上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

見極め

 昨日、久し振りに工作をしました。
 最近は、もう、ずっと、アマ無線の工作もしてないので、何か作ってみたくて、かなりの欲求不満になっていました。
 もしかすると、男は、子供を産めないので、その代わりに、何か、物を作りたい本能があるのかなあ、何て思ったりもします。 
 いえ、これは私の、科学的根拠も無い、単なる想像です。
 作ったのは、下の写真1の洗面台の棚、右側に見えるもの、です。          
                                (写真1)

 浴室の洗面台は、置く物が増えて、ずっと、不便を感じていました。  
 でも、なかなか名案が浮かびませんでした。
 ところが、1週間ほど前、右側の壁に、棚を設置出来る余地を、偶然、発見しました。
 棚を作れば、便利にもなるし、久し振りに工作も出来ると言う事で、大変、嬉しい発見でした。
 写真1にあるように、三段の棚を取り付けました。
 これで、置く容量が増えたので、物を置く場所に悩むことは無くなりました。
 さて、工作ですが、棚板を、左側は棚受け金具で支え、右側は、長さ10センチの木片で、支えます。
 棚板は、15ミリの集成材ですが、とても頑丈で、手で押しても、少しも歪みません。
 集成材は、既に表面処理もしてあるので、カンナ掛け等、一切、何の手間も掛かりません。
 昔は、木工と言えば、手引きノコギリで裁断し、カンナ掛けをしたものです。
 今回、工作とは言っても、テーブルソーで、受けの木片を切った事と、ネジを打ち込んだ位です。 
 棚板を取り付ける時は、一応、水平器で水平を確かめながら、取り付けました。
 取り付けが終わったら、木工ボンドで接着します。
 写真2は、ボンドを塗った後、クランパーで固定し、更に、重しを載せてあります。
                               (写真2)

 重しは、筋トレで使う亜鈴と赤い金床ですが、こんな所で役立ってくれました。
 ところで、毎回、工作をすると、その終了までに、必ず、幾つかのミスに遭遇します。
 ミスが、一つも無かった工作と言うのは、今まで、記憶に無いです。
 今回は、右側の木製受けを、最下段ですが、1センチほど、ずれた位置に取り付けてしまいました。
 それと、ボンドを塗った後、クランパーで固定しましたが、クランパーの反対側が、少し浮き上がったまま、接着されてしまいました。
 クランパーで何かを締め付けると、他の部分が浮き上がるのは、よくあることなのですが、今回、またもや、うっかりしました。
 あとは、棚受け金具を棚板に取り付けるのに、4回失敗し、やり直しました。  
 最初の2枚が簡単にできたので、つい、3枚目も、クランプを使わずに、手で押さえたまま取り付けましたが、ネジ穴が動いて、曲がってしまいました。
 やっと、4回目に成功しました。
 でも、まあ、全体として、我慢出来る結果なので、満足することにしました。
 この、工作の結果に対する心構えは、実は、父親から学んだものです。
 父親は、木工では、本職以上の、名人級の人でしたが、ある時、側で見ていたら、
「うーん、気に食わないが、こんなところで、良しとするしかないな」
 と言ったのです。
 それを、偶然、側で聞いた私ですが、なるほど、そう言うことか、工作では、出来具合に見極めが必要なんだ、と、初めて気付きました。
 それまでは、例えば、送信機の配線作業で、その半田付けが、一寸でも、うまく行かない時があると、気に入らなくて、すぐに、やり直していたものです。
 ところが、その、やり直しが、必ず、うまく行くとは限りません。 
 やり直し作業の過程でも、また、ミスが出てしまう事があるのです。
 そうすると、最後は、何回も半田ゴテを当てますから、その熱で、高価な部品が駄目になってしまい、また、秋葉原まで、買いに行く事になってしまいました。
 その結果を見て、これは、やり直しをしなければ良かったなあと、ひどく後悔した事がありますが、もう後の祭りでした。  
 そんな経験を何度もしてたので、父の言葉を、すぐに理解することが出来たのだと思います。
 父の言う、工作の見極めに気付いてからは、どんな工作でも、60点位の出来であれば、その結果に、満足することにしました。
 当然、やり直しも、しなくなりました。
 この条件であれば、この位の結果が、妥当な所だと、見極めるようになったのです。
 自己の技術的レベルや、使う工具、材料などを考慮すれば、そこから得られる結果は、ある程度予測出来ます。
 即ち、結果を見極めて、そこにある程度、近づいたら、合格とします。
 完璧は求めないことが、肝心です。
 この考え方をしている限り、工作で、うまく行かず、疲労困憊することはありません。
 今回の工作ですか? 65点位だと思います。  
 さて、このブログも同じで、毎日書いていると、自分でも、出来の悪い時は分かります。
 でも、仕方ないです。
 どうしても、気が乗らない時は、あるものです。 
 自分としては、1週間に一度、うまく書けたなあと思うものが、あれば、満足することにしています。
 出来の悪いブログの場合は、後で、よく読んで、修正しています。 
 ですから、最初、アップしたのと、数日後では、殆どのブログで、異なっています。
 さて、人生も、工作に似てるかなと思います。
 うまく行かない時が、あります。いや、沢山、ありました。
 古稀になった私の人生、今、返ると、失敗と後悔ばかりです。
 点数にしたら、そうですね、40点位かも知れません。
 残念ながら、60点の合格点に届きません。
 でも、そんな自分に、もし、人生の最後で、言葉を掛けるとすれば、次のような言葉だと思います。
「ともかく、毎日、何とか悩みと向き合って、何とか、お前なりに、下手な生き方でも、生きて来たから、それでいいよ。生きて来ただけで、もう十分立派。
 よく死なずに、生きて来たものだ。それで、いい。そう、生きて来ただけで、もう十分だ。お前は、よく頑張ったよ」
 輝かしい結果は何もありませんが、人生、懸命に生きて来た事は、確かですので、私は、そんな私に、心から、労いの言葉を掛けたいと思います。


