上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

願い事

 ブログを見ていると、鬱病の人が、大変多い事に気付く。
 でも、その人が、書いている内容を見ると、とてもしっかりしているし、文章だけから見ると、とても鬱病とは思えない。
 鬱病とは、一体、どう言う事なのか。
 私も、過去に、職場で、部下の人が鬱病になり、暫く、一年位だが、その人と一緒に仕事をしていた事がある。
 日常の対応から判断する限り、全く、普通の健康人と、何処も変わった事が無い様に見えた。
 これで、この人の何処が鬱病なのか、と思ったものだ。
 40歳少し前の男性だったが、世間話は普通に出来るし、エロい話でも、ポンポンと調子良く、受け答えが出来た。
 ところが、いざ、目の前に、採点などの仕事が来ると、身体が動かないと言う。
 採点は仕事であり、しなければならないと分かっているが、身体が動かない、と言うのである。
 この、身体が動かないと言う表現は、全く不可解で、何としても理解出来なかった。
 普通、身体を動かそうと思えば、動くものである。
 さて、この辺りから、初めて、やはり、何かが健康人と違うらしい、と分かった。
 それで、彼は、ずっと、病院に通っていたが、良くならず、年度末に休職となった。
 鬱病は、恐らく、脳の、何かが、勿論、支離滅裂になるほど、脳の神経回路が狂っている訳では無いが、ほんの僅か、微妙に、その身体操作に支障を来していると言う事らしい。
 さて、脳の事は、未だに、殆ど何も分からないと言った方が、適切だろうと思う。
 それなのに、病院に行けば、沢山の薬を処方されるようである。
 この辺の事情は、私に言わせれば、かなり不可解の一語に尽きる。
 脳の事が分からないのに、何で、適当な薬を処方するのか、と言う事である。
 とは言え、病院側とすれば、脳の事は分からないから、患者に何もしない、と言う訳にも行かないのだろう。
 その病院側の事情も、まあ、理解出来なくは無い。
 となれば、現状を許容するしか無いのだろうか。
 さて、ブログを読む度に、多くの人が鬱病に悩んでいるのを見ると、とても気の毒で、何とかならないのかなと思う。 
 それで、以下に、私の独断を書いてみたい。
 まず、男の鬱病だが、一年間位、トランペットを吹かせるか、太鼓を叩かせるか、何か楽器を操作させます。
 なるべく、楽器操作にエネルギーを要するものが良いと思う。
 それから、あとは、好きな運動、格技、ボールゲーム、ボート、登山など、何でもいいですが、それらをさせれば、きっと、鬱病は治る気と思います。
 大事な事は、一日一回は、外の空気を吸う事だ。
 何万年も前の石器時代、狩猟に明け暮れた時代、その男達に、鬱病の人は、一人も居なかったのでは無いか、と思うからである。
 それと、最近の脳科学によれば、運動が、脳の働きに、我々が思っている以上に、密接に関与している事が、分かって来ました。 
 ですから、運動する事で、脳の働きが回復するよう、援護射撃する訳です。
 さて、女性の場合ですが、女性は、元々、男性の暗示に掛かるように出来ているようです。  
 ずっと以前、著名な運動部の監督さんから、男ですが、話を聞いた事があります。 
 すると、男子を指導する場合は、男子は、必ず反抗する時があるので、練習の理屈をきちんと並べてから指導する。
 対して、女子の場合は、反抗は無いので、理屈は良いから、ある意味、宗教的に、暗示を掛けて、指導する。
 体験的な話でしたが、大変、興味深く聞いたものです。
 であれば、女子の鬱病では、何かの楽器を操作する事は、不可欠ですが、後は、強力な指導者について、運動をすれば良いと思います。
 勿論、運動部では無いので、鬱病治療が目的なのですが、男の指導者による、強力な暗示の元で、身体を動かしていれば、本当に身体が動くようになると思うのです。
 もし、指導者がいないのであれば、自分で自分に、毎日、暗示を掛けて、身体を動かすようにすれば、良いかなと思います。
「今から、起きて運動するぞ」とか、「これから走るぞ」とかです。
 一日一回は、外の空気を吸うのは、男の場合と同じです。
 自室から出て、戸外の空気、木々の匂い、風の音、これらの自然環境に、身を晒す事は、不可欠の事だと思います。
 ところで、音楽が必須なのは、音楽は、脳の機械語で、脳に直接、作用するからです。
 物理学者、数学者に音楽愛好家が、とても多いのは、恐らく、音楽による、脳疲労の回復を、知らず知らずに、計っているのだろうと思います。
 かのアインシュタインも、バイオリンを好んでいました。
 私も、脳疲労を感じた時は、日本の唱歌を歌ったりしています。
 さて、妙な事を言うようですが、若い女性の鬱病であれば、その女性と、かなり親しい男が、毎日、しっかりと抱きしめて、「貴女の鬱病は、きっと良くなりますよ」と言ってやれば、一年間位で治るのでは無いか、と思うのです。
 これは、決して、いい加減な思いつきで言っているのではないです。
 女性には、暗示が強力に効くと言いますから、それなら、暗示療法が功を奏するのでは無いかと思うからです。
 もし、そんな男が居ない場合は、自分で自分に暗示を掛ければ良いと思います。
「この鬱病は、きっと治る」と、毎日、自分に話しかけてみて下さい。
 色々と、方法を書きましたが、これは、所詮、苦しんでいる人が、何とか、鬱病を克服して欲しいと言う、私の強い願い、なのかも知れません。
 いえ、やはりですね、治してみせるぞ、と言う気持ちがあれば、必ず、治ると思います。
 鬱病は、脳の風邪と言う人も居ますが、であるならば、いつかは治ると思います。
 脳科学の発展が、少しでも早くなる事を祈る次第です。



