があると言われています。そう思って聞くと、確かに、そうかも知れませんね。
 明治の時代は、なかなか良い学校唱歌が無くて、外国の曲に日本語の詞を付ける事が行われました。
 有名なのは、蝶々(スペイン)、蛍の光(スコットランド)、庭の千草(アイルランド)、仰げば尊し(アメリカ)などがあります。
「仰げば尊し」が、アメリカとは、驚きでした。
 この事実を知ったのは、数年前です。
 曲名は、「Song for the Close of School」で、正しくアメリカの歌です。
 校長先生が作詞して、作曲者は、H.N.D.との事です。
 私の小学校、中学時代は、この歌が、卒業式の定番でした。
 この曲は、歌っていて、心に、しみじみと響くものがあり、まさに、日本人の曲だとばかり思って居たものでした。
 やはり、アメリカ人、日本人、その心の底には、人間としての共通の思いが流れているように思います。
 ところで、教員生活の、最後の卒業式に、この仰げば尊しを歌いたいと思いましたが、どうも、先生方の賛意を得られそうも無く、不本意でしたが、断念した思い出があります。
 卒業式には、何か、当時、流行っていた、テレビの流行歌を歌いたい、と言う事でした。
 この歌のタイトルからして、もう、今の先生は、「仰げば尊し」で無くなってしまったので、歌う意味が無くなってしまったと言う事のようです。
 本当に、学校の教師は、意味のない存在に成り下がってしまったのでしょうか。
 今、親から見て、一番価値のある先生は、予備校の教師ですね。
 と言うのも、子どもが望む学校に合格させてくれる訳ですから。
 公立学校の先生方は、生活指導から始まって、色々と授業以外の仕事があって、どうにも、学習指導に専心出来ないのは、余りにも気の毒です。
 予備校の先生は、授業だけですから、学習指導に専念出来るのです。
 現状を見ると、予備校の先生方が、単に、優秀とは、言えないと思います。 
 現在の教育制度は、要するに、人生に対する、職業に対する、単なる選別機関ですから、親の本音としては、予備校に価値を置くのは、当然の事です。 
 仕方ないですね。
 世の中とは、そんなもの、不合理は常に存在するのですから。
 さて、蛍の光も、良い歌ですから、是非、卒業式で、生徒諸君に、歌ってもらいたかったのですが、やはり流行歌には敵わず、それで、卒業生退場の時、退場曲として流してもらいました。  
 卒業生起立、卒業生退場、静かに蛍の曲が流れ出すと、不覚にも、ステージ上に居た私は、込み上げるものを、押さえる事が出来ませんでした。
 蛍の曲も、文句なく、良い歌ですね。 
 この卒業式を最後に、私は、長い教員生活を終える事になりました。
 それもあってか、涙が零れたのでしょう。
 でも、蛍の曲は、何時、聞いても、涙腺が緩みそうになります。
 きっと、いつも、小学校以来、別れの場面で、この歌を聴いて来たからでしょうか。
 いやいや、やはり、この歌が、紛れもない名曲だから故、だと思います。
 それにしても、仰げば尊し、蛍の光は、詞も曲も、卒業式や別れの場にふさわしく、何時も、感動を呼び起こしてくれます。
 ですが、個人的には、更に、好きなのは、「ふるさと」です。
「ふるさと」が誕生した1914年は、あの第一次世界大戦が勃発した年です。
 ですから、もう100年以上経っている訳ですが、今でも、調べた所、小六の音楽教科書に載っていました。
 これは、飛び上がるほど、嬉しい事です。
 やはり、人々の心の琴線に触れる名曲は、時代を超えて、生き残るのですね。
 良い歌は、結局、何時までも歌い継がれるという事です。
 この辺は、古典と呼ばれる小説とは、明らかに事情が違いますね。
 名曲は、何百年経っても、人々は、何の苦労も無く、それを聞いて楽しむ事が出来ます。
 ですから、名曲が何時までも残っているのは、多く人々の総意なのです。
 一方、古典小説なるものは、一部の好事家、歴史家、文芸研究者などが意図的に残しているものです。
 決して、現在、多くの人に、その古典小説が、今も尚、本当に読まれているものではないです。
 例えば、源氏物語は、代表的古典ですが、あの古文体の本を、沢山の人が、今も尚、読んでいるでしょうか。
 恐らく、多くの人が、私も含めて、あの古文は簡単には読めません。
 今現在、殆どの人が読めない小説は、少なくとも、今は、もう、読まれていないと言う事です。
 古典とは、明らかに一部の人による、意図的な産物です。
 古典とは、大昔に、沢山の人に読まれた事がある、もしくは、単に、歴史的価値を有するもの、と言う事です。
 ふるさとは、今も尚、多くの人が、それを聞いて、楽しみ、感動する事が出来ます。
 どんな小説も、時の流れには勝てません。
 時の流れで消え去るのは、文字で作られた小説の宿命です。
 寧ろ、時の流れと共に、歴史の彼方に、消えて行くからこそ、小説は価値があるとも言えるでしょう。
 仕方ありません。
 意図的に、古典なるものを残す作業は、意味の無いものです。
 こうして、名作小説と比較すると、命の長い音楽の偉大さを改めて、感じますが、それでも、数千年の時が経てば、やがて、その名曲も消えて行く日は来ると思います。 
 永遠に消えないものは、有り得ません。
 ところで、ふるさとを、偶に、何かの折りに、ふと、歌う事があります。
 そうすると、今となっては、もう、何十年も前になってしまいましたが、長野県の高野辰之記念館の部屋で、オルガンを弾いていた彼女の姿が、鮮明に蘇って来ます。
 小さな肩を動かしながら、とても楽しそうに弾いていた彼女の姿。 
 私にとって、ふるさとは、やはり、どうしても、忘れられない曲のようです。 


