上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

雨滴

 古稀位の年齢になると、葬儀の連絡が入って来るのは、もう珍しくはない。
 現役の頃は、連絡があれば、殆どの葬儀に参加した。中には、故人と一度も面識が無いのに、参列したこともある。
 さすがに還暦過ぎてからは、その範囲を一気に縮小した。 
 さて、普通は、葬儀に参列しても、お焼香して終わりとなるから、格段の印象は無い。
 まあ、親しい友人だと、葬儀後、多少の喪失感、寂寥感はあるが、日常の意識に、大きな変化を及ぼすまでは行かない。
 ところが、親族の葬儀となると、お焼香だけでは終わらない。最後の火葬場まで、確実に行く事になる。
 これが、どうにも辛い。
 何故、辛いかと言えば、横たわる白骨を見ることになるからである。
 白い骨位、人生の空しさを感じさせてくれるものが、他にあるだろうか。
 何時か、そう遠くない日に、私も、こんな姿で、無言で、横たわることになるのだ。
 そうすると、平穏な日常意識が大きく揺さぶられ、陰鬱な気分に落ち込む。
 しかし、いつまでも陰鬱な気分で居るのは、日々の生活に良くない。
 だから、私の葬儀参列後の、定番行為は、なるべく早い機会に、綺麗なミニスカートのお姉ちゃんを見に行く事、なのだ。
 華やかな若いお姉ちゃんを見れば、忽ち、一匹の雄に戻り、空しい白骨は雲散霧消、陰気な気分も、どっかに吹っ飛んでしまう。これで心理的バランスが回復する。
 先般、姉の夫、義兄が亡くなった。
 姉とは、冠婚葬祭とか、即ち、何か用が無ければ会わないと言う、比較的、縁の薄い姉弟である。でも、決して仲が悪いという事では無い。
 ところで、姉の家は、群馬から行くのに5時間も要する遠い所にある。
 だから、甥から訃報の電話をもらった時、半日もかかる遠い所まで、葬式に行くのは、正直、億劫な気がした。
 甥は、葬儀の日時を伝えた後、こう言った。
「叔父さん、遠いですから、それに身内だけの家族葬なんで、来るには及びません」
 家族葬なら、我が父の時に、私がやったことだ。そうか、そういう事か。
 「それなら、そうするかな」と答えた。勿論、香典、花輪代は、別便で送るつもりだ。
 電話を切った後、うっかり安易な返事をしてしまったと思い、暫し、考えた。
 待てよ、これは距離の問題ではあるまい。
 姉と義兄は4歳違い。ならば、姉も、そう先のことでは無い。
 だとすれば、今までのことを考えると、これが最後となるかも知れない。
 それに、いくら、日常的に疎遠とは言え、真の姉弟である。余程の理由があったとしても、葬儀に行かないのは、私の人生哲学に反する。行くべし。
 甥の電話の後、暫くして、今度は、姉自身から電話が来た。兄は通夜に来ると言う。
 それを伝えて来たと言うことは、姉が「お前も来て欲しい」と言う意味に違いない。
「姉御、あのさ、息子さんには、欠席と言ったけど、実は、考えが変わってね、行く事に決めました。だから、間違いなく、通夜、本葬に行くよ」
 本葬当日。
 姉は、しっかりと振る舞っていた。まだ、夫が亡くなったと言う実感がないのだろう。
 長い読経の間にも、姉の姿勢は崩れることはなかった。
 これは、よく聞くことだが、大勢の人が居る間は、気が張っているという事だ。
 さて、伴侶を失うことの辛さが、どの程度のものか、今の私には全く想像できない。
 ソ連の元大統領ゴルバチョフが、ソ連崩壊後、60歳代の時だったと思うが、最愛の妻を亡くした。
 あのタフと言われた、ゴルバチョフ大統領でさえ、「この歳になって、この辛さは耐えられない」と弱音を吐いた。
 葬儀場で悠然と振る舞っては居るが、きっと、姉の気持ちも、ゴルバチョフ大統領と同じ事だろう。
 さて、お焼香後、山深き火葬場に移動した。もう残っているのは、殆ど親族だけである。
 白い棺が焼き場の釜の前に静かに設置された。いよいよ焼却である。
 やがて、係員が、ゆっくりと棺を前に押し出した。棺が動き出した瞬間、側で並んでいた姉が、突然、一歩、前に飛び出した。
 私は、驚いた。まるで姉が棺を取り戻すように見えたからだ。
 姉は、体を前に傾けたまま、奥に進んで行く棺をじっと見つめた。
 鉄の扉は、見つめる姉を拒否したまま、音も無く、すぐに閉まった。