俳句


県境に 白く輝く 未来あり




開花期

 人間は、動物学上、脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属に分類されるが、その存在は、自然界の中で、極めて特異である。
 どうしてそうなったのか、は、誰にも分からない。天国の神様だけは、その秘密を、恐らく、ご存じの事と思う。
 特異なのは、既に、その形態から確認出来る。 
 例えば、体毛が他の動物に比べて、激減している事。
 虎やライオン、ゴリラなどと比較すれば、それは、すぐにも分かる。
 でも、体毛は、物理的打撲等には防御機構として、また寒冷期には、寒さを防ぐ事も出来るから、皮膚に備わっている方が適切だと思うが、何故か、人間の肌には、他の動物と比較して、極端に毛が少ない。
 ところで、私自身は、若い頃、体毛が少なくて、密かに劣等感を抱いていた。
 男なのに、手足に毛が殆ど生えていなかったのだ。
 若い女の子の前で、毛が生えた逞しい腕を見せたかったが、その夢は、残念ながら、実現出来なかった。
 でも、下の方は、普通に生えたから、何とか、救われた。
 さて、人間は、他にも、直立歩行や言語、大脳の発達など、他の動物と著しく異なった特徴を備え、他の生き物たちと離れて、孤立しているように見える。
 確かに、飛行機やコンピュータなどの精密機械を、他の動物は作れないが、だからと言って、人間は、他の動物から、それほど、隔絶している存在だろうか。 
 そこは、私にすると、大いに疑問である。
 例えば、言語能力は、レズリー・ホワイトによると、人類のみが所有するものである、と言う。
 これも、著しく、的外れな考えだと思う。
 そうでは無くて、全ての動物は、その動物なりの言語を有していると思う。
 人間が、その動物の言語を理解出来ないからと言って、それは、その動物が、言語を有していない、と言う事では無い筈だ。
 例えば、公園を散歩していると、芝生の上に、沢山の小雀たちが、集まっている。
 色んな場所で生まれた、小雀たちが、同じ芝生に集まっていると言うのは、自分が、雀の仲間であると言う事を認識し、また、色んな情報をやりとりしているから、リーダーの合図で、一斉に飛び立ったりするのだ。
 昆虫類の情報交換については、ミツバチの研究が、それを明快に示している。
 恐らく、かなりの下等動物でも、情報交換の言語を所有していると思われる。
 水面に浮かぶ、ボウフラは、魚などの天敵が来ると、一斉に底に沈んで逃げてしまう。
 これも、何らかの情報伝達手段が、ボウフラたちの間に存在しているのだと思う。
 だから、原理的には、生命は、皆、同じ機構を有していると思う。
 さて、ヒト属の雌、即ち、人間の女性には、発情期が無い、と言うのが、著しい特徴である。 
 他の動物は、季節によって、または、餌等の環境で、雌が発情し、フェロモンを出して、雄を惹きつけて、交接、妊娠、繁殖行動を行う。
 中には、栄養豊富な環境だと、雄が雌に性転換して、発情すると言う、器用な種もある。
 このように、雌の発情は、多くの種にとって、不可欠な繁殖手段なのである。
 ある意見によれば、女性に発情期が無いのでは無くて、いつも発情しているのだ、と言う、かなり過激な指摘もある。
 しかし、猫の雌などの発情期を見れば、狂ったように吠えて、相当のエネルギーを発散しているから、それを考えると、女性がいつも、発情期の状態にあると言うのは、些か適切さを欠くと言うものだ。
 もっとも、現実には、常に、発情していると思われる女性を見かける事もあるが。
 それは、さておき、人間は、他の動物と、それほど隔絶していない筈だから、女性にも発情期は、当然、あると考えるのが、妥当な結論に違いない。
 高校生の頃だったか、どうして、雌である女性に、発情期が明示されないのか、不思議に思った事がある。
 もし、女性に発情期があれば、すぐに、容易に、セックスの相手をしてもらえるのに、それが無いのは、実に、残念な事と思ったものだ。