(参考)
Song for the Close of School   (学校修了の歌)
We part today to meet, perchance, (今日でお別れ、でも、逢えるよ)
Till God shall call us home;     (神様が天国に呼んでくれる時に)
And from this room we wander forth, (この部屋から出て、彷徨う)
Alone, alone to roam. (一人で彷徨うのだ)
And friends we've known in childhood's days (幼なじみの友達は)
May live but in the past, (過去に生きているだろう)
But in the realms of light and love (愛と光の天国で)
May we all meet at last. (最後に、また逢えるだろう)


(以下2番、3番省略)




俳句


オルガンの 調べに合わせ 我歌う






製品テスト その2

 あれは大学二年の夏だったと思う。
 赤城会館のビヤガーデンに何人かの友人と飲みに行った。
 もう六時を過ぎていたが、夏だから、まだ十分明るい。
 屋上は、提灯が灯り、大勢の酔客で、賑わっていた。 
 ところで、ビヤガーデンに来たのは、飲む他に、もうひとつ、目的があった。
 それは、帰る時に、店のジョッキを持ち帰る事である。
 勿論、窃盗である事は、十分承知の上である。
 まあ、盗撮と同じで、その瞬間のスリルが楽しかったのかも知れない。
 ワイシャツの下か、何人かの陰で見えないようにして、持ち逃げしてしまうのである。 
 少し前だが、他の店で、大ジョッキを持ち逃げ出来た時は、思わず、その達成感で、悪友たちと歓声を上げたものだ。
 まあ、時には、店員も分かっていたとは思うが、ジョッキの値段も、大したことは無いから、店側も黙認していたのかも知れない。
 学生の他愛も無い行動だが、勿論、今は駄目でしょうね。それが、時代の流れと言うものです。
 でも、思い出すと懐かしいだけです。罪悪感なんて、微塵も残っていません。
 さて、暫く飲んでいたら、私の所に一人の男が近づいて来た。 
 それは、放送部の学生で、私よりも、確か、一つか二つ、年上でした。
 放送部の前を通る時、偶に見かけたので、記憶にあった。話した事は、勿論、無い。
 私の、すぐ側に来て、立ち止まり、私を見つめている。
 少しして、低い声で話しかけて来た。
「おめえが、〇〇か(私の名前)」
「・・・」
「ふーん、お前か。智子に手を出しているんだってな」
「・・・」
 背は私と同じ位、でも、大した体格でもない。
 私は、椅子から、用心しながら、ゆっくりと立ち上がった。素早く立ち上がると、相手を刺激して、先制攻撃を受ける恐れがある。
 ともかく、座っていては、勝ち目は無い。
 何時だったか、図書館で座っていた所を相手に飛びかかられて、何も出来なかった教訓があった。 
 立ち上がった私を見て、相手は、少し怯んだようだった。
 明らかに、私の腕の方が、かなり太かった。
 少し酔ってはいるが、こんな野郎に負ける事は有り得ない。
 どうやら、相手も、勝敗の趨勢を明快に理解したようだった。