 でも、姉の気持ちは、よく分かった。
 死んでも遺体がある内は、まだ、夫は、この世に居る。しかし、焼かれてしまえば、もう、本当に夫は居なくなってしまう。
 老妻に依れば、姉は、棺が、焼き釜に入った後、気を失いそうになったと言う。
 気丈に振る舞っては居たが、姉は、限界寸前で、辛うじて持ち堪えていたのだ。
 その後、焼却が済むまで、いつもの会食である。
 テーブルの前にいる、甥の小さな娘を見て、我が娘の小さかった頃を思い出した。
 老妻も、そう感じたと見えて、しきりに話して掛けている。
 我が娘達との過ぎ去った日々が、ひどく懐かしい。 
 ほどなくして、連絡が来て釜の所に行くと、既に、白い骨が台車上に横たわっていた。近づくと、まだ、かなりの熱が照射され、顔が熱く感じられた。 
 例の箸渡しも終わり、お骨は壺に収まり、雨の中、元の葬儀場に戻った。
 これで、葬儀は、無事、すべて滞りなく終わった。
 先ほどまで控え室に居た親族も、殆ど居なくなってしまった。
 さて、これから遠い群馬まで帰らなくてはならない。私は急いで礼服を着替えた。
 まだ残っている、僅かな親族に最後の挨拶をと思い、荷物を手にしながら、控え室に行くと、姉が茫然と、一人で立ち尽くしていた。
 立ってる姉の姿は、ひどく寂しく見えた。それで、私の心に、突然、何かが生じたらしい。
 私は、姉に、そっと近づくと、姉をしっかりと、何度も何度も、抱きしめてやった。
「気を落とさないでね」
 胸の中に入った姉は、驚くほど小さかった。こんなに小さかったかな。
 突然のことで、姉は、びっくりしたかも知れない。でも、父親譲りの、肩幅のある、私の胸の中で、姉は、無言のまま屹立していた。 
 甥に別れを告げ、降りしきる雨の中、私は、老妻と葬儀場を後にした。
 ローカル線で1時間、上野駅まで行き、それから、始発の東京駅まで戻った。
 強い雨の中、東京駅から新幹線がゆっくりと動き出すと、私は、椅子を大きく後ろに傾けた。そうして、ゆっくりと深呼吸をした。
 ひどく疲れた。でも、来て良かったな、と思った。窓には、雨が激しく当たり、それは無数の太い筋となって流れ落ちている。
 絶え間なく、流れ落ちる雨は、いつしか、姉との思い出を運んで来てくれた。
 私が5才位の時、姉と道路で落ち葉焚きをした。昔は、土の道路だし、焚き火をしても文句を言う人は、誰も居なかったのです。
 その時、フィルムが余っていたのか、父が写真を撮ってくれた。当時としては、珍しいことです。
 その焚き火の写真を、私は、今でも、よく覚えているのだ。
 焚き火の側で、姉と小さな私が並んで立っている写真。私は左手に木の枝を持っている。それで焚き火をかき回したのだろう。
 その写真は、もう無い。実家の火災で焼失したから。
 学生時代、まだ新婚三ヶ月位だった姉のアパートを訪ねたことがあった。
 一人で留守番をしていた姉は、突然、私がドアを叩いたものだから、驚くと共に、ひどく喜んだ。それで何と一万円をくれた。当時の一万円です!。 
 姉は、嬉しくてたまらず、もう何も考えずに、訪ねて来た弟にお金をやったのだろう。
 その後、姉は生活費で困った筈である。私は、その金を、勿論、帰りの秋葉原で電気部品を買うのに、全部、使ってしまった。
 まだ学生だったから、姉の生活費までは、頭が回らなかったのですね。
 さて、長旅の後、自宅に戻ると、疲れたのか、何もする気がしなかった。暫く、茫然でした。
 それで、早めに寝ることにした。既に、ベッドで横になり、テレビを見ていた老妻に言った。
「遠くて疲れたけど、まあ、姉も喜んだと思うし、行って良かったよ」
 私の言葉に、老妻は何を思ったか、いきなり、起きると、ベッドに座り直した。
「そうね、行って良かったよね。貴方、すごく立派だったね、とても偉いよ。とっても素晴らしかった」
 幾分、興奮気味に言いながら、老妻は大きな拍手までした。老妻が、これほど私を褒めて、拍手までした姿は、今まで一度も見たことがなかった。
 葬儀に参列して、こんなに褒められるのは、全く想定外のことでした。
 さて、明日は、どこかに行って、気持ちのバランスを取るとしよう。そうしないと、陰気な気分が何時までも晴れないから。
 それにしても、人間の骨は、すごく白いのですね。暗い部屋でも浮かび上がって見えました。




