上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

限りあるもの

 バックアップ用の外付けハードディスクが故障した。
 風呂釜が壊れたと思ったら、今度は、書斎にある、メインパソコンの外付けハードディスクが壊れた。
 どうも、三日位前から、以前と異なり、保存に数十秒かかったので、これは変だとは感じては居た。
 正常であれば、ブログ等の保存でも、1秒も要しない。
 それで、試しに、少し大きなファイルを保存したら、何と、5分位、延々と続いた。
 しかし、クラッシュしたり、立ち上がらなくなれば、それは故障だと、はっきり分かるが、動作が遅くなった場合は、まだ故障であると、すぐには断定は出来ない。
 と言うのは、ソフト的に遅くなる場合がある。
 即ち、不要ファイルの蓄積で、シークに時間が掛かり、動作時間が遅延する場合があるからだ。
 とは言え、それは、通常、分単位と言うほどの遅れにはならない。
 そこで、不要蓄積ファイルとは無関係の作業、新規フォルダ作成を試行してみた。
 何と、3分位も掛かった。
 これは駄目、アウトだ。
 正常ならば、所要時間は、0秒である。
 それにしても、風呂釜の次は、ハードディスクとは。
 諺に言う通り、不幸は連続してくるようだ。
 Misfortunes never come singl. (不幸は決して一人では訪れない)
 Misfortunes always come in pairs. (不幸は立て続けにやって来る)
 日本語では、踏んだり蹴ったりとか、泣き面に蜂です。
 昔は、何かが故障すると、それを修理するのが、楽しみでもあったが、今の時代、それは無くなった。
 個人で修理出来る時代は終わってしまった。
 さて、ハードディスクでバックを取っておく事の重要性は、長大なプログラムを作成した経験のある人なら、誰でも、痛いほど分かっている。
 だから、私のパソコンは、文書等を作成すると、自作プログラムで、ハードディスクと二台のパソコンに自動的に転送するようになっている。
 と言う事で、バックアップ用のハードディスク無しで、パソコンを操作する事は、とても不安で、私には無理である。
 それで、昼飯を食べると、すぐに、電気店に行った。
 この店は、近いけれど、店員の愛想が悪いので、普通は行かないのだが、今回は、仕方ない。早く交換したかったのだ。
 やはり、中年のおばさん、愛想が良くなかったです。
 さて、すぐに取り付けて、試しに、新規フォルダ作成をしました。
 そしたら、いつも通り、作成時間は0秒となりました。
 大体、ハードディスクは、私の場合、はっきり分かりませんが、保つのが5年~6年位でしょうか。
 今度のは、2Tで、12000円でした。
 ただ、以前のに比べると、外箱の作りがチャチです。
 ハードディスクのユニットをプラスチックの箱に入れただけ、のようです。
 動作を示すLEDも付いて居ないと言う、あくまで低価格志向の徹底ぶりです。
 いや、豆粒見たいのが付いておりました。小さくて分かりませんでした。
 でも、電気的には、動作は、ものすごく速くなってます。
 USB機器の性能向上と、周辺機器の品質がアップしたからでしょう。
 因みに、私は、壊れたハードディスクは、必ず、全て分解してから捨てています。
 二度と使えないようにするためと、部品のネオジウム磁石を取り出すためです。
 ところで、今、一寸、思案しているのは、現用の壊れてないパソコン、ハードディスクの事なのです。
 何故、心配かと言うと、私が急病になって、そのまま逝ってしまった時、重要データが消去されず、そのまま残るからです。
 急病で無ければ、入院の前に、破壊工作を行う事が出来ます。
 この件は、未だに、適切な解決策が思い浮かびません。
 どうしたら、いいのかなあ。
 私が亡くなった後、私のハードディスクから、彼女達のヌード写真が、大量に出て来るのは、とても素晴らしい写真だけど、どうも、少し恥ずかしいのです。
 それにしても、彼女達、いつも素直に、綺麗なポーズで写真に収まってくれました。
 思うに、世の女性は裸になりたい、それを男に見せたいと言う、本能があるみたいですが、それは、私が思う以上に、強い願望のようでした。
 おっと、脱線しました。
 さて、二度ある事は、三度あると言います。
 故障の三番目に、私がなるのは、まだ、遠慮したい所です。
 でも、機械としての私は、まだ大丈夫のようです。
 と言うのは、先日、三ヶ月毎の検診で診療所に行って来ましたが、特に、異常箇所は無かったからです。
 私自身の過去病歴としては、痛風、軽い右の脱腸がありました。
 痛風は、免疫系の強い人が罹ると言う、風説があるみたいなので、それは、大変、心強いです。
 まあ、その真偽の程は、何の保証もありませんが。
 脱腸は、どうしてなったのか、原因不明です。
 そもそも、医学的にも脱腸の原因は分かっていないようです。
 ものすごく太った人でも、脱腸になっていないので、単なる腹圧説では、説明が付かないのです。
 私のは、ごく軽い程度でしたので、勿論、手術後、再発はしていません。
 それと、家族の病歴ですが、父は、大腸癌、胆嚢摘出。母は、戦時中、私を抱いて疾走したために、以来、心臓が踊るようになった事。
 姉兄は、今のところ、健康です。
 なので、気をつけるとすれば、胆嚢と大腸と言う事になります。
 胆嚢は、若い時に、多少、具合が悪かったようですが、自然治癒したらしく、今は、違和感は無いです。
 大腸は、退職してから、2、3年でしたか、具合が悪い時期がありましたが、乳酸菌とビフィズス菌を意識して摂るようにしたら、再び、快便となりました。
 便通は快適で、退職するまで、便秘を経験した事がありませんでした。
 あと、小学校4年生の時、膀胱炎に罹りましたが、以来、膀胱には、余り自信はありません。
 精力の方は、年齢以上に、未だに健在です。念のため。
 とは言え、いくら現在、健康でも、病気は突然にやって来ますので、将来については、何の保証にもなりませんね。
 まあ、将来、誰でも、病気か事故で死ぬ訳ですので、それは仕方ないと思います。
 天命に従って、生き、そうして、何時の日か、死ぬのが人間の人生ですから。
 作家の佐賀潜さんみたいに、涙をボロボロ流して死んで行くのも、いいですね。
 とても人間らしくて。
 誰でも、死を怖く感じるのは、当たり前です。
 それが動物の本能ですから。
 しかし、死が本当に迫ると、人は皆、生を諦めて、従容として亡くなって行きます。
 最後になると、人は、全てを受け容れて、死をも、恐れなくなります。
 人間て、やはり、実に、素晴らしい存在なんですね。
 さて、不治の病気になると、もう生きているのが、誰でも、厭になると思います。
 でも、だからと言って、自ら死を選択するのは、やはり、いけませんね。
 最後まで、頑張って生きましょう。
 どうしてだって?
 そりゃ、あなたを赤ん坊から育ててくれた、父母の苦労を無駄にしないため、ですよ。
 ところで、私は、どう言う死に方をするのかな。
 まあ、痛いとか、苦しいのは、なるべく、止めて欲しいね。
 いずれにしても、死ぬ時、老妻が側に居てくれれば、もう思い残す事は無いです。
「長い間、ほんとに、ありがとうね。どうやら、終わりが来たようです。一人の生活で、何か困ったら、天国の私に電話するんだよ」
 これが、我が老妻に贈る、私の最後の言葉となります。


俳句


何時かは 消える人間 仕方ない