上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

始めと終わり

 もう梅の花が咲きました。
 真冬に咲く花と言うのは、植物の事はよく知りませんが、風媒花と言う事なのでしょうか。
 それにしても、これから、どんどん寒くなる季節に、花を咲かせると言うのは、全くの主観ですが、如何にも健気と言うものです。
 ですが、梅の花にしてみれば、確かに、酷寒の時期ですけれど、この季節に咲く事が、種保存の上で、最適なんでしょうね。
 さて、昨日のブログで、卒業式の事に触れましたが、それで、私自身の入学式と卒業式は、どうなっていたのか、一寸、振り返ってみたくなりました。
 1952年4月、前橋市立天川小学校入学式、霧雨が降っていました。
 父とは左手、母とは右手、小さかった私は、左右の手で、父母と手を繋いで歩いていました。
 時々、ぶら下がって、両手ブランコをしたりして、まだ若かった父母と楽しそうに歩いていました。
 この瞬間こそが、我が生涯で、最高に幸せだったと思います。
 それ以後、この日の思い出を超える、幸せに出逢った事は、一度もありません。
 ですから、私の一生は、この日で尽きていた、とも言えます。
 この日以降は、無くても良かったのです。
 あの当時、両親の愛情に包まれて、一番、幸せな時代でした。
 さて、新設の小学校は、中に入り、廊下を歩くと、真新しい木の香が漂って来たのを、はっきりと覚えています。
 簡単な知能テストをしました。
 係の先生に、鶏の絵を見せられ、「とり」と答えたら、あとで、母が、「あれは、にわとりだよ」と言ったのを、未だにして、覚えています。
 さて、小学校入学式なるものがあったのか、どうか、いくら記憶を辿っても、その場面らしきものは浮かんで来ません。 
 やったとしても、まだ小さな新一年生ですから、記憶に無いのかも知れませんね。
 次は、1958年3月、小学校卒業式。
 戦後の事で、体育館は無いですから、一番広かった音楽室で、卒業式をやりました。
 当日の天候ついては、記憶に無いです。
 参加したのは、恐らく、卒業生と代表生徒だったと思います。
 全校生徒は入りきれませんから。
 今でも、一番よく覚えているのは、当時のPTA会長さんの挨拶です。
 確か、土建屋の社長さんだったと思いますが、その話しぶりに、奇妙な独特の抑揚があり、聞いていて、私は笑いを堪えるのが、ひどく苦しかったです。
 それは友達も同じで、とうとう、その内、みんな、堪えきれなくなり、一斉に吹き出してしまいました。
 そしたら、男の先生が、素早く前に飛び出して来て、両手で制止のサインをしたと思います。
 私は、答辞を読んだのですが、聞いていた父が、感激でしょうか、涙を流していたと、言う事です。
 その事実を、私は、誰から聞いたのか、今となっては、記憶にありません。
 小学校を卒業すると、またまた新設の中学校に入学となりました。
 中学校は、小学校から、東へ100メートル位の、すぐ近くにありました。
 1958年4月、13歳、前橋市立第五中学校に入学しました。  
 入学式の日、桑畑を整地したばかりの校庭は、まだ凸凹していました。
 その校庭を友達と、話ながら、登校した事は、明確に覚えています。
 ですが、入学式の事は、どうにも、思い出せません。
 校舎は、半分しか完成して居なかったので、恐らく、校庭でやったと思いますが、その場面は、何も脳裏に浮かんで来ません。
 入学当時の記憶は、殆ど無くて、最初の音楽授業で、「牧場の朝」を歌ったのを覚えている位です。
 三年後の中学卒業式は、まだ体育館が、市内の中学校には無かったので、校庭で行いました。
 答辞を読んでいた私の足下に、和らいだ春の風が吹き、砂煙が、僅か、立ったのを覚えています。
 特に、印象的な事はありません。
 次は、高校の入学式です。
 1961年4月、これまた、すぐ近くの、中学校から300メートル位、県立前橋高等学校に入学しました。
 ですから、私は、小中高と12年間も、天川町の殆ど同じ場所で、過ごしました。
 さて、高校の入学式ですが、これも、全く記憶にありません。
 覚えているのは、翌日位に、応援団部員が来て、体育館で、応援の練習をした事位です。    
 体育館がありましたから、入学式はあったと思うのですが、政治家では無いですが、全く記憶に無いです。
 三年後の高校卒業式は、当時、国立大学の受験日と重なっておりましたから、これは、間違いなく、出席しておりません。
 次は、大学ですが、入学式も卒業式も出た事は無いです。
 この事実のみで、私が、どんな大学生活を送ったのか、容易に、想像が付くというものです。
 大学に入学して、数日後、数学科の学生、教授と集団写真を撮ったのが、唯一の思い出です。
 と言うか、五年間の学生生活で、はっきり覚えているのは、この集団写真を撮った時だけです。
 あとは、ほとんど、偶にしか、大学には行きませんでした。
 何をしていたか? ですか。
 それは、ご想像に任せます。
 でも、時代が大らかでしたから、何とか五年後に卒業して、その後は、まあ、人並みな生活が出来たと思います。
 富裕層にも、有名人にもなれませんでしたが、私みたいな庶民は、こんな人生が、関の山と言うものです。
 さて、最後は、人生の終了式、葬儀ですが、これも参加する事無く、パスしたいと思っております。
 天国への入所式は、今までの女性に対する、数多くの善行により、フリーパスの通知が、既に来ております。
 なので、天国入所に関しては、全く、心配ないです。 
 と言う事で、葬儀も墓も、まして戒名など、坊主が儲けるだけ、要りません。
 よく散歩した敷島公園近くの利根川に散骨してもらえば、それで十分と言うものです。
 死ねば、何もかも消えて行くのが、普通の人間です。
 死んだら、何もかも、消えてお終い、なのです。
 まあ、ですから、生きてる内に、沢山の、素敵な女性に巡り逢いたいものです。
 さて、午後は、頑張ります。
 今日はですね、50歳前後に的を絞り、素敵な女性探索に行ってきます。


<あれ、今日は、ピチピチギャルでは無いんですか?>
<昨日、天国から指導が来てね、「汝、汎く衆生を愛せよ」という事なんだ。それで、偶には、孤独で寂しい思いをしている、熟年女性を救済する事にしたんだ>
<天国の神様の言う事は聞くんですね>
<ああ、そうすれば、天国で、美人の姉ちゃんを世話してもらえるからね>


俳句


 何時の日か 人生劇場 卒業式