俳句


矢のように 走る列車に 雨滴散る




おむすびコロリン

 ブログを見てると、鬱病を患っている人が、多いように思える。
 これは、やはり複雑な現代社会の縮図でしょうか。
 鬱病も脳の病気だから、残念ながら、まだ決定打は出てませんね。
 脳の仕組みは予想以上に複雑で、人間の手に負えないまま、人類が終わるかも知れませんね。
 ずっと前、私の部下に鬱病になり始めた職員がいた。50歳近くの男性だった。
 何とかしたいと思ったが、私には、どうすることも出来ない。
 それでも、本やネットから情報を集めると、笑うことが良いとあった。
 点線内は、ネットからの資料である。 
-----------------------------------
 医学的にも笑うことは、免疫を高めたり、脳を活性化させたりと良いということが実証されています。
 楽しいことが無いから笑えない、一人だから笑えないという意見の人もごもっともだと思います。
 しかし、実は、先に何もなくても笑っていると、脳が活性化されてくるということも実証されているのです。
------------------------------------
 神経伝達物質である、ドーパミンが増えて、脳に良い影響を与えるのだそうです。
 それではと、ある日、彼を呼んで、なるべく笑うようにしたら、と話した。
 そしたら、彼は、つまらなそうに言った。
「笑うものが何も無いですから、笑えませんよ。何も無くて笑ってたら、変だと思われますよ」
 ネットに書いてあった事と同じに、彼が言ったので、ひどく驚いた。
 普段の生活を見ている限りでは、全て普通に見えるのだが、やはり、鬱病は少しずつ進んでいたらしい。
 秋頃になり、症状は、少しずつ悪化した。
 とうとう、テストの採点が出来なくなった。目の前に答案用紙が置いてあり、本人も採点をしなければと思うのだが、何故か、できないのだと言う。
 鬱病ではあるが、採点の仕事があるのは、明確に理解している。
 だが、気持ちはあるのだが、手が動かないらしい。
 仕事をしなければと言う気持ちは、明確にあるので、却って、本人はひどく苦しむようだ。   
 そうして、彼は年度末を待たずに、休職となった。
 鬱病になる人は、真面目な人が多いらしい。几帳面というか、きちんとやり過ぎるから、脳が疲れてしまうのではないかと思う。
 ずっと前、遠足の引率をしたことがある。
 三時間ほど歩いて、山の比較的平らな斜面で、昼食にした。斜面の前方は、遙か、関東平野が見渡せた。
 適当な石を見つけて、その上に座った。若い女性職員が隣に来た。
 素晴らしい景色と、隣には若い女の子、今思いだしても、良い遠足でした。 
 で、その子が、包みを開いて、お結びを取り出したのです。
 ところが、手元が狂って、おむすびコロリンとなりました。
 斜面だから、コロコロと、下に転がって行きました。
 これは、可哀想に。
 きっと、彼女は、ひどく、がっかりすると思いました。
 あっという間のことで、私も手を差し伸べることも出来ませんでした。
 あの時、素早くキャッチしてたら、その後、私と彼女の物語が始まったと思います。
 さて、彼女ですが、転がるお結びを見て、突然、大声で笑い出したのです。
 若い女の子は、箸が転がっても笑い出すと言いますが、まあ、もう二十代の後半の女の子ですからね。
 一瞬の出来事でしたが、彼女の反応は、妙に私の心の中に永く残りました。
 そうして、それは、やがて私の生き方のヒントにもなりました。
 さて、鬱病になりやすい人は、何でも、真面目に気重に考えてしまうので、脳が蓄積疲労をしてしまうことで発病するのではないかと思うのです。
 おむすびコロリンでも、何でもそうですが、物事には両面あります。
 楽天的に、考えていれば、何でも笑うことも出来ますし、脳も疲れない。
 悲観的に、考えていれば、何でも悩み、脳が疲れ切ってしまう。
 これが何十年も続けば、結果は明らかではないでしょうか。
 ところで、おむすびころりんと言えば、確か、有名な昔話もありましたね。
 えっ、今日の文章は、真面目すぎて面白く無かった。まあ、鬱の人を何とかしたいなと思ったものですから。
 でも、此処が肝心な所です。点線内をもう一度、お読み下さい。
 面白いことがなくても、笑いましょうと書いてありますよね。
 さあ、思いっきり、大口開けて、大笑いして下さい。 