 さて、それは、長い間の疑問であったが、先日、ふとした折りに、氷解した。
 午後、散歩から帰って、ブログを見ていたら、それが不倫ブログだった。
 内容は、私から見ると、かなり過激な単語が散りばめられていた。
 以前、不倫ブログに膣トレなる言葉もあったが、それ以上に、性的な単語が羅列されていた。
 どうして、この女性は、この言葉を恥ずかしげも無く、狂ったように羅列出来るのか。
 そう考えた時、閃いた。  
 そうだ、この女性は発情しているのだ。
 だから、一切の理性を放擲し、一匹の雌として、命の限り、性的な言葉を叫んでいるのだ。
 それは、まさに、雌猫と同じく、激しい性エネルギーの爆発であった。
 即ち、女性の発情条件は、季節とか、環境とかでは無くて、気に入った雄に出逢い、恋愛が始まると、発情するのだ。
 人間の女性には、恋愛が、発情期の引き金なのだ。
 やはり、人間の雌にも、発情期は、存在したのである。
 そうか、やはり、人間は、他の動物たちと、同じ存在なのだ、と、新たに確信して、私は、何か、ほっとした想いを抱いた。
 改めて、他の不倫ブログも見たら、「普段、性欲を感じた事の無い、あたしなのに、どうして、こんなに性欲を感じてしまうのか」等と言った、記述も見られた。 
 そう言えば、発情期で無い、普段の女性は、それほど、強烈な性欲を持っていない事は体験的にも分かる。
 さて、発情して高まった性欲は、性交に至り、妊娠となる。
 妊娠すると、当然の事だが、もう性交は不要となるので、女性の性欲は激減する。
 即ち、ここで、女性の発情期間は終了したのである。
 後は、無事に出産を待つだけである。
 この時期、脳内からは、妊娠状態を快と感じるホルモンが、常に、放出される。
 だから、出産までの大変な時期を、動物の雌は、耐えられると言うか、ある意味、性的には楽しむ事が出来るのである。
 この作用が無かったから、とても長い間の妊娠期間に耐えられるものでは無い。
 さて、この時期の夫は、セックス出来ないから、浮気も、大変に、発生しやすい。
 しかし、浮気の要因は、実は、セックス出来ない事のみ、では無いのだ。
 実は、そこには、原理的な生物学的理由が、介在するのである。
 それは、繁殖と言う立場で考えると、雄にとって、妊娠した雌は、ある意味、用済みなのである。
 また、新たに、妊娠していない雌、即ち、ほっそりしたウェストを持つ雌を探して、妊娠させる事が、雄としての、神様から言われた、喫緊の仕事なのである。
 よく、身の上相談など、女が妊娠したら、途端に、男が逃げてしまった、等という話があるが、あれは、動物としての雄であれば、当然の本能動作なのである。 
 だから、交際していた男が逃げたなんて言う事例は、特に珍しい事では無い。
 とは言え、人間の場合、男は、夫としての義務は、きちんと果たさないと駄目です。
 と言う事で、人間の女性の発情は、季節、環境では無くて、気に入った雄の出現による恋愛が、その誘発条件であると推察されます。
 なお、本理論は、あくまで、上州無線の独断に基づくものである事をお断りしておきます。


<あの、上州無線さん、女性を発情させる薬は無いんですか?>
<君は、また良からぬ事を考えているな。そんなもん、無いよ>
<そう言わずに、何かありませんか>
<うーん、無くも無いがね。深層心理的には>
<是非、それを教えて下さい>
<君の彼女に、可愛い、赤ん坊のお人形さんをプレゼントしなさい。そうして、毎日、それを抱いてもらうのだ。デートの時も、持って来て、抱いてもらう> 
<えっ、そんな事が効果あるんですか> 
<ああ、あるよ。ある若い女性が、他人の赤ん坊を、一ヶ月ほど、預かっていたら、何と、おっぱいが出て来たんだ。人形でも同じさ。だから、妊娠願望が起こり、お待ちかねの発情も始まる筈だ>
<あっ、ありがとうございました。早速、やってみます。では、失礼します> 
<おーい、待て待てよ、相談料、もらってないよ>


