上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

豊田村

 2000年、赤城山麓の中学校に赴任した。
 初めての出勤日、部屋に入り、そっと窓辺に寄ると、眼下に広がる、遙かな関東平野を眺めた。
 雨上がりの朝だったから、南西の方向に微かに虹らしきものが見えた。
 長い裾野に広がる光景は、朝日が射して、まさに、煌めく箱庭のように見えた。
 最初の日の事だったから、一層、この記憶は、鮮明にして、衰えていない。
 1週間ほどして、行事が一段落した頃だったと思うが、村内を巡る事になった。
 村の郷土史家が、新しく村に赴任して来た人達を、遺跡とか、風光明媚な場所に案内してくれるのである。
 小型のバスで、参加者は10人程度だったと思う。
 赤城山麓は、いざ、廻ってみると、さすがに広かった。
 赤城山は実家から近くにあり、見馴れていたせいか、そんなに広大とは思って居なかった。
 しかし、山は、やはり山岳であり、決して小さな存在で無いと、改めて気付いた。
 村内を廻って、いよいよ最後と言う時、案内役の郷土史家の人が、言った。
「どうも、皆さん、お疲れ様でした。最後に、故郷を歌って、終わりにしましょう」
 故郷、あのウサギおいし、かのやまの歌である。 
 山麓一帯の緑に囲まれて、私も声を上げて、故郷を歌った。
 歌いながら、十年前位の思い出が、心に蘇り、思わず、胸が一杯になった。
 あれは、長野県に、行く先も決めず、ふらふらとドライブに行った時だった。
 高速のインターで昼食を済ますと、一般道に降りて、田舎道を走った。
 すると、豊田村の標識が見えた。
 周りは、如何にも長野県の田舎らしい風景であった。
 とは言え、特に、印象も無い場所なので、そのまま通過するつもりだった。
 暫く行った時、高野辰之記念館の案内板を、少し眠くなっていた筈だが、私の目が、素早く捉えた。 
 その名前は、忘れる事は無かった。
 明治時代に、沢山の唱歌を作詞した人である。  
「此処に寄って行こう」
 助手席で、ウトウトしていた彼女は、すぐに目を開けた。
「いいよ」
 その記念館、大して大きくも無い、長野県の典型的な民家のようだった、と記憶している。
 季節は秋頃だったと思う。
 記念館に入ったが、私達以外に、誰も見学者は居なかった。係員に、挨拶はしたと思う。
 様々な展示品や、写真、遺品などがあったと思うが、もう、細かい事は覚えていない。
 高野辰之は、1876年(明治9年)- 1947年(昭和22年)で、長野県下水内郡豊田村の豪農出身である。
 東京帝国大学で、国文学を学び、その後、東京音楽学校の教授になっている。
 その後、同校教授の岡野貞一氏と共に、あの学校唱歌を作った人である。
 数年前、高野辰之に関する著作を読んだ事があり、以来、鮮明な印象を持っていた。
 だから、いくら眠かったとしても、その名前を見逃す事は無かったのだろう。
 誰も居ない部屋を幾つか通り過ぎていくと、やがて、小さなオルガンが隅に置いてある部屋に来た。
 こんな所にオルガンがあるとは、暫く、二人でオルガンを眺めていた。
 それから、彼女は、オルガンの側に行き、そっと開け、鍵盤を試しに叩いていた。
「弾けるみたいよ」
 当時、彼女は音大を出たばかりだった。オルガン位は、目を瞑っていても弾ける筈だ。
「じゃあ、故郷を弾いてくれないか」
 人影の無い記念館に、故郷のメロディーが流れ出した。
 その懐かしいメロディーに、私は、思わず、小さな声で歌い出していた。
 歌は得意では無いが、高野辰之氏の生涯を思うと、是非とも、歌わずには居られなかったのだ。
 それにしても、此処で、故郷を歌うとは、思いもしなかった事でした。 
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  故郷 ふるさと
 こころざしをはたして
 いつの日にか帰らん
 山は青き故郷
 水は清き故郷 
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 どんな人生にも、失意の日々は、あるに違いない。
 この歌にも、高野氏自身の思いが込められている筈である。
 さて、高野辰之氏が作詞した唱歌は、他にもあるようですが、故郷、朧月夜、もみじ、春が来た、春の小川、日の丸の歌、等が、よく知られています。
 いずれも歌いやすく、岡野貞一氏の名作曲と相俟って、長く日本人の心を捉えてきました。