 


俳句


人生は 一度だけです 笑いましょ



土曜日の雨 

 女性のブログを読んでいると、食べ物、服、化粧、生活、旅行などが多い。
 それらに女性が強い関心を持っているという事だろう。
 男性は、趣味、仕事、旅行かな。
 とは言え、これは一般的なことだ。例外的な存在を挙げたら、キリが無い。
 男でも料理が好きな人は、珍しくはないからだ。
 なので、例外は、さて置いて、私の偏見だけで、降りしきる雨の土曜日の考察としたい。
 以下は、私の独断的感想です。御諒解を。
 ある日、神様が男を作った。でも、毎日、男が一人で寂しそうにしてるので、遊び相手を作ってやろう、と考えました。
 それで、男に、どんな遊び相手が良いか、要望を聞きました。
「基本は、私と似ている体型にして下さい。それと、括れ、おっぱい、豊かな尻、細い足、赤い唇、柔らかい手をお願いします。また、少しだけ小さい体格にして下さい。お人形さんのように抱いてみたいのです」
「そうか、よく分かった」
 それで、神様は、要望通りのものを作りました。でも、完成品は黙ったままでした。
「そうか、声帯を付けるのを忘れていたわい。楽しく喋れるように、脳に性能の良い会話回路を組み込むことにしよう」  
 ところが、神様は、始めて会話回路を作ったので、配線を間違えてしまいました。
 間違って超高性能のお喋り回路が出来てしまったのです。 
 ですから、完成した女性は、神様の前で、まさに機関銃のように喋り始めました。
「あたしの顔をもっと綺麗にしなさい。肌の色も白く。目は大きく。えらは小さく。膝頭は滑らかな形に。声は高く。唇はセクシーなピンク」 
 女の要求は、いつまで経っても止まらないので、神様は、たまらず、とうとう逃げ出しました。 
「これは耐えられん。何て口が軽いのだ。もう、後は知らん。男に任せよう」
 こうして、一人寂しい男は神様から、遊び相手として、女性を授かったのです。
 でも、その後、神様の予想は大きく外れて、女は、男の遊び相手どころか、男を振り回し、悩まし、絶望させる存在になったのです。
 その後、神様は、男から、女のお喋りを、一寸、作り直してくれと頼まれましたが、聞く耳を持たず、地球から去ってしまいました。
 なんとまあ、無責任な神様です。
 で、残された男は、毎日、口喧しい女性のご機嫌を伺うことになりました。
 以上は、私の体験から得た、聖なる神話です。
 でも、雄が雌に気を遣うのは、人間だけでなく、ある程度以上の生物に共通しています。
 例えば、昆虫の仲間には、セックスする時、雄が必ず、食べ物などのお土産を雌に持って行き、雌が、そのお土産を夢中で食べてる間に、すばやくセックスをする種も居ります。
 何と涙ぐましいことでしょうか。でも、これは、基本、人間も同じなのです。