   
俳句


棚作り 父の言葉を 思い出す


森のクマさん

 森の熊さんと言う、童謡がある。
 元は、アメリカ民謡らしい。
 日本では、昭和47年(1972年)8月、NHK「みんなのうた」で放送され、以来、日本中に広まった、と言われている。
 歌詞も曲も大変に楽しい歌である。
 多くの人が、よく、ご存じの事だから、今更、日本語の歌詞を紹介しても仕方ない。
 それで、元の英語歌詞を引用します。
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THE OTHER DAY, I MET A BEAR
The other day, I met a bear, A great big bear, A way up there.
He looked at me, I looked at him, He sized up me, I sized up him.
ある日クマと逢った かなり大きな熊に 向こうに居る
お互いに見合って 相手の大きさを見定めた
He says to me, "Why don't you run?" "'Cause I can see, you have no gun."
I say to him, "That's a good idea." "Now let's get going, get me out of here!"
クマは言った 「君は逃げた方が良いよ だって、君は熊打ち用の銃を持っていないのだから」
「ほんと そうだね じゃ、僕 逃げます」
I began to run, away from there, But right behind me was that bear.
And on the path ahead of me, I saw a tree, Oh glory be.
僕は走って逃げた  でも、すぐ後ろに、あのクマが
行く手に、木があった 神様、ありがとう
The lowest branch was ten feet up, I'd have to jump and trust to luck.
And so I jumped into the air, But that branch away up there.
一番低い枝が3メートル  ジャンプしかない あとは運任せ
ジャンプしたが  とどかない
Now don't you fret, and don't you frown, I caught that branch on the way back down.
That's all there is, there ain't no more, Unless I meet that bear once more
平気平気 なんとか枝をつかめたよ
話は、これでおしまいさ また、あのクマに逢わない限り
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 とても楽しい歌詞です。
 でも、日本語の歌詞とは、少し、いや、かなり違いますね。
 日本語歌詞を作った人が、意識して、その様に作ったのだと思います。
 まあ、よく、ある例ですが、原曲を拝借し、歌詞は少しだけ継承した、と言う事でしょう。
 ところで、日本語歌詞について、意味不明だとか、論理が合わないとかの、冗談半分の論争があるようです。
「そんな親切な熊が、本当に居るのか」、「熊の行動は、矛盾では無いか」等です。
 まあ、暇潰しには、良い話題ですが、此処では、取り上げません。
 さて、学生時代、何かの折りに、この歌を歌う事がありました。
 若い男女が、沢山集まった場面で、この歌は、ただ楽しくて、歌い易かったです。
 何の違和感も無く、明るい場面に、本当に似つかわしい曲でした。
 ですが、それから、何十年か過ぎて、ある日の午後、ふとテレビを見たら、偶然、推理ドラマが放映されておりました。
 湖上のボートに乗った男女、確か、女の方だったと思いますが、いきなり、ナイフで同乗していた男を刺したのです。  
 何か、恨みでもあったんでしょうね。
 恋の恨みか、または、金か。そんなとこでしょう。
 でも、偶々、見かけたテレビなので、前後の詳細な筋は分かりません。
 若い女が、年配の男に覆い被さり、ナイフを刺した瞬間、何と、画面から、あの、「森のクマさん」のメロディーが、微かに、徐々に、小さく流れ出したのです。
 画面は、刺した女の背中、じっと動かず、男を刺したままです。