「まあ、いいや。おめえなら、あの女をやるよ。この指が、しっかりと、あの女を覚えているから、もういいよ」
 男は、開いた手を私の方に向けた。
 去って行く男の背中を見ながら、私は、雪国を思い出していました。
 もしかしたら、あの野郎も、雪国を読んだのかも知れないな、と思ったものです。
 小説の台詞に、現実の場面で出会ったので、一寸、驚きましたが、同時に、何か妙な思いでした。 
 それにしても、取っ組み合いにならなくて、良かったです。酔っている時は、体が麻痺していますので、怪我をすることが多いからです。
 さて、雪国の島村が、久し振りに再会した駒子に、言ったように、指が女性を覚えている事もあるかも知れません。
 しかし、一般的に、男は、視覚的、嗅覚的の記憶が多いと思います。
 ですから、出逢った女性の印象、記憶も、其れが主なものになります。
 昨今は、脱毛ブームで、多くの女性は、陰毛の手入れをしてる人が多いみたいですが、私が若い頃は、そうでは無かった。
 ある時、ものすごく毛深い女性を目撃しました。
 臍の下辺りから、後ろのお尻の上、腰辺りまで、熊の毛のように、太い剛毛が密生して居ました。
 ですから、其れが何処にあるのか、全く見当も付きませんでした。
 服を着てる時は、こんな事、想像も付かなかったです。
 この女性は、他の女性のを見た事が無かったのでしょうか。  
 自分のが、普通と思っていたのでしょうか。 
 母親が処理するように、言ってやればよかったと思います。
 もしかすると、母親も同じで、娘の毛が多すぎる事が分からなかったのかも知れませんね。
 気の毒だなと思いましたが、私自身も、「君の毛は、多すぎるから、切った方が良いよ」とは、さすがに、言えませんでした。
 なかなか身体の特徴については、他人に口出しは出来ません。
 これと反対に、全く、無毛に近い子も居ました。
 色白の子で、お人形さんのように綺麗な肌をしていました。
 参考までに申し上げれば、断定出来ませんが、男は、普通、毛は無いか、少ない方を好むと思います。 
 それと、匂いですが、それが強い子も居ましたが、それは、病的で無い限り、男は気にしないと思います。
 寧ろ、特徴のある匂いは、その女性を彷彿させ、印象を強め、最終的に、男を興奮させる事に繋がります。
 例えば、脚フェチは、女性の靴を盗んで、その臭いを楽しむと言いますから、女性の匂いには、何らかのフェロモンが含まれていると思われます。


<あの、女性には、童貞崇拝、憧れは無いのですか?>
<元大統領のクリントンの真似をすれば、「それは良い質問だ」という事かな。うーん、無いみたいだね> 
<どうしてですか?>
<男である私に分かる訳、無いよ。まあ、敢えて推測すればだな、性経験で女は多少、変化するが、男は、何も変わらないから、童貞に意味が無いからだろう>
<えっ、どう言う事ですか?>
<あとは忖度して下さい。ブログで露骨に言う訳に行きませんので>
<もう一つ質問させて下さい。ごく最近、妻が急に陰毛の手入れをするようになりました。私以外、陰毛を見る人は居ないのに、どう言う事でしょうか?>
<うーむ、それは、ちと深刻だな。もしかして、パンツもフリル付きの綺麗なのを身につけるようになったかな。ならば絶望的だな。お気の毒様。murogonの何処かに、君の奥さんの不倫ブログがある筈だから、探してみな> 
<・・・・>