 お気づきのように結婚指輪もお土産の一種です。
 即ち、指輪は、セックスの料金と同じ意味です。
 ですから、女性が指輪をはめてる期間は、その女性と自由にセックスできる筈です。 「筈」と書いたのは、時に、女性が不機嫌の場合、指輪をしてるのに、拒否されることがあるからです。ひどい話ですね。
 本当は、どんなに疲れていても、指輪をしてる以上、拒否する事は、好ましい事ではないでしょう。勿論、男側の論理ですけど。
 だから、少し脱線するけど、敢えて言えば、結婚も売春も、よーく考えれば、同じ次元なのです。
 女にお金をやって、セックスさせてもらう仕組みですから。
 偉そうにしてるけど、要するに、人間だけが特別の生き物ではないのです。
 さて、女性は、神様が作った最高傑作です。
 ですが、彼女たちのブログによく見られる、化粧、服装は、男である私には余りよく理解できません。
 好きな女性が、熟慮して、色んな服を着ても、女性が期待するほどには、男から見た印象は、あまり変わらないと思います。
 はっきり言えば、何でもいいです。
 それどころか、逆説的ですが、何にも着ない方が一番魅力的かも知れません。
  えっ? 誤解無用です。女のスカート姿は、それなりに魅力的。ズボン姿もそれなりに魅力的と述べているのです。
 両方とも、それなりに魅力的だから、差が無いという意味です。
 ほんとの事を言えば、男は、いつも雌の体を見ているのであって、服は、殆ど見ていないのです。関係ないです。
 時に、老妻が、「どっちが似合いますか」なんて、聞きに来ることがあります。
 でも、上で述べたように、男は、それほど女性の装いには関心がありません。
 老妻の場合は、特に子育ても終わり、夫は、もう本能的に、老妻を雌としてみていないので、余計に関心は薄れています。
 なので、答えに苦しむ所ですが、家庭内の平和のために、私は、「うん、此方の方がよく似合うかな」と、いつも、そんな風に答えています。
 化粧も、ほどほどがいいです。余り濃いと、素顔を見るのが恐ろしくなります。
 学生時代、私が、好きな女の子に、
「化粧なんてしてもさ、落とせば、素顔なんだから、しても意味ないなあ」と言ったら、
「じゃあ、24時間、死ぬまですれば、化粧顔がその人の顔になるんだから、いいんじゃない」
と言われたことがあります。
 まあ、男には、どんな化粧をしようとか、そもそも、そう言うことを考える回路がないから、化粧する女の心理は推測できないのでしょうね。
 化粧は雌の本能でもあります。
 だから、女性刑務所で、女の囚人に化粧を許可したら、囚人の行動が安定したという研究結果が、ずっと、昔に報告されております。
 さて、土曜の雨は、少し止んできたようです。私の駄弁も、この辺で。