 やがて、段々と、クマさんの曲は、大きくなって来ました。
 えっ、森のクマさんて、童謡じゃ無かったのか。
 思わず、画面を見つめ直した私、でも、不思議な感動を、覚えました。
 やがて、画面は、徐々にロングショットに、湖上のボートは、段々、小さくなって行きますが、クマさんのメロディーは、また、一段と大きく聞こえて来ました。
 それが、エンディングでした。
 そうか、これもあり、なんだ。
 今まで、童謡とばかり思って居た、この曲が、殺人現場に使われて、しかも、若い女の殺意を、十二分に、これ以上は無いほどに、表現してる事に、心底、ビックリしました。
 曲と言うのは、どんな見方も出来るんだ、と、改めて気付きました。
 あれ以来、クマさんを聞くと、殺人シーンを、必ず思い出します。決して、長閑な、森のシーンでは無くて。
 つまり、私の中では、森のクマさんは、殺人者のテーマ曲となったのです。
 ニコニコ笑いながら、人を殺す、ギャング映画にも、恐らく、ぴったりだと思います。
 そう言えば、笑顔って、凶悪な怖い顔よりも、更に、一層、恐ろしい雰囲気を持つことがあります。
 ピエロの顔、笑顔のようですが、時に、恐ろしく見えることが、ありませんか。
 即ち、何でも、そう思えば、その様に見えて来る、と言う事かも知れません。
 即ち、童謡は、童謡と思っているから、童謡なのでしょう。
 それにしても、音楽は、実に、不思議な存在です。
 恐らく、音楽は、コンピュータ言語で言う、機械語なのだと思います。
 だから、人種を問わず、誰でも理解出来るし、直接、感性に飛び込んで来る。
 それだけに、人の心に与える影響は、文字よりも強大で迅速です。
 だから、小学校の運動会などで、お馴染みの曲がかかると、もう走りたくなりますよね。
 さて、大学に入学した年、二ヶ月ほど、毎日、パチンコに熱中した事があります。
 朝10時に、軍艦マーチで始まり、夜10時、蛍の光で終わりました。
 軍艦マーチが流れると、よし、今日は、有り金、全部使うぞ、なんて意味もない勇気が湧いて来たものです。
 パチンコ屋さんは、客の心理を、上手に、音楽で操縦していたのです。 
 この二つの曲も、普通に聴けば、もう、すっかりパチンコ屋以外の、何ものでもありません。
 それと、以前、よく来たちり紙交換車。
 確か、夕焼け小焼けの赤とんぼでしたね。
 これも、聞くと、今は、どうしても、ちり紙交換車が脳裏に浮かんで来てしまいます。
 本当のイメージは、赤い夕日に染まった、山麓の桑畑、の筈です。
 それと、ずっとずっと前、温泉場のストリップを見ていましたら、テンポの速い、軽快なクラシックで、あれは、天国と地獄だったと思いますが、その曲がステージに流れ、踊り子達が、激しく踊り捲りました。
 以来、天国と地獄を聞くと、いつも、あの時のストリップを思い出してしまいます。 
 折角のクラシックの、名曲なのに困ったものです。
 でも、多くの男にとって、天国と地獄は、もはや、事実上、ストリップの定番曲かも知れません。
 因みに、あの時は、関西のストリップ劇団で、若い子が多く、とても綺麗な身体をしていました。
 若い踊り子達は、踊りも上手く、最後には、柔らかい手で、握手サービスもしてくれました。
 普通、温泉場のストリップは、近在の叔母さん達のアルバイトなので、若い女性を見ることは、運が良くない限り、滅多にありません。
 いえ、沢山見た訳でも無いし、詳しく知ってる訳でも無いです。
 おっと、脱線しました。
 最後は、カーペンターズの、イエスタデーワンスモア。
 この曲は、出逢いの曲で、聞く度に、私の胸が、哀愁と共に、高鳴ったものでしたが、 最後は、別れの曲となってしまいました。
 別れた日に、偶然、この曲が、喫茶店で、一人落胆してる私を目掛けて、何度も何度も掛かったのです。 
 あの喫茶店主、私に何か、恨みでもあったのでしょうか。
 それ以来、折角の出逢いの曲だったのに、悲しい別れの曲となってしまいました。
 今でも、この曲は、苦手です。
 今、一寸、思い出しても、もう、少し込み上げて来ています。
 それにしても、音楽を聴ける、良い耳を持ち、同時に、何か得意な楽器を弾ける人は、本当に羨ましいです。
 今の私は、加齢により、耳が少し悪くなり、高音、低音は、余り良く聞こえなくなりました。
 若い時、音楽何て、聴けて当たり前と思って居ました。
 古稀の私は、素晴らしい音楽を、原音のまま聴けなくなって、初めて、喪失の悲しみを知ったものです。
   