俳句


毛深くて 探してみたが 見つからず

製品テスト その1

 川端康成の「雪国」を読んだのは、もう随分と前の事、高校に入学した年だった。
 二階の図書館で、窓枠に寄りかかりながら、あっという間に読んだ記憶がある。
 私は、小説を、そんなに、ゆっくりと読む事は無い。
 単調な場面では、大抵、速読、斜め読みしてしまう。
 その辺は、数学や物理の本とは大違いである。数学で飛ばし読みは有り得ない。
 雪国は、暇を持て余す主人公と駒子との、軽い恋愛物語だが、読んだ当初は、取り立てて何も無い日常を、よくぞ、こんな小説に仕立て上げたものだと、多少、川端康成氏に軽蔑した想いを抱いたものだ。
 でも、それは高校生の時であって、それから何十年も過ぎて、我が人生の峠を下る頃になると、川端康成氏に対する見解は、全く異なるものとなった。
 一般に、欧米の小説は、脂肪過多で、ストリーは万華鏡のように、次から次へと波乱万である。
 また、沢山の登場人物は、それぞれの個性が爆発し、その衝突で、鮮やかな色彩の人間模様を縦横に描くことになる。
「風と共に去りぬ」などは、その代表的なものだし、また、ロシア人作家の小説は、登場人物が多すぎて、最後には、何が何だか分からなくなってしまう。
 それは、肉食民族と草食民族の違い、あるいは、大陸と列島の違いかもしれない。
「伊豆の踊子」も、そうだが、弱く儚い存在である人間を透徹した目で眺めるのが、川端康成の小説である。
 特に、筋らしきものすらもない。
 でも、その底に語られているものが、一般的な、多くの日本人の死生観だろうと思います。 
 だから、多くの人に読まれたんだと思います。
 格好良いヒーローも、驚くほどの美女も登場しませんが、川端氏の、どの小説にも、儚い命を持った人間観が織り込まれています。
 それが儚いものと知っていたから、川端氏は、あのように、あっさりと死んで行った訳です。
 本当の川端氏は、その白皙、端正な顔の下に、底知れぬ虚無の世界を持っていたと思われます。
 さて、暫く振りに、芸者の駒子と再会した、主人公の島村は、「この指が君を覚えていたよ」と言います。
 高校一年生だった私は、この行で、一寸、立ち止まる事になります。  
 これは、どういう事か。
 一寸、考えましたが、小説には、大して意味もない事が書かれている事もありますから、きっと、それだろうと思い、そのまま、最後まで読み進み、読了しました。
 さて、この行の意味を理解するのは、それから暫く経った、高校三年生の時です。 
 当時、付き合っていた、一つ年下の女の子が、私の部屋に来ました。
 季節は何時だったか、覚えていません。
 制服の上着を着ていたから、夏が過ぎていた頃と思います。
 色白の肌と紺の制服、今思い出しても、とても綺麗な女の子でした。
 暫く話していたら、若き男女の、自然の成り行きとなりました。  
 初めての事ですから、理性も制御も何も在りません。
 彼女が制止したのか、どうかすらも、記憶にないです。
 ふと、気付くと、揃えた中指と薬指が、第一関節の処で、それ以上、動かなくなりました。
 力を入れてみましたが、これ以上は、出血すると思いました。
 でも、爆発した思いは、ますます燃え盛り、消す事は不可能でした。
 雪国の駒子に、島村が、言った台詞を、この日から、暫く経って、不意に思い出し、その意味を理解することになりました。
 私は、正真正銘の処女に触れたので、この経験は、以来、私の処女信仰となりました。 
 でも、実を言うと、それは、今となっては、少々、微笑ましい事でもあります。
 その後、長い人生で、色んな女の子と付き合う訳ですが、その時に、私の「二本指」が、活躍しました。
 即ち、初めて彼女とホテルに行ったら、必ず、このテストをするのです。
「二本指テスト」です。 
 色んな工場で行う、完成品テストに、一寸、似てますね。 
 何の抵抗もなければ、この女は、処女ではないと、判断します。
 キツキツの場合は、まさしく処女だと、もう大喜びをする事になります。
 きっと、天の神様が、普段の行いが良い私に、貴重なプレゼントしてくれたのだと、勝手な解釈をする訳です。  