追記
 明日は、千葉に葬式で行きますので、晴れて欲しいのですが。
 先ほど、老妻が喪服を着て参りました。例の評価を聞きに来たのですね。で、何を思ったか、いきなりスカートを捲って太腿まで見せました。
「もう、こんなに足、太いからさ、短いのは着られないんさね」
 目の前で、老妻なのに、スカートを捲られて、私は、思わず、はっとしました。 
 うん、まだまだ、私は現役の男だ。これからも、ずっと元気に違いない。
 と同時に、老妻が、まだ女の片鱗を残していることに、改めて驚いたものです。



 


     
   
俳句


老妻は 昔は美脚 今は象




虎馬

 トラウマとは、精神的外傷と訳される。英語では、psychological trauma。
 この言葉を、最初に聞いた時、虎馬とは、妙な言葉だと思った記憶がある。
 要するに、何かにひどく懲りて、二度と近づきたくない心情のこと。
 ずっと以前、二十代の頃、付き合っていた女性と、よくドライブに出掛けた。
 ある夏、彼女が乗鞍岳に行きたいと言った。群馬からは、かなりの距離なので、日帰りは無理である。少なくとも一泊は必要だ。
 私とすれば、何もそんな遠くまで行かなくても、と言うのが、男としての本音だった。
 しかし、どうしても行きたいと言うので、仕方ない、ホテルを予約することにした。
 若い男と女が旅行するのだから、女の体調が良い日でないと、何の意味も無い。
 だから、最終的な日程は彼女に決めてもらった。
 真夏の太陽の下、関越道に乗り、長野県を目指した。実に良い天気で、私の気持ちを反映しているようだ。
 男としては、万歳三唱の気分である。こんな時はハンドル捌きすらも軽快である。
 私自身は、乗鞍岳に、それほどの興味は無い。行けば、山岳の美しさに出会えるけれど、そんなもんは、まあ、どうでも良かった。
 要するに、彼女を抱ければ、それでいいのである。山よりも女、である。
 まあ、誰しも、全盛期の若い男とは、そんなものです。 
 素晴らしい山岳の景色を四方に眺めながら、車は、曲がりくねった山岳道路を快調に登って行った。やがて、山麓のホテルに到着。
 四時間位、あちこち走ったから、疲れてはいたが、意欲は十分すぎるほどあった。
 夕食が済んで、暫く、和室に寝転んでいると、自然と胸がドキドキして来た。
 さあて、いよいよだぞ。
 この瞬間こそが、若い男の生き甲斐である。
 この瞬間のために、耐え難きを耐え、忍び難き忍んで、遙々、長野まで運転して来たのだ。
 いや、これは苦労した甲斐があったと思った。
 フーッと息を大きく吐き出した。まるで、これから柔道の試合でも始まるかのような緊張感だった。
 すると、さきほど、トイレに行った彼女が浮かぬ顔で部屋に戻ってきた。
 すぐに、寝転んでいる私の所に顔を寄せて来た。
「ねえねえ、なっちゃったみたいなの、急に」
「えっ、なに?」
「急に、生理になっちゃったの」