俳句


逞しき イタリア女 髭もある


地球とカレンダー

 新年が来たと言う事は、地球が太陽の周りを一年掛けて、一回りしたと言う事である。
 でも、本当の事を言うと、地球は、太陽の周りを、完全には一周していない。
 月毎のカレンダーは、間違いなく12枚切り取ったから、12ヶ月、365日過ぎた事は確かである。
 それなのに、地球は一周していないとは、どう言う事か。
 それは、ご存じのように、地球が太陽を一周するのに要する時間が、365.2422日だからである。
 正しい数値は、365.2422・・・だが、便宜上、小数4位までとする。
 即ち、365日と、約6時間経てば、地球は、太陽の周りを一周して、軌道上の正月に戻って来る。
 さて、今、地球の公転軌道を陸上競技場のトラックと考えて、そのスタート位置を正月と考える。
 こうするのは、カレンダーと地球の動きを同時に考えると、話が分かり難くなるからである。
 さて、カレンダーで一年が過ぎた時、カレンダーを走者と考えた時、どこに居るだろうか。
 カレンダーは、365日経った訳だから、スタートから365日過ぎた地点に居る筈だ。
 ところが、このトラックは、一周が365日と6時間である。
 と言う事は、カレンダーは、正月であるゴール手前、6時間の所に居る事になる。
 即ち、カレンダーでは、一年過ぎたのに、季節としての正月には着いていないのである。
 即ち、カレンダーで一年を考えていると、毎年、6時間ずつの遅れが生じるのである。
 カレンダーには、365日しか無いから、どうしても、トラック一周に対して、6時間足らなくなってしまうのだ。
 さて、この、約6時間は大した差異では無いが、これが四年経つと、どうなるか。
 6×4=24 だから、約一日分の差異となる。
 まあ、一日位の差異だと、カレンダーと季節との不一致は、人間の感覚では認識出来ないから、特に、生活に不便と言う事は無い。 
 ところが、例えば、400年経つと、100日、即ち、三ヶ月の齟齬が生じてしまう。 
 こうなると、カレンダーと季節は、全く一致しなくなるから、生活上も大変困る。
 カレンダーは、元々、暦で、社会生活や農作業の目安にしたものである。
 カレンダーを見て、種まきしても、季節がズレていれば、苗は芽を出さない。
 これでは、カレンダーの意味は無い。
 さて、四年間で、カレンダーは、ゴールである正月まで、一日手前に立っている。
 このままだと、カレンダーと季節は不一致のままである。
 そこで、カレンダーに一日足してやれば、カレンダーの位置は前に進むから、トラック上の正月と一致する。
 即ち季節感とカレンダーは、一致する事になる。
 これで済めば、話は簡単なのだが、そうは行かない。
 自然は、人間が望むような、整数値で構成されていないのだ。
 一年に、0.2422日遅れるので、四年経つと、ズレるのは、一日分、丁度では無くて、0.9688日となる。
 即ち、一日分までは、ズレていない。 
 そこで、トラックに立って居る、カレンダーを正しい位置に補正するために、カレンダーに一日分を補充してしまったら、どうなるか。
 これは、供給過剰である。
 即ち、1-0.9688=0.0312 となり、0.0312日分だけ、カレンダーが、前の方にズレてしまう。
 当然、今度は、暦、カレンダーの方は、正月であるゴールよりも先に行ってしまう。
 カレンダーと季節は、まだ、ズレたままです。
 さて、0.0312日は、大した値では無いが、さりとて放置は出来ない。
 これでも、閏年が100回来れば、即ち、400年経てば、3.12日となり、約三日分のズレが生じる。
 即ち、カレンダーが、またまた、トラックの前方に動きます。
 三日分、行き過ぎですね。
 なので、400年間に、三日分を減らす必要がある。
 しかし、連続して三日分減らすと、生活にも影響が多いので、100年毎に一日分ずつ減らすようにする。
 それで、例えば、西暦1600年、1700年、1800年、1900年、2000年の場合で考えると、1700年と1800年と1900年の時だけ、一日減らすようにすれば、1600年から1999年の400年間で、丁度、三日分を減らす事が出来る。
 具体的に、三日分減らす作業は、100で割り切れる西暦年の内、4で割れない西暦年を選び出し、その年の閏年を廃止して、一日分減らす。
 これで、カレンダーは三日分、トラック上を逆戻りしますが、まだ正確には、本当の正月と一致していません。
 三日分補充しましたが、3.12-3=0.12 だから、まだカレンダーの方が、0.12日分だけ、先にズレて居るのです。 
 即ち、400年間で、補正をしても、0.12日分だけ、カレンダーが先を走っています。
 と言う事は、例えば、4000年経つと、1.2日分のズレ、カレンダーが先行してしまうと言う事である。 
 どこまで行っても、この補正は、キリが無いですね。
 即ち、ピッタシ丁度になる事は無いのです。
 さて、今は、原子時計で時間を決めていますが、それでも、季節感との補正は不可欠な作業です。
 正月が来たので、一寸、暦の事を考えてみました。
 当初は、農作業のために作られた暦ですが、その製作は、なかなか難しいですね。
 さて、暦の研究で、天体の運行を詳しく調べたりした事は、やがて地動説の誕生を促す事になりました。
 ですから、暦学は、近代諸科学の源流とも言えるものなのです。
 因みに、2016年が閏年でしたから、そこで、カレンダーに閏日を入れて、補正した訳です。
 でも、2017年正月で6時間ズレて、また2018年正月で6時間ズレてますから、合計して、今現在、2016年から見ると、12時間、カレンダーと季節がズレています。
 即ち、季節の方が遅れています。または、地球の位置が遅れています。
 でも、当然ですが、そのズレに気付く人は、居ませんね。