    


俳句


曲聞けば あの日のことを 思い出す





文体構成論

 日曜の朝、目が覚めたら、もう7時30分。
 いつもは、7時少し前に起床なので、少し朝寝となりました。
 でも、まあ、早寝遅起きが、私のモットーなので、朝寝できたことは、幸せな事です。
 それで、遅めの朝食となりました。 
 メニューは、即席ラーメンに、タマネギ、ジャガイモ、生ニンニクを入れて、出来上がりです。
 参考までに、朝食は、全て、私が自分で作ります。
 これで、足らない時は、餅を一枚、入れます。
 でも、朝食の量は、腹8分目位が、丁度いいです。
 満腹まで食べてしまうと、脳が通常回転数に上がるまで、時間が掛かってしまいます。 
 少し空腹の時の方が、脳の働きが良いことは、日々の経験的からも、脳科学からも、はっきりと証明されています。
 もう、ずっと前の、イギリスの女性首相だった、サッチャー女史も、
「あたしは、いつも空腹にしています。その方が、精神的に理知的でタフになれます」
 と、言っていましたね。
 二階の書斎に上がり、パソコンを見たら、コメントが3通来ていました。
 すると、その中に、ピチピチギャルから来たと思われる、コメントがありました。
 朝寝モードから、一気に、本気モード、脳の回転数が急上昇しました。
 ピチピチギャルだ、目を大きく開けろ、アクセル全開しろ、でした。 
 よく読むと、彼氏がいる、スロット愛好家の女性でした。 
 因みに、私の言う、ピチピチギャルとは、55歳以下の女性を指しております。
 古稀の私から見れば、55歳は、十分ピチピチなのであります。
 読み終わって、ある一行が、脳にメモされました。
 スペースが少ないのでとっても読みにくいのに←失礼ごめんなさい。
 とっても読み難い・・・、若いピチピチギャルに、こんな事、言われたら、古稀青年はは、もう生きていられない、と思いました。
 それで、ぶ厚いステーキの昼飯食べたら、絶望の余り、近くの利根川に飛び込もうと思ったのですが、取りあえず、止めました。
 と言うのも、この文体構成に於ける、スペース、改行、空白行、かな漢字交じり等の問題は、なかなか奥が深いテーマなので、少し考えてみたくなったのです。
 さて、今、手元に持って来た、明治の森鷗外の本、試しに、223ページを開いてみました。
 すると、28行33字、二段の一ページに、空白行は、一つもありません。
 また、行間も、今の雑誌等と比べると、かなり狭いです。
 しかも、フォントサイズの小さい漢字が、やたらと多いですから、この真っ黒なページを見て、いくら古稀の私でさえも、容易なことでは、この本を読む気には、到底、なれません。
 でも、これを私より上の世代は、普通に読んだようです。
 これもあって、今後は、もう鷗外の本は、殆どの人に、読まれないと思います。
 えっ? 元の本を簡略版に書き直せばいいって?
 そんなものは、もう鷗外の本でも、何でも無い、価値のないものだと思います。
 何故なら、空白行の有る無しにも、著者の作意は、込められているからです。 
 次に、夏目漱石の本。
 開くと、もう、白く明るいページ。
 空白行は、明治期の本ですから、やはり少ないですが、漢字の数が違うのです。
 ひらがなが多いから、それで、ページが明るくなって、かなり鷗外に比べれば、読み易くなっています。
 漱石の本は、今でも、原版のままで、これからも若い人が読めると思います。 
 漱石の、作品に対する深い戦略が、今になって、功を奏しているのです。
 実は、漱石は、自らの作品に対する、読者の反応を詳細に分析し、的確に対応していたのです。
 その分析を元に、常に、内容、文体に、改良を心掛けていたのです。
 読者の事情を、考慮しない著作は、どうしても、その寿命が短くなります。
 なので、ある程度、作者の文体を失わない程度には、読者を優先する必要はあるかと思います。
 とは言え、それは作者の考え方です。
 以前、ある、著名なルポライターが、私は読者のことなど考えていません、と、発言していました。
 書きたいことを書くだけ、と言うのです。
 確かに、沢山の読者がいなくても良いから、自分のテーマ、文体に固執すると言うのもあるかも知れません。
 でも、それだと、執筆する目的、出版する意味の大半が失われます。
 何故なら、読者は居なくても良いと言う、身勝手な思想の基に、書かれた本など、わざわざ買う人は居ないと思います。
 と言う事は、読者がいないという事です。
 読者がいないのであれば、書いても意味がありません。
 これは、執筆者として、明らかに、自己矛盾、自己撞着です。
 書くからには、多くの読者を想定したいのは、全ての著作者の願いだと思います。
 読者は、居なくても良いと言うのは、悪口言えば、単なる負け惜しみです。
 次に、私の好きな、永井荷風。
 ほんの少しですが、時代が新しいですから、漱石鷗外よりは、ページが明るくなっています。
 それに、会話体も多く見られますので、普通に、読む事は出来ます。
 まあ、私自身、荷風が好きだから、読めるのかも知れませんが。
 この荷風の文体でも、私よりも若い世代の人には、恐らく、相当に、読み難い、いや、もう読まないかも知れませんね。