 でも、やってみると、キツキツの女性は、滅多にと言うか、殆ど居なかったです。 
 と言う事は、私のテスト法からすれば、当時、付き合っていた、多くの若い女性は、既に、経験者だった、と言う事になります。 
 今は知りませんが、50年も前の時代、若い女性は、それほど、性的に奔放では無かったと思います。
 まあ、中には、強者の女性も居たとは思いますがね。 
 さて、その後、大分経ってから、中年の頃、経験豊かな女性から、女性のオナニーについて、教えてもらう事がありました。
 クリを触るだけでは、どうしても満足出来ないので、色んな物、ニンジン、キュウリ、大根、いや、これは違います、それと、何かの容器等を膣に入れて、オナニーをすると言うのです。
 そう言えば、江戸時代から、張形(はりかた)と言うものが、女性の間で重用されて居たのは有名な事です。
 それを製作する材料は色々だったようです。角とか鼈甲は、特に高価で、安いものは、木製や竹製でした。
 更に、本物感を出すために、中を空洞にして、体温程度のお湯を入れるものもありました。
 やはり、柔らかく温かくないと、本物には思えないからですね。
 この辺、日本の職人技術は、世界最高ですから、江戸時代でも、かなり優れたものが作られた事と思います。
 学生の時、伊豆半島を旅しましたが、その時、確か、下田港近くの、玉泉寺だったと思いましたが、沢山の張形が陳列展示されていたのを記憶しています。
 或いは、寺付属の博物館だったかも知れません。
 目の前にある、その黒光りした、ずしりとした重量感に、思わず、負けるもんかと我が身を握りしめたものです。
 勿論、張形は、洋の東西を問いません。
 世界中、女性は、何処でも同じだという事ですね。
 ヨーロッパでも、昔から、使われており、ディルドと呼ばれています。
 文献を見ると、「penis-shaped device, traditionally made of horn, shell or papier mache; dildo」
 即ち、「チンチンの形をした仕掛け。伝統的に、角、甲羅、または紙粘土で作られる。ディルドと言う」とあります。
 その製作材料が、日本もヨーロッパも同じだったのは、大変に興味深いですね。やはり、良い材料で無いと、女性は満足出来なかったんでしょうね。
 それにしても、ヨーロッパの貴婦人が長いスカートを捲り上げて、ディルドでオナニーしてる様子は、思わず溜息が出ます。
 そんなの使わなくても、是非、私のを、無料で使ってくれれば、良かったのに、と思います。
 さて、その女性から、色々と聞いた後で、今までの私の判断法が、全く間違っていた事を知りました。
 まあ、女の子が高校生位なら、ともかく、要するに、その後は、女性自身の手で、拡張工事が、どんどん行われてしまうと言う事のようです。
 また、そうであれば、最初の時の、女性特有の、妙なる苦痛も軽減されると言う事になりますね。
<えっ、貴女は、初めての時、少しも痛くなかったって?>
<それは良かったですね。毎日、熱心にしてた、オナニーの成果が出ましたね> 
 さて、然らば、肝心の処女判定法は、どうなるのか。
 明確な処女判定法、それは、数千年にわたる男達の悲願でもあるのですが、処女かどうかは、誠に残念ですが、それは、その女性だけが、知り得る事のようです。
 処女膜などと言う、懐かしき伝説もありましたが、昨今の生育著しい女の子では、自然喪失もあるので、処女膜の有無のみでは、何とも判定出来ません。
 それに、また、張形等を入れてオナニーしていれば、自然に剥落してしまうでしょう。
 そもそも、解剖学的に膜と言えるほどのものは、最初から存在もしていません。 
 ですから、処女判定法なんてものは、残念ながら、ありません。
「あたし、処女よ」と言われたら、素直にそれを信じるしか無いのが、哀れな男と言う立場なのです。
 でも、よく聞いたら、「あたし、今日は、まだ処女よ」なんて言う、不届きな女もいますから、もう処女なんて、気にしないのが、正解と言うものです。
 さて、私は、学生時代、ある日、あの雪国の台詞に、現実の場面で、遭遇しました。
   
