上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

名前と年月日

 父は、生前、所有する物には何でも、即ち、工具、本、靴、自転車、腕時計、とにかく、何にでも、自分の名前等を付けた。
 それから、記入のスペースがあれば、更に、その品物の購入月日、店名、その日の天候までをも記した。  
 父が残した、幾つかの工具、腕時計、本などが手元にあるが、それを見ると、懐かしい父の文字が残されている。
 随分と、几帳面な性格だなと思ったが、今となっては、ただ、懐かしく有り難い。
 父が、老人ホームに入った時、暫くしてから、国語辞典が欲しいと言って来た。
 新たに買うのもと思い、以前、私が使っていた、大きな辞典を持って行った事がある。
 五年後、父が亡くなって、老人ホームの部屋で荷物整理をしていたら、その辞典があった。 
 その裏表紙を開けると、果たして、父の手書き文字があった。
「平成17年10月22日 〇〇持参」 とあった。(〇は私の名前)
 薄い黒のボールペンで書いてあり、正しく、生前の父が書いた文字であった。
 書く時、少しインキの出が悪かったのか、一部、かすれている字もある。
 老人ホームに入って、まだ、間もない頃だったが、どんな気持ちで、この文字を書いたのだろうか。
 実は、入所した時、父は、数年経ったら、また、自宅に戻るつもりで居たらしい。
 その事は、老人ホームに逢いに行った時、部屋の壁に貼り付けたカレンダーに、毎日、〇印を付けて、過ぎた日数を記録している事から知った。
 〇印を付けても、どうなるものでも無いと思うが、とにかく、父とすれば、そうして、一日千秋の思いで、帰宅する日を待って居たと言う事だ。
 と言う事は、どんなに設備の整った、快適な老人ホームよりも、やはり、父は、自宅の部屋に居たかったんですね。  
 私の家は大きいので、その気になれば、十分、同居の余裕はありました。
 けれど、何せ、気難しい父でしたから、同居の自信が無かったのです。
 亡くなってから、やはり、父としては、本当は、同居したかったのだ、と思うようになりました。
 でも、父の口からは、それを、言えなかったのでしょう。
 私が、「私の家に来て住めば良いよ」と言えば、即日、大喜びで来たと思います。 
 いくら見かけは、立派な建物でも、老人ホームの孤独の生活なんて、決して楽しく無いだろうと思います。
 私も、将来、老人ホームに行く気は、サラサラ無いです。
 ですが、老人ホームも、最近は、アパートみたいな形式で、全く自由に生活が出来るのもあるようです。
 そんな条件であれば、食事位は、そこの世話になっても良いかな、とは思います。
 父は、木工が好きでしたが、その老人ホームに、工具類は一切、持ち込めませんでした。
 工具は鋭利な刃物ですから、まあ、認知症の人などの場合、危険と言う事です。
 それで、好きな趣味は何一つ出来ず、ただ、食べて寝ていただけの生活でした。
 こんな生活は、とても、私には耐えられません。 
 ですから、好きな事が出来るような老人ホームなら、私も、入りたいとは言いませんが、状況に依っては、入る選択もあるかも知れません。
 まあ、今は、毎日、筋トレをして、素敵な女性を毎日探して、脳を活性化させて、死ぬ前日まで、健康で居るように頑張りたいです。
 今、書斎の棚から、手元に、父の腕時計を持って来ました。
 この腕時計、父の遺品を引き取った時、老人ホームの部屋から、持って来たものです。
 生前、私が父に買ってやったものです。
 見ると、やはり、父の文字が書き記されてありました。
 皮のバンドですが、その裏に、黒のマジックで、書いてあります。
「平成20.3.24 〇〇 トケイ持参 〇〇〇〇」(〇〇は、私の名前、父の名前)
 ある日、腕時計が欲しいと言うので、ホームセンターで買って来たのです。 
 大きな文字盤の見やすいものでした。
 でも、皮バンドの色が気に食わないと言うので、交換に行き、薄茶の鰐皮バンドを買って来た記憶があります。
 平成20年の3月とありますから、もう、亡くなる直前です。
 同年5月13日に亡くなって居ますから、腕時計に文字を書いてから、二ヶ月足らずで、この世を去っています。
 この文字を書いた時、父は、確かに、生きていたんですね。
 亡くなってから、家を取り壊し、土地は更地にして、一昨年、手放しました。
 それと、沢山あった父の遺品は、置き場所がありませんでしたから、殆ど処分してしまったので、もう残っている物は、僅かです。
 私が亡くなれば、この父の遺品は全て、この世から消失する事でしょう。
 その時、父の書いた文字も消えてしまうのは、とても残念ですが、万物流転、これも仕方の無い事なのでしょう。
 今も、工作の折り、時々、使う小型のカッターにも、父の名前が書かれています。
 父が、それを使った日を偲びながら、私は、そのカッターで、何度も裁断したものです。  
 生前は、こんなメモ、書いても無駄では無いかと思って居ましたが、今は、その文字を見て、在りし日の父を偲ぶ事が出来るので、貴重な存在です。
 その文字から、父の言葉が聞こえて来るような気がするのです。
「そうか、お前も、古稀になったか。私の歳を追い越すように、頑張って生きるんだよ」
 ある日、父と母の位牌を、仏壇から、書斎の本棚に移してしまいました。
 位牌を見れば、そこに、父と母が座って居る、と思ったからです。
 ところで、父が亡くなった時、もし、マジックを持っていたら、きっと、棺桶にも名前と年月日を書いたと思います。


  
<あの、将来、身体が不自由になったら、老人ホームに行くしか無いのでは?>
<ならないよ。毎日、鍛えているから> 
<そうは言っても病気には勝てないでしょ>
<これは秘密だけどな、介護用の若い女を三人、見つけて、世話してもらうつもりだよ>
<そんな都合のいい女性、居ますか?> 
<だから、毎日、そう言う女を捜すため、街中を走り回ってんだよ> 
<なあんだ、愛人とは違うのですか。なら、ご成功を祈ります> 



俳句


辞典見て 在りし日の父 思い出す