 さて、最近の雑誌を見ると、活字も少し大きくなり、行間も、それに合わせて大きくなっていますので、かなり読み易いです。
 新聞も、昔は、小さな活字で、空白行も無くて、読みずらかったですね。
 今は、新聞記者も若くなりましたから、改行も空白行もあって、読み易くなりました。
 ところで、ピチピチギャルからクレームがあった、私の文体構成ですが、それは、もう変えることは出来ません。
 ピチピチギャルのためには、死んでも変えたい気持ちは、十分にあるのですが、それは、死んだとしても不可能なのです。
 何故なら、この書き方を変えたら、それは、もう、私の文体では無くなってしまうからです。
「文は、人なり」と言う、言葉がありますが、まさに、その通りなのです。
 若い内であれば、変更も可能ですが、ある年齢以上になれば、もう無理です。
 推理作家、西村京太郎氏の文体は、極めて、点が、「、」のこと、読点が多いです。
 もし、点を、そんなに多く打つな、と、氏に言ったら、氏は、小説を書けなくなってしまうと思います。 
 文章は、当然の事ですが、個性でもあるのです。 
 それは、漢字の当て方でも、同じです。
 その人なりの、当て方があります。
 ですから、厳正な国語審議会から、文句を言われようとも、私は、私の感覚で、漢字を当てます。
 例えば、「そんなに、うまく行かない」の「行かない」は、そんな私の、独特の当て方です。
「と言う事もありますが」は、「言う」を当てます。 
「愛人と居ます」も、決して、「愛人といます」とは、私は書きません。
「居」を当てるのが、上州無線流なのです。
 明治の夏目漱石、彼の文体も、独特の当て字が多いですが、あれは、まあ、明治の時代なので、当て方が、まだ、定まって居なかったからです。 
 例えば、「転りと」→ごろりと。利目→効き目。活計→暮らし。一所に→一緒に。
 活計は、さすがに、検討が付きませんね。
 ところで、ムラゴンの多くブログを見ると、やはり、若い人は、沢山の改行を入れていますね。
 三行置きなんて言う書き方も、若い人には、珍しくないですね。
 と言うか、普通位のようです。
 三行置きと言うのは、私には、何か、貧乏性なのか、勿体ない気がします。
 もしかすると、心の中に、原稿用紙か、白紙のイメージがあるのでしょうか。
 デジカメになったら、もうフィルム数は、全く関係ないのに、それでも、無駄取りは、しないように、心がけているのと同じ心境かも知れません。
 さて、以上の考察から、ブログに於いても、改行、空白行がない文体は、殆どの場合、書き手が、かなりの年配者である確率が高いものと、思われます。
 勿論、例外はあるだろう事は、お断り致しておきますが。
 今、その改行無しの、典型的な人のブログを紹介してもいいのですが、さすがに、ご迷惑が掛かりますので、差し控えさせて頂きます。
 この方は、私よりも上、80歳位かと、推察されます。
 ところが、中には、明らかに、十分な年配であるのにも関わらず、意図的か、どうかは分かりませんが、三行置きに書く人も居ります。
 こんな場合は、正しく、例外に属しますから、改行、空白行のみで、その方の世代等を判定するのは、極めて、安易であり、間違いの元です。
 私と同じ位の、70歳位のご婦人なのに、三行置き、或いは、もっと、沢山の改行数で書く方のブログも、よく拝見致します。
 もしかすると、その女性は、実際の歳よりも、うんと若く見せようと言う、戦略なのでしょうか。
 でも、それも、良いと思います。
 若く見せたいと言う、その気持ちは、とても良いことだからです。
 心が老けてしまっては、いやいや、人生、終わってしまうと思います。
 でも、いくら改行数が多くても、そのブログの中に、「君と何時までも」、「白い花の咲く頃」、「青い山脈」、「高校三年生」、「雨に咲く花」、「東京の灯をいつまでも」、「有楽町で会いましょう」、「リンゴ追分」等の、歌が出て来れば、もう年齢は、誤魔化しようがありません。
 となれば、極めて、お節介ではありますが、引用するのは、古い歌は止めて、英語のタイトルなどをお勧めしたいものです。
 いやいや、止めましょう、折角のブログです。
 そんな姑息なことはせずに、好きなように楽しんで書けば、それが最善と思います。
 ブログは、老後の細やかな楽しみなのですから。 
 うーん、それにしても、懐かしい歌を思い出して、一寸、感傷的です。
 これらの歌、ひとつひとつに、私の若い頃の、物語が、みんな、一杯、詰まっているのです。
 歌は、何時だって、恋のBGMですから。  
 一寸、脱線しましたね。 
 文体構成を変えることは、容易には出来ませんが、若いピチピチギャルが、読み易いように、少しは、何とか改善して行きたいなとは、思ってます。
 さて、古稀青年なる存在は、ピチピチギャルには、昔から、非常に弱いみたいです。
 晩年の永井荷風は、いつもストリップ劇場の楽屋で、裸の若い子達に囲まれているのが、至福の時間だったようです。
 もう、性的には駄目だったと思われますが、それでも、踊り子と一緒に居たかったんですね。
 そこに、何とも言えない、悲しい男の業を感じます。