<あの、今日は、いつものギャルの話が、全然、出て来ませんが> 
<うん、偶にはね、どうしても科学的数理的な話をしたくなるんだ。男はね、美しい女の人、好きだけど、やはり、自然とか、宇宙とかの科学的探索は、もっと好きなんです。過去の発見も、殆ど男でしょ>
<そうすると、女性と付き合うのは、言わば、科学探索に飽きた時の、気分転換と言う事ですか>
<そんな失礼な事、言っては駄目だよ。男には、科学も女性も不可欠な存在。それに美しき女性は神様なのだから>
<でも、その台詞は、女性の前だけの事、なんでしょ>
<あっ、また急用の電話が来たから、これで失礼するよ>



俳句


星の名を 教えた夜空 今何処(いずこ)


女性の肌は美しい

 このブログには、政治的な事は書かないと言うのが、私の基本スタンスです。
 ですが、今朝のニュースショーを見て、少し呆れたので、まあ、ほんの一寸だけ、書きたくなりました。  
 アメリカが、北朝鮮を攻撃する場合、日本には事前通告をしないだろうと言う話が出ていました。
 即ち、同盟国なのに日本は蚊帳の外に置かれる、と言う事ですね。
 怪しからんでは無いか、と言う論調です。
 でも、これは、至極、当たり前の事だと思います。
 日本は、軍事的な意味では、本当の独立国家ではありません。
 軍事機密情報を扱う機関も、厳密には存在していません。
 日本版NSCと呼ばれる国家安全保障会議はありますが、大した機能はありません。
 その日本に軍事的な事前情報を漏らせば、忽ち、世界中に機密が漏れてしまいます。
 そんな国に、アメリカが先制攻撃の機密情報を伝える事は有り得ません。
 平和惚け日本よ、もう目を覚ましなさい、と言いたくなりました。
 これについて書いていると、キリが無いので、これで止めます。
 あと、ついでなので、タブー破りを、もう一つ。
 昨日、ネットを見ていたら、カトリーヌ・ドヌーブさん等100人ほどの人が、声明を出しました。以下です。
『仏女優カトリーヌ・ドヌーブさんは9日、仏女性作家ら約100人と連名でルモンド紙に公開書簡を発表し、世界各地で相次ぐセクハラ告発について「口説く自由は認められるべきだ」と男性側を擁護した』
 ドヌーブさんは、私よりも2歳上です。若い頃、よく外映を見ましたが、そのスクリーン上で、まだ若かったドヌーブさんを何度か見た事があります。
 綺麗でしたが、それよりも逞しい女の印象で、イタリア女を連想しました。出身は、フランスなのですが。
 ところで、最近、MeToo運動は、多くの支持者を得て、その勢いを増し、何か魔女狩りの様相すら帯びて来ました。
 そのMeTooに、正面切って、反対するのは、なかなか勇気の要る事だったと思います。
 やはり、私の印象通り、逞しい女なのかも知れませんね。
 でも、魔女狩りになりそうな、この風潮に、賛成意見だけで無く、明確な反対意見が出て来た事は、とても良い事と思います。
 世の圧倒的風潮に対し、なかなか、人間は、はっきりと反対出来ないものです。
 なので、今までも、歴史上、全体主義や魔女狩りが、繰り返して、何度も出現してしまった訳です。
 ナチスドイツ何て、今考えれば、ひどい政党ですが、誰も反対しなかったから、怖くて誰も反対出来なかったから、ドイツは、あの道を進んでしまったのです。
 やはり、一つの意見の暴走を防ぐ意味に於いて、賛成意見同様、反対意見も大切な事と思います。 
 このセクハラ問題は、討論し出すと、男女の立場もあって、キリがありません。
 それで、まあ、一つの解決策を、古稀の私が、敢えて言うとすればですね、それは、以下の通りです。
 即ち、全女性がイスラム教の国みたいに、黒いブルカを頭から、スッポリ被って、目だけ出すようにすれば、男のセクハラは、相当に減ると思います。
 要するに、男は綺麗なミニスカ女性を見たり、美しい肌を見ると、興奮するように脳が作られている訳です。
 従って、美しい肌を黒い布で、全部隠してしまえば、手を出す事は、確実に激減します。