 えっ、それはないだろう。いくら何でも。だからこそ、日程は、そっちに決めてもらったのだ。
 突如、想定外の重大な契約不履行が勃発したのだ。
 ここまで来て、出来ないというのは、男にとっては、死に等しい事だ。
 いや、殆どの男にとって、間違いなく発狂ものである。
 何て、無責任な女だ。選りに選って、男にとって一番重要な項目でミスするとは。
 それ無くしては、来た意味は何も無い。まさに天国から地獄である。
 いや、落ち着け落ち着け、そうでは無い。女性の生理は、時々、狂う時もあるらしい。
 決して、ワザとではないだろう。だから、仕方ない事だ。
 今更、理屈を並べて怒っても、なったものは、なったものだ。
 必死に、そう言い聞かせた。それで、なんとか、私は頭を切り替える事が出来た。
「別に良いよ、大丈夫なんだろう?」
「えー、知らないわ、そうなの、でも、貴方が良いと言うなら、あたしの方は、別に構わないけど」
「いいよ、全然、平気だよ」
 如何にも自信溢れる態度で答えたが、実は、今まで生理中の女とセックスをした経験は一度も無かった。
 それどころか、生理のことは耳学問で知ってはいたが、その実際については何も知らなかった。まあ、殆どの男は、そう言うことだろう。
 それで、私は、生理中でも大したことは無いと、勝手に考えた。と言うか、それ以上に、自分で自分を止められなくなっていた。
 さて、いざ、戦闘開始となった。 
 和風ホテルだったから、当然、布団の上でと思ったが、布団は駄目だ、と彼女は強く言った。
 彼女は、新聞紙を沢山もらって来ると、それを畳の上に厳重に敷いた。
 しかし、固い畳の上は、男の立場からすると、両膝が猛烈に痛くなり、かなりの苦痛になり、セックスに専念できなくなるのだ。
 それで、布団に新聞紙は駄目なのか、と何度も言ったら、渋々、彼女は承諾した。助かった。
 「・・・・・・・」 
 いつもとは、まるで違った。
 もう生理中の女とは、金輪際、絶対やらないと、固く心に刻んだ。 
 だが、驚く事は、それからだったのである。
 体を離して、下を見たら、一面、血の海だった。
 この時の光景は、今以て、忘れる事は出来ない。驚きの一語に尽きる。
 経血は毎月の事だから、女性は、もう慣れていて血なんか、全然、平気に違いない。
 が、男はそうでは無い。男は確実に、ものすごくビックリする。
 暫く、茫然と眺めていたような記憶がある。
 もう何十年も前の事だが、今なお、あの光景は、目前に鮮明である。
 以後、生理と聞いただけで、もう駄目。戦意喪失。
 二度と挑戦することはなかったです。 
 翌日、帰りのドライブは、もう運転意欲ゼロ。
 出来れば、彼女に運転してもらいたかった。全身は鉛のような重い絶望で覆われていた。来る時とは大違いだった。
 群馬に戻るまで、それは、何と、長い時間だったことか。
 確実に、来た時の三倍はあった。
 