追記
 コメントは、一部だと誤解されますので、段落全部を紹介します。下線部です。
 スペースが少ないのでとっても読みにくいのに←失礼ごめんなさい。
 すごく心に残る魅力的な内容でした。
 冷たいようで、とっても深くて温かい文章です☆生意気すみません。

 と言う事で、実際は、とても有り難い、心温まるコメントでした。



俳句


沢山の 改行しても 無駄なこと


公園の釣り池

 昨日は、友人と会ってから、その帰り道、敷島公園に寄りました。
 平日の公園ですので、余り人影は見えません。
 公園に入ると、すぐ釣り池の側を通ります。
 池の周りには、いつものように釣り人の姿がありました。その数、10人足らずでしょうか。
 もう寒いので、どの釣り人も、ぶ厚い防寒着に身を固めています。
 休日の時は、親子連れなど、若い人の姿も見える事もありますが、平日は、すべて高齢者ばかりです。
 どの人も、黙ったまま、じっと、水面を見つめています。
 中には、起きているのか、眠っているのか、分からない人も居ます。
 もしかしたら、水面を見てはいますが、他の事を考えているのかも知れません。
 見ていても、竿が動く事は、ごく偶にしかありません。
 この池は、キャッチアンドリリースと言って、釣ったら、また、池に魚を、すぐ戻す事になっています。
 だから、釣り人の手元に、魚籠(びく)は、ありません。
 私が子どもの頃は、川で釣った魚は魚籠に入れ、大事に持ち帰り、自宅の池に放したものです。
 退職して、すぐの頃、この公園に来て、初めて釣り人達を見た時、何て意味のない事をして居るのだろう、と思ったものです。
 何しろ、釣って、すぐ池に戻す、その繰り返しの訳ですから、当時の私には、理解不能でした。
 まさに、シジフォスの神話です。
 当時、池の端に居並ぶ釣り人の老人達よりも、退職したばかりの私の方が、かなり若かったものですから、随分と生意気な事を考えたものでした。
「こんな意味のない事をして居るよりも、数学や物理の本を読んでいる方が、ずっとマシだろう。日々、する事がないから、爺さん達、此処で時間潰しをしているんだな。気の毒に」
 ですが、退職して、私も、更に老いを重ねるに連れ、高齢の釣り人達に感じた私の考えは、徐々に修正されていく事になりました。
 じっと、池の端で、魚を釣っては戻す、その繰り返しでも良いではないか。
 その、何処が悪いのか。  
 ある日、そう思いました。
 私が数学や英語の本を読んで、その何処に、釣りと比べて、何か優越した意味があるだろうか。
 何も無い、と思いました。
 老人達にしても、魚は、どうだって良いのです。
 きっと、釣り人達は、微かに揺れる、浮きと水面を眺めながら、過ぎ去った人生を思い起こしているのだと思います。
 その思い出の中に、蘇る、若い頃の自分を懐かしんでいるのかも知れません。
 それなら、それで十分に、幸せな事です。
 他人の時間を、自分の尺度で推し量るのは、もっとも、愚かな行為でした。
 一度きりの人生、人は、皆、それぞれが思うように生きて、死んで行けば、それが最善だろう、と思います。