 これで、セクハラ被害が無くなって、世の女性達は、目出度し目出度しになると思います。
 <あの、女だけブルカを着て、辛い思いをするのは不公平じゃあ無いですか?>
 <いや、男も、ひどく辛いのですよ。何故なら、美しい女の肌を見れなくなるのですから。即ち、男も死ぬほどに辛いんです>
 ところで、以前、イスラム教の国で、ミニスカートを穿いて、道路を、一寸、歩いた女性が、石打の刑に処せられたとかのニュースがありました。
 石打の刑は、すぐに死なず、石を投げられ続けて、3日間位掛かって死ぬようです。
 女性は、どんな服でも着る自由があると思いますが、でも、イスラム教の国では、これも反対意見が出ないから、連綿と何百年も続いているのでしょう。
 そこで、今、注意深く見ると、MeTooの運動は、見た目は違いますが、その本質に於いて、どことなく、イスラムのブルカに、かなり似ているように見えて来ました。
 MeTooの運動は、このまま暴走してしまうと、ブルカ社会と、同じように、極端な位置に到達してしまうかも知れません。
 その極端に走らないためには、どんな主義、主張にも、何らかの反対意見は、是非、必要な事と思います。
 あれっ、政治的な事は、短く終わりにするつもりでしたが、もう、かなり長く書いてしまいました。 
 と言う事なら、仕方ない。
 このまま、掲載しましょう。
 それにしても、世の男女関係は、極めて複雑怪奇です。
 セクハラで始まったけれど、結局、仲良くなって、幸せな結婚生活を送ったと言うのもあります。
 また、セクハラも無くて、最初から、気が合って、一緒になったのに、数年後にはDVで離婚だ、なんてのもあります。
 ただ、そうは言っても、余りにもはっきりしている、悪質なセクハラは、きちんと取り締まるべきです。
 ストーカーに殺された女子大生は、本当に可哀想です。   
 これは、セクハラの線引きが容易でないので、そのため、明快な線を引けないのが、セクハラ問題を余計に難しくしているんですね。
 同じ、お触りをしても、やってる男が違えば、セクハラになり、または、セクハラにならない、訳ですから、あとは、女性の胸三寸です。
 でもなあ、全女性がブルカになったら、私は、厭だなあ。
 美しい女性の肌を見れないのは、もう、生きてる意味は無いです。
 と言う事で、諸般の事情を考慮すると、今後は、セクハラを極度に気にする女性の場合、男は、その女性との距離を、最低10メートル以上、常に確保するよう、留意するのが、現時点では、最善かも知れません。
 それと、セクハラを極度に気にする女性には、肌を見せない服装、スカートを着用しない事を、男性側から、丁寧に、お願いするのも、妥当な対策かなと思います。
 でも、その女性も性的本能は有りますから、肌を見せないように、と、お願いしても、恐らく、いや、100%、承知しない事と思います。
 となると、日常生活で、女は自由にミニスカを穿いて、男は、必死に見ぬ振りをして、我慢する事になりそうです。
 うーん、こうなると、全女性にブルカを被せてしまった、イスラム教世界の男達の方が、どうも、もしかすると、賢いのかも知れません。
 さて、先日、義理の息子が来ましたが、電車通勤では、吊革を、必ず、両手で掴むようにしている、との事でした。
 手を下げていると、痴漢と間違えられて、危険なのだそうです。   
 うーん、もう世の中は、そこまで来てしまったのか、いや、何とも憂鬱な事です。
 私の若い時代は、そんな事も無くて、本当に良い時代でした。
 喫茶店で、初めて見て、いい女だなと思えば、すぐに声を掛けて、それから仲良くなるのも、よくあリました。
 今は、うっかり、女に声かけて、セクハラになって、警察に逮捕されるんでは、これは、もう、女を口説くなんて事は、出来ませんね。
 今の若い男は、大変な時代に遭遇して、本当に気の毒。
 結婚が遅くなってるのも、もしかしたら、こんな事が原因かも知れない。
 それにしても、どうして、こんな時代になってしまったんでしょうね。
  