 (この項続く) 


<あの、どうしても処女の判定法は無いんですか?>
<無い、無い。諦めなさい。童貞の判定法も無いのだから、男女平等、目出度い事と思いなさい>
<そんな事言わないで、何か、ありませんか>
<そうだなあ、まあ、ゴムを見て、これ何なの?と言って、風船だと思って膨らますようなら、間違いなく、その女は処女だ>
<それは、ほんとですか!> 
<だと良いけどね>


俳句


本当は 張形よりも 生が好き




美しき天使

 今朝、6時半、いつも通りに起床しました。 
 新しい2018年が始まるのは、やはり、何か新しい気分になりますね。
 ベランダから、遙か眼下に見える、前橋の街を眺め、素晴らしい出逢いと健康な身体を祈念しました。
 幸いにして、今年は、いや、去年は、特に身体の不具合も無くて、快調に過ごせました。
 振り返ると、退職した60代は、何か、体調が安定しませんでした。
 それは、恐らく、男の更年期だったのかも知れませんね。
 古稀になり、老境なる環境に、心も身体も、すっかり順応したんだと思います。
 それと、去年から始めた、このブログも、精神的に身体的に良い影響をもたらしているように思います。
 好き放題の事を、思うまま、自由に書いていますので、気持ちを解放してくれるようでもあります。
 言わば、ブログは、健康増進の薬かも知れないです。
 さて、暮れのテレビは、朝青龍でした。
 朝青龍を押し出したら、1000万円と言う、企画です。
 他は、殆ど見なかったです。
 普段から、テレビはニュース位しか見ていなくて、暮れも正月も普段通りです。
 朝青龍は、暴力事件で、引退已む無きに至りましたが、私としては、個性溢れる朝青龍は好きでした。
 横綱の品格は? と問われ、「勝てば良い、勝つ事ですよ」と、答えていますが、極めて、明快でした。
 大体、いくら横綱になったと言っても、わずか30歳以下の青年に、品格もヘチマもありません。
 相撲が強くて、それよにり、品格が育成されるなんて事は有り得ません。
 横綱に品格を要求し過ぎる風潮に私は、賛意を表しません。
 さて、柔道の道場に行くと、必ず、壁に、練習上の遵守事項が書いてあります。
 礼儀を重んじる事、相手を敬う事、などです。
 このように、わざわざ書いてある事は、これらの事項が、柔道選手に、如何に守られていないか、を示しているのです。
 誰にでも、容易に、きちんと守れるような事柄であれば、わざわざ、書いて壁に貼っておく事は無いでしょう。    
 まあ、私の記憶からも、柔道修行者は、傲慢な人が殆どだったように思います。
 弱い人を軽蔑し、尊大な態度を取るのを、いくらでも目撃もしましたし、その様な態度を取られた事もありました。
 運動選手に品格、あれば、勿論、良い事ですが、過大要求は、止めた方が良いと思います。
 さて、朝青龍は、現役時代、ガッツポーズをして、相撲協会から、よく思われませんでしたが、この程度の事は、いくら伝統の相撲であっても、許容すべき事と思います。
 その伝統に、余りにも、しがみつく姿勢は、今後の、相撲発展によい影響をもたらさないと思います。
 どんな組織も、伝統遵守は大事な事ですけれど、それに固執し過ぎると、その組織は崩壊に向かうだろうと思います。 
 朝青龍は、見て面白かったから、やはり、プロだったと思います。
 この辺は、往年の長嶋選手と共通するものが、あったと思います。
 曰く、何でも無いサードゴロを、ひどく難しいゴロに見せて、それを巧みに裁き、そのプレイを観客に見せるのが、長嶋流でした。
 アマチュアの運動選手は、単に勝ったり、ホームランを打てば良いけど、プロは、そのプレイに魅せるものが、無ければ、プロの選手とは言えないと思うのです。
 それにしても、相撲も野球も、魅力ある選手が登場して欲しいものです。 
 さて、これを書いていたら、老妻が年賀状を持って来ました。
 すると、その中の一枚に、来年からは、賀状は失礼させて頂きます、と、ありました。
 まあ、80歳近くにもなり、年賀状を書く手間が煩わしいと言う事です。
 実は、数年前から、こう言う賀状が、幾つか来ておりましたが、その度に、何か、妙な気分になったものです。
 その賀状の主は、すべて仕事上の知り合いで、それが続いていた訳です。
 こんな事、わざわざ書かずに、出したくなくなったら、賀状は、黙って出さないで終わりにすれば良いと思います。 
 今まで出していたのは、ほんとは出したくなかったけれど、付き合い上、仕方なく出していた様な、印象を持ってしまいます。
 まあ、今まで、ずっと、面倒だなと思いながら、出していた訳なんでしょう。
 そうであるならば、もう10年前に、さっさっと止めて欲しかったですね。
 数年前、ある人から、賀状が来なくなりましたが、その後、その人は亡くなったと知りました。 
 賀状は、黙って止めるか、亡くなって来なくなるか、これが、ごく自然かなと思います。
 さて、年賀状と言えば、ピチピチギャルから来なくなって、もう何年、いや、何十年になるかなあ。
 最近、来るのは、いずれも、何十年前の、元ピチピチギャルばかり。  
 でも、まあ、「ピチピチギャルでない、貴女の賀状は、もう不要ですので、来年からは、賀状を出さないで下さい」と言うつもりは、毛頭、ありません。
 今は、もう、すっかり、お婆さんになってしまいましたが、その昔は、若かった私の胸を、毎日、ときめかせてくれた、貴重な思いで中の、美しき天使だったのですから。
 そうは言っても、いつの日か、私か、貴女の賀状が、いくら待っても、届かない日が、確実に、やって来ます。
 その時、来なくなった年賀状は、永遠の別れを告げているのです。
 さて、午後は、初詣に行ってきます。勿論、ピチピチギャル探索を兼ねております。