俳句


釣り人の 竿見つめる目 何見るか

始めと終わり

 もう梅の花が咲きました。
 真冬に咲く花と言うのは、植物の事はよく知りませんが、風媒花と言う事なのでしょうか。
 それにしても、これから、どんどん寒くなる季節に、花を咲かせると言うのは、全くの主観ですが、如何にも健気と言うものです。
 ですが、梅の花にしてみれば、確かに、酷寒の時期ですけれど、この季節に咲く事が、種保存の上で、最適なんでしょうね。
 さて、昨日のブログで、卒業式の事に触れましたが、それで、私自身の入学式と卒業式は、どうなっていたのか、一寸、振り返ってみたくなりました。
 1952年4月、前橋市立天川小学校入学式、霧雨が降っていました。
 父とは左手、母とは右手、小さかった私は、左右の手で、父母と手を繋いで歩いていました。
 時々、ぶら下がって、両手ブランコをしたりして、まだ若かった父母と楽しそうに歩いていました。
 この瞬間こそが、我が生涯で、最高に幸せだったと思います。
 それ以後、この日の思い出を超える、幸せに出逢った事は、一度もありません。
 ですから、私の一生は、この日で尽きていた、とも言えます。
 この日以降は、無くても良かったのです。
 あの当時、両親の愛情に包まれて、一番、幸せな時代でした。
 さて、新設の小学校は、中に入り、廊下を歩くと、真新しい木の香が漂って来たのを、はっきりと覚えています。
 簡単な知能テストをしました。
 係の先生に、鶏の絵を見せられ、「とり」と答えたら、あとで、母が、「あれは、にわとりだよ」と言ったのを、未だにして、覚えています。
 さて、小学校入学式なるものがあったのか、どうか、いくら記憶を辿っても、その場面らしきものは浮かんで来ません。 
 やったとしても、まだ小さな新一年生ですから、記憶に無いのかも知れませんね。
 次は、1958年3月、小学校卒業式。
 戦後の事で、体育館は無いですから、一番広かった音楽室で、卒業式をやりました。
 当日の天候ついては、記憶に無いです。
 参加したのは、恐らく、卒業生と代表生徒だったと思います。
 全校生徒は入りきれませんから。
 今でも、一番よく覚えているのは、当時のPTA会長さんの挨拶です。
 確か、土建屋の社長さんだったと思いますが、その話しぶりに、奇妙な独特の抑揚があり、聞いていて、私は笑いを堪えるのが、ひどく苦しかったです。
 それは友達も同じで、とうとう、その内、みんな、堪えきれなくなり、一斉に吹き出してしまいました。
 そしたら、男の先生が、素早く前に飛び出して来て、両手で制止のサインをしたと思います。
 私は、答辞を読んだのですが、聞いていた父が、感激でしょうか、涙を流していたと、言う事です。
 その事実を、私は、誰から聞いたのか、今となっては、記憶にありません。
 小学校を卒業すると、またまた新設の中学校に入学となりました。
 中学校は、小学校から、東へ100メートル位の、すぐ近くにありました。
 1958年4月、13歳、前橋市立第五中学校に入学しました。  
 入学式の日、桑畑を整地したばかりの校庭は、まだ凸凹していました。
 その校庭を友達と、話ながら、登校した事は、明確に覚えています。
 ですが、入学式の事は、どうにも、思い出せません。