<あの、上州無線さんは、セクハラで訴えられた事、ありますか?>
<うーん、一度も無かったなあ。それどころか、女性からは、何時だって、「もっと触ってよ」とか、「もっと、きつくギュッしてよ」とか、「もう終わりなの?」なんて言われてました>
<そうすると、持てる男には、セクハラ問題は無いと言う事ですか?>
<そうだね。女の側から、モテる男に接近して来る訳だから、女から文句は出ない。また、男は、通常、近づく女性を拒否する事も無い。だから、トラブルは起きないね>
<モテない女には男は近寄りませんから、セクハラ問題は発生しません。すると、セクハラ問題は、モテる女だけに発生すると言う訳ですか?>
<うーん、一応、デジタル的論理だと、そう言う事になるかな>
<すると、MeToo問題で騒がない女は、セクハラに縁の無い、モテない女と言う事になりますが?>
<うーん、かの有名な数学的帰納法で言えば、その論理は正しいかもな>
<それで、今、騒がないと、自分はモテない女と思われてしまうので、多くの女性は、先を争って、騒いでいるのでしょうか?>
<あのな、急用が出来たんで、これで失礼するよ>


俳句


吊革を 両手で掴む 男達







好判断

 昨日は、朝の8時30分頃、一寸、用事で出掛けました。
 いつもは、大通りを行くのですが、ふと、近道をしようと思い、裏道に入りました。
 ところが、暫く行くと、信号の手前で渋滞してました。
 暫く、様子を見ていましたが、動きそうもありません。
 その内に、サイレンなどが聞こえて来ました。どうも、事故があったようです。 
 10分位待った所で、「これは、車列を抜けて、別の道に回るべきだ」と判断しました。
 もう沢山の車が並んでおり、旋回は大変でしたが、運良く、私は前の車との車間を空けておいたので、何とか方向転換することが出来ました。
 今来た道を戻り、別の道に入り、そこから大通りに出ました。
 走りながら、渋滞した信号の方向を見ると、警察車両の点滅が見えて、かなりの事故と分かりました。
 これは、抜け出て良かったと思いました。
 あのまま居れば、2時間位も、そこに立ち往生してたと思います。 
 好判断による、小さな成功ですが、気分が良くて、昨日は、一日、何事も、うまく行きました。
 日常の小さな成功は、意外と大事な事なのですね。
 小さくても、積み重ねれば、大きな激励となるからです。
 昼になると、テレビでも、速報で、85歳の老人による事故と報道されていました。
 老人は、認知症の疑いがあり、以前から、その運転が不安視されていたようです。
 可愛い女子校生が二人、意識不明との事でした。
 被害者の二人が、偶然、そこを通りかかったのは、何とも不運な事でした。
 後遺症とかが無ければと、祈るだけです。
 さて、今朝になったら、新聞でもテレビでも、その詳細が報道されていました。
 台所で、新聞を読んでいたら、   
「今、前橋がテレビに出てるよ」と、老妻の声。
 それで、居間に行き、テレビ画面を注視しました。
 衝突された自転車など、ペシャンコで、事故の凄まじさが、よく分かります。
 そしたら、突然、老妻が、ひどく感心して言ったのです。
「こんな時にさ、偶然、事故の写真を撮ってた人が居たんだね」 
 テレビ画面では、事故車が道路を迷走する様子が映し出されていたのです。
 老妻の呆れ果てた無知を聞いた途端、大きな不安が私に襲いかかって来ました。
 大きな不安とは、老妻も、あんな事を言うようでは、将来、あの老人ドライバーのように、認知症がやって来るかも知れない、と言う事でした。
 古稀過ぎた老夫婦にとって、認知症は、もう他人事ではありません。
 書斎に戻って、沈思黙考。
 将来、どちらかが認知症になるとしたら、介護を考えると、老妻がなる方が良いかもしれない。
 老妻なら、いくら太っているとは言え、私の腕力なら、軽く抱き上げて、トイレでも何処でも運ぶ事が出来る。 
 私が健康であれば、老妻の介護は簡単である。その逆だと、介護が大変だ。