俳句


新年の 明けたる空に 雲流る

ピチピチギャル

 昨日は、過ぎ行く年の暮れで、少し懐かしき思いに駆られたようだ。
 昨日のブログを読み返してみたら、どうも、恥ずかしい。
 まだ、駆け出しの古稀である。
 そんな年寄りでも無いのに、過ぎた昔を年寄りぶって回想するなんて、アホだね。
 でも、偶には、ふと、しみじみと昔を回想したくなる時もある。
 それに、温故知新と言う言葉もある。
 昔の思い出の日々に、我が身を委ね、そこから、また、新たなエネルギーをもらう事もあるから、過去を振り返るのが、全く無益とは断定できない。
 ほろ苦い思い出からも、学ぶ事は、沢山、あるからだ。
 と言う事で、それほどの老人では無いけれど、今後も、時として、心の赴くままに、青春の思い出を書くとしよう。
 さて、古稀になったが、心身共に、以前と比べて、何も変わっていない。
 今後は、古稀以上で活躍している人達を、よく見習って、我が人生を送って行きたい。
 と言う事で、自民党の幹事長の二階俊博氏を、まずは、上げたい。
 二階氏は、78歳である。
 未だに、現役のバリバリ、安倍内閣の中で異彩を放っているのは周知の通り。
 この人のバイタリティを見習わなくてはね。
 いいね、前向きで元気に活動してる人は、端から眺めていても、清々しいものを感じる。
 生きる目標を持ってる人は、死ぬまで、老人にはならないと言うことのようだ。
 もう一人、最近、西村京太郎氏の自伝を読んだ。
 そしたら、何と西村氏は、87歳である。
 87歳にして、左半身が脳梗塞の後遺症で不自由なのに、新たに、自伝を執筆したのである。
 まあ、87歳位であれば、過去を振り返るのに、古稀とは違って、もう誰も異論は無いだろう。 
 それにしても、87歳とは、思った以上に、能力の衰退は、無いと言う事だ。
 と言うか、老いの衰えは、その本の何処にも発見出来なかった。
 思えば、かの松本清張も、確か、83歳直前まで小説を書いていた。
 80代と言うのは、一般に、思う以上に、活力を有しているようで、改めて驚く。
 今は、100歳時代と言うから、私も、父の95歳まで、元気に活動するつもりだ。
 そのためには、ピチピチギャル探索を目標にして、まずは、頑張る事だ。
 何と言っても、ピチピチギャルは、長生きの薬だからである。 
 ところで、今まで、西村氏の本は読んだ事は無い。
 トラベルミステリーなどと称されているが、もう600冊以上もの本を出しているらしい。
 恐らく、周りに沢山の助手がいて、恰も、工場生産の自動車のように、ものすごい速さで小説を作り出していると推測される。
 しかし、以前から、小説とは、その様に作るものでは無いだろう、との思いを持っていたから、今回、西村氏の自伝を読む迄は、多少、軽蔑した視線を西村氏に送っていた。
 ところが、自伝を読むと、西村氏も、人並み以上に苦労して、懸命に生きて来た事が、よく分かりました。
 決して、安易な人生では無かったんですね。
 そう思って、改めて、作家の西村京太郎を見たら、彼も素晴らしい作家の一人なのだと、彼に関する認識は、180度変わった。
 特に、87歳にもなって、まだ、新しい本を書こうとする、その意欲には、もう脱帽せざるを得ません。
 しかも、脳梗塞の後遺症を抱えながら、です。
 古稀なんて、まさに、青二才ですね。
 さて、話は変わりますが、毎年、我が家では、大晦日、世の他人様と同じように、年越し蕎麦を食べます。
 勿論、それは、老妻の手料理です。 
 ところが、今年は、老妻のアルバイト先が、老舗の料亭なので、そこの蕎麦と寿司を買って、大晦日の晩に食べる事に変更しました。
 まあ、少しでも、老妻の、料理を作る手間を省いてやりたいと言う、私の真摯なる思いやりと言う事ですね。
 私の提案を聞いて、老妻は、破顔一笑、飛び上がらんばかりに喜んだ。
 ところで、これを契機に、いや、好機と言うべきか、年越し蕎麦は、もう、毎年、料亭の蕎麦に切り替えたいと思うので、それを、今夜は、それとなく、老妻に提案するつもりです。
 その方が、私も、毎年、安心した気持ちで、大晦日を迎えられますからね。
 今夜は、老舗料亭の年越し蕎麦、そう思うだけで、胸がワクワクして、今から大いに楽しみです。
 そう言えば、大晦日の年越し蕎麦に、胸がワクワクした記憶は、結婚以来、40年間、一度も無かったと、たった今、気付きました。 