 校舎は、半分しか完成して居なかったので、恐らく、校庭でやったと思いますが、その場面は、何も脳裏に浮かんで来ません。
 入学当時の記憶は、殆ど無くて、最初の音楽授業で、「牧場の朝」を歌ったのを覚えている位です。
 三年後の中学卒業式は、まだ体育館が、市内の中学校には無かったので、校庭で行いました。
 答辞を読んでいた私の足下に、和らいだ春の風が吹き、砂煙が、僅か、立ったのを覚えています。
 特に、印象的な事はありません。
 次は、高校の入学式です。
 1961年4月、これまた、すぐ近くの、中学校から300メートル位、県立前橋高等学校に入学しました。
 ですから、私は、小中高と12年間も、天川町の殆ど同じ場所で、過ごしました。
 さて、高校の入学式ですが、これも、全く記憶にありません。
 覚えているのは、翌日位に、応援団部員が来て、体育館で、応援の練習をした事位です。    
 体育館がありましたから、入学式はあったと思うのですが、政治家では無いですが、全く記憶に無いです。
 三年後の高校卒業式は、当時、国立大学の受験日と重なっておりましたから、これは、間違いなく、出席しておりません。
 次は、大学ですが、入学式も卒業式も出た事は無いです。
 この事実のみで、私が、どんな大学生活を送ったのか、容易に、想像が付くというものです。
 大学に入学して、数日後、数学科の学生、教授と集団写真を撮ったのが、唯一の思い出です。
 と言うか、五年間の学生生活で、はっきり覚えているのは、この集団写真を撮った時だけです。
 あとは、ほとんど、偶にしか、大学には行きませんでした。
 何をしていたか? ですか。
 それは、ご想像に任せます。
 でも、時代が大らかでしたから、何とか五年後に卒業して、その後は、まあ、人並みな生活が出来たと思います。
 富裕層にも、有名人にもなれませんでしたが、私みたいな庶民は、こんな人生が、関の山と言うものです。
 さて、最後は、人生の終了式、葬儀ですが、これも参加する事無く、パスしたいと思っております。
 天国への入所式は、今までの女性に対する、数多くの善行により、フリーパスの通知が、既に来ております。
 なので、天国入所に関しては、全く、心配ないです。 
 と言う事で、葬儀も墓も、まして戒名など、坊主が儲けるだけ、要りません。
 よく散歩した敷島公園近くの利根川に散骨してもらえば、それで十分と言うものです。
 死ねば、何もかも消えて行くのが、普通の人間です。
 死んだら、何もかも、消えてお終い、なのです。
 まあ、ですから、生きてる内に、沢山の、素敵な女性に巡り逢いたいものです。
 さて、午後は、頑張ります。
 今日はですね、50歳前後に的を絞り、素敵な女性探索に行ってきます。


<あれ、今日は、ピチピチギャルでは無いんですか?>
<昨日、天国から指導が来てね、「汝、汎く衆生を愛せよ」という事なんだ。それで、偶には、孤独で寂しい思いをしている、熟年女性を救済する事にしたんだ>
<天国の神様の言う事は聞くんですね>
<ああ、そうすれば、天国で、美人の姉ちゃんを世話してもらえるからね>


俳句


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