 色んな事を考えていたら、段々と、気が重くなって来た。
 でもまあ、歳取れば、誰でも、必ず、認知症になると言う訳でもないから、そう、ひどく心配する事も無いだろう。
 それよりも、今から、認知症にならない方策を、考えた方が良い。
 さて、病気に対して、私は、独自の哲学を持っています。
 即ち、病気は、以下の2点から、生じると言うものです。
 ① 脳回路の中にある設定値が狂ってる事から、病気が発生する。
 ② 患部の血流不足で病気が発生する。 
 例えば、私は、60代の半ば、痛風に罹りました。
 これは、周知のように、尿酸値7以上が長期間続く事に依り、痛風は発症します。
 私は、若い頃から、尿酸値が10を越えていました。
 でも、運動のお陰か、一度も痛風発作は起きなかったのです。
 それが、60代になって、とうとう痛風に襲われました。
 尿酸の多くは、体内で生成されますが、私の場合、その生成量の設定値が、生まれつきか、もしくは、途中で狂ってしまったのでしょう。
 これは、正常値よりも大きな数値が、脳の何処かに、設定されているのだと思います。
 それをパソコンのプログラムみたいに修正すれば、私が痛風になる事は、無いのですが、残念ながら、今の脳科学のレベルでは、そこまでは出来ません。
 将来、500年位すれば、恐らく、可能になると思います。
 そうすれば、身体機能の数値設定異常による病気は、全て簡単に完治する事になります。
 因みに、今現在は、痛風の薬を飲んで、尿酸の生成量を化学的に下げてますので、尿酸値は、6位です。
 ②は、例えば、関節炎になるのは、その患部への血流不足で、栄養や免疫低下が起きると言う、考え方です。
 これは、あくまでも、私独自の考え方ですので、その点は、お忘れ無く。
 さて、認知症にならないようにするには、①の手段は、脳科学が未発達なので、まだ使えません。
 ②のみが、頼りになります。
 では、具体的にどうしたらいいのか。
 まずは、脳の血流を盛んにする事です。 
 そのためには、脳を、沢山使う事です。
 脳を使えば、脳の血流が盛んになる事は、既に、確かめられているのです。
 それと、ニューロンと言う、脳細胞が増える事も、確かめられています。
 今までの脳科学では、脳細胞は、生まれてから死ぬまで、何の変化も無いとされてきました。
 それが、近年になって、そうでは無い事が、解明されたのです。
 嬉しい事に、ニューロンは、歳を取っても、脳を使っている限り、死ぬまで、生成されるそうです。
 このニューロン、まだ、詳しい働きは、よく分かっておりませんが、目的も無く生成される筈は無いので、恐らく、脳機能の向上に寄与してるものと推察されます。
 さて、かなり常識的な結論になりましたが、「日々、頭を使うこと」で、脳の血流を盛んにしておけば、認知症にならずに、済むかも知れません。
 読書とか、語学とか、数学とか、音楽を聞く、演奏する等、脳機能を高める場面は色々ありますが、脳科学の本の最後に、脳を活性化させるには、恋愛をする事も非常に良い効果を生む、と書いてありました。
 うーん、考えてみれば、恋愛は、頭も身体も猛烈に使いますからね。
 何とかして、異性の関心を惹こうと思って、男も女も、色々知恵を絞ります。
 であるならば、私が、認知症になる確率は、殆ど、有り得ないと分かりました。
 今でも、私の脳は、若い女性の悩ましき姿態で一杯ですし、疑似恋愛で溢れています。
 即ち、私の脳は、今現在、十分に活性化されていると言う事です。
 体力の方も、毎日、五分筋トレを二回していますから、筋力は少しも衰えていません。
 と言う事は、将来、認知症にはならず、私は、間違いなく、老妻を介護する事が出来ると言う事です。
 介護に自信が持てると、何か妙ですが、早く老妻が認知症にならないかなあ、そうすれば、懸命に介護してあげるのに、と思いました。
 いや、これは、些か、自信過剰でした。
 そうでなく、やはり、老妻には、死ぬまで、心身共に、健康で居てもらいたいと思います。



俳句


注連飾り 微かに揺れて 雪が舞う