追記
 先日、セクハラについて書いたが、ある女性から、コメントを頂いた。
「セクハラは、何を、では無くて、誰からが、要点です」
 即ち、おっぱいを触るとか、股間や尻を触るとかは、どうでも良い事で、問題は、それをしたのは、誰かと言う事らしい。
 さすが、女性の視点である、と、大いに感心した。
 でも、男からすれば、やはり、触る場所に拘りがあるんですよ。
 何処でも良い訳では無いです。
 恐らく、個々の痴漢氏によって、一番重要な目標が決まっていると思います。
 例えば、私の場合なら、いや、それは本題から外れるので、止めます。
 と言う事で、女性は、例え、痴漢されても、振り返って見たら、その男が、自分の好きな男だったとなれば、その痴漢行動を糾弾する事は、決して無い、と言う事ですね。
 簡単に言えば、私が触れば、警察に、即、通報だが、イケメンならば、もっと触って、と、催促すると言う事だ。
 これは、実は、自然界の動物で行われている、雌による種の選択と言う事である。  
 一見、繁殖行動は、雄の勝手に見えるのだが、実は、周到に、雌の選択が機能していると言う事である。
 だから、発情している雌でさえも、気に食わない雄が近寄ると、逃げて行ってしまう。
 そもそも、セックス時の、あの奇妙な体位は、親切な雌の協力無くしては、到底、構築出来ないから、セックスの完遂権は、実は、雌が保有して居るのだ。
 ラットの雌が、その時に、背を曲げて、雄の挿入を容易にしてやるのも、その一例である。
 要約すると、男のセクハラが犯罪となるか、ならないかの分かれ目は、被害を被った女の判断一つに掛かっていると言う事である。
 なーんか、これでいいのかね、これは変だなあ、とは思うが、仕方ない。
 嘘と、セックスは、神様が女に与え給うた、特権なのである。


<あの、触って、女が気持ち良ければ、セクハラにはならないと思うのですが> 
<うん、気持ち良ければね。でも、ブサメンでは、そもそも、気持ち良く感じてくれないかも知れんなあ> 
<そうすると、ブサメンは、どこまで行ってもアウトですか?>
<そう、ブサメンには不合理だが仕方ない。だから、君のDNAも、いずれは、淘汰される訳だ>
<?>
   
俳句


歳なぞは 忘れて生きる 空っ風