追記
 書き終えて、ふと思いました。
 もしかすると、男であれば、誰であっても、これは青春時代の通過儀礼なのかも知れないと。
 昔からある至言?、「月夜に釜を抜く」は、月夜の女に我慢できない男の気持ちを表現したものですよね。この意味を、学生の時は、理解できませんでした。
  
 


俳句


西穂高 清流流れ 雲高し




欄干下

 何かの折りに、蒸気機関車の写真などを見ると、大変懐かしい。
   今は、SL=a  steam   locomotive と、呼んでますが。
 と言うのは、私の実家が国鉄の線路から、百メートル位のとこにあり、子どもの頃から、もう毎日、飽きるほど、蒸気機関車を見ていたからです。
 確かに、青空の下、黒煙、白煙を噴出しながら走る姿は、長閑な一幅の絵でしたね。
 更に、夜だと、夜汽車の動く灯りは、まさに神秘的。
 あの汽車は、どこに行くのかな、自分も、あの汽車に乗りたいなあと、子供心に、いつも思っていました。
 今でも、覚えている俳句がある。 
 「月の影 汽車の煙に 揺らぐかな」
 この句が、ある雑誌の俳句欄で、優秀賞になっていた。
 選者評は、確か、「煌煌たる月夜。その月が汽車の煙で、一瞬、揺らいだかのように見えたと言うのである。作者の鋭敏な感覚が偲ばれる」であった。
 しかし、もはや、蒸気機関車の走っていない現在、この句の情景を思い浮かべることは、多くの人に取って困難な事だろう。
 ところで、線路に近い場所に住んでいたので、子どもの頃は、自然と線路に関係した遊びをしてた。
 その一つは、線路に釘を置くこと。今、思うと危なかったね。
 汽車が通過すると、釘は、当たり前だが、ペッチャンコになった。それが面白くて、何度もやった。平らにした釘を何かに使う事は無かった。 
 それと、幅10メートル位の川に欄干がかかっていたから、その下に潜り込んだ。
 そうして、汽車が、頭上を通過するのを待つ訳です。
 怖いもの見たさですね。で、通過する汽車の轟音で泣き出す子も居た。
 あとは、線路には石が沢山敷かれているから、石英系の石も、少しあった。
 その石を二個探して、ぶつける。すると、大きな火花が散るんです。
 これは火打ち石ですね。
 綿などがあれば、火が点いたと思うが、そこまではやった事は無かった。
 夜などは、花火のように大きく火花が散った。今でも、石があれば、やってみたいと思う。
 子どもは、育った場所に応じて、遊びを考えるんですね。
 でも、線路は、やはり、危険な場所でもありました。
 小学生の頃、列車事故があり、轢断死体を何度も見たことがある。死体ではなくて、挽肉が辺りに散らばっていると言うのが、正直な感想です。
 小三の時、算盤塾の帰り、踏切で止まっていたら、すぐ前で、飛び込み自殺に遭遇したこともある。
 近所のお母さんが家庭内トラブルで、遺書を抱いて飛び込んだ事件もありました。
 戦後、まもなくの頃は、混乱の世の中だったから、列車の飛び込み自殺は多かったように思う。
 ところで、今でも蒸気機関車が、観光用に走っている所があるらしい。
 それで、また乗りたいかと言われれば、「いや、もう結構です」と言うのが、本音である。
 子どもの頃、上野まで行くのに、三時間近くかかった。
 そうすると、燃えがらの炭が、汽車の中に吹き込んで来て、全身が炭で汚れてしまう。
 特に、昔の長かった清水トンネル通過などは、もう息が出来ない位だった。黒煙が座席まで入って来て、辺りが暗くなった。
 だから、東京に日帰りした時は、帰宅すると、全身が真っ黒であった。耳や鼻の穴もだ。
 それと、線路脇に住んでいたから、窓や洗濯物は、飛んで来た炭で汚れるのが始終だった。
 まあ、見た分には絵になるけど、蒸気機関車は、実は、ひどい公害をまき散らして走っていた訳です。
 しかし、当時の汽車には、燃えがらの炭よりも、更にひどい事があった。
 それは、トイレ。
 昔の汽車は、それは電車も同じでしたが、トイレで出したものを、そのまま、走りながら、ばらまいて線路に捨てていたのです。
 これは、ほんとに信じられないことだが、事実です。
 ウンコもションベンも、そのまま、すぐに、線路に、振り蒔いていたのだ。
 従って、子どもの頃、線路近くの川で魚取りをしていると、黄色い煙に遭遇することもあった。
 だから、線路作業員は、列車が来ると、出来るだけ遠くに逃げたのです。 
 また、昔は、空調が無かったから、夏、汽車の窓を開けるしかなかった。
 すると、白い半袖シャツに、小さな黄色のシミがつくことが、よくあった。
 だから、事情に詳しい人は、駅弁などは、間違っても、食べなかった筈です。
 事情を知らない人は、駅弁を買い、これはすごく美味しいな、でも、どこか独特の味もするなあ、と思った事でしょう。
 これが、くみ取り式になったのは、先進国の日本で1960年辺りからでしょうか。でも、世界的には、まだ殆ど垂れ流しのようです。新幹線は最初から貯蔵式です。
 だから、昔のトイレには、「停車中はトイレを使用しないで下さい」とあった。
 今でも、トイレから下を見ると、線路の石が見えたのを覚えてます。
 まあ、色々ありましたが、それでも、やはり蒸気機関車は懐かしいです。
 汚い話、ごめんなさい。
 やはり、我ら男には、綺麗な女性の話が良いですね。



俳句


SLは 懐かしき日々 真っ黒け