 岡野貞一は、クリスチャンだったので、それで、どの歌にも、賛美歌の影響があると言われています。そう思って聞くと、確かに、そうかも知れませんね。
 明治の時代は、なかなか良い学校唱歌が無くて、外国の曲に日本語の詞を付ける事が行われました。
 有名なのは、蝶々(スペイン)、蛍の光(スコットランド)、庭の千草(アイルランド)、仰げば尊し(アメリカ)などがあります。
「仰げば尊し」が、アメリカとは、驚きでした。
 この事実を知ったのは、数年前です。
 曲名は、「Song for the Close of School」で、正しくアメリカの歌です。
 校長先生が作詞して、作曲者は、H.N.D.との事です。
 私の小学校、中学時代は、この歌が、卒業式の定番でした。
 この曲は、歌っていて、心に、しみじみと響くものがあり、まさに、日本人の曲だとばかり思って居たものでした。
 やはり、アメリカ人、日本人、その心の底には、人間としての共通の思いが流れているように思います。
 ところで、教員生活の、最後の卒業式に、この仰げば尊しを歌いたいと思いましたが、どうも、先生方の賛意を得られそうも無く、不本意でしたが、断念した思い出があります。
 卒業式には、何か、当時、流行っていた、テレビの流行歌を歌いたい、と言う事でした。
 この歌のタイトルからして、もう、今の先生は、「仰げば尊し」で無くなってしまったので、歌う意味が無くなってしまったと言う事のようです。
 本当に、学校の教師は、意味のない存在に成り下がってしまったのでしょうか。
 今、親から見て、一番価値のある先生は、予備校の教師ですね。
 と言うのも、子どもが望む学校に合格させてくれる訳ですから。
 公立学校の先生方は、生活指導から始まって、色々と授業以外の仕事があって、どうにも、学習指導に専心出来ないのは、余りにも気の毒です。
 予備校の先生は、授業だけですから、学習指導に専念出来るのです。
 現状を見ると、予備校の先生方が、単に、優秀とは、言えないと思います。 
 現在の教育制度は、要するに、人生に対する、職業に対する、単なる選別機関ですから、親の本音としては、予備校に価値を置くのは、当然の事です。 
 仕方ないですね。
 世の中とは、そんなもの、不合理は常に存在するのですから。
 さて、蛍の光も、良い歌ですから、是非、卒業式で、生徒諸君に、歌ってもらいたかったのですが、やはり流行歌には敵わず、それで、卒業生退場の時、退場曲として流してもらいました。  
 卒業生起立、卒業生退場、静かに蛍の曲が流れ出すと、不覚にも、ステージ上に居た私は、込み上げるものを、押さえる事が出来ませんでした。
 蛍の曲も、文句なく、良い歌ですね。 
 この卒業式を最後に、私は、長い教員生活を終える事になりました。
 それもあってか、涙が零れたのでしょう。
 でも、蛍の曲は、何時、聞いても、涙腺が緩みそうになります。
 きっと、いつも、小学校以来、別れの場面で、この歌を聴いて来たからでしょうか。
 いやいや、やはり、この歌が、紛れもない名曲だから故、だと思います。
 それにしても、仰げば尊し、蛍の光は、詞も曲も、卒業式や別れの場にふさわしく、何時も、感動を呼び起こしてくれます。
 ですが、個人的には、更に、好きなのは、「ふるさと」です。
「ふるさと」が誕生した1914年は、あの第一次世界大戦が勃発した年です。
 ですから、もう100年以上経っている訳ですが、今でも、調べた所、小六の音楽教科書に載っていました。
 これは、飛び上がるほど、嬉しい事です。
 やはり、人々の心の琴線に触れる名曲は、時代を超えて、生き残るのですね。
 良い歌は、結局、何時までも歌い継がれるという事です。
 この辺は、古典と呼ばれる小説とは、明らかに事情が違いますね。
 名曲は、何百年経っても、人々は、何の苦労も無く、それを聞いて楽しむ事が出来ます。
 ですから、名曲が何時までも残っているのは、多く人々の総意なのです。
 一方、古典小説なるものは、一部の好事家、歴史家、文芸研究者などが意図的に残しているものです。
 決して、現在、多くの人に、その古典小説が、今も尚、本当に読まれているものではないです。
 例えば、源氏物語は、代表的古典ですが、あの古文体の本を、沢山の人が、今も尚、読んでいるでしょうか。
 恐らく、多くの人が、私も含めて、あの古文は簡単には読めません。
 今現在、殆どの人が読めない小説は、少なくとも、今は、もう、読まれていないと言う事です。
 古典とは、明らかに一部の人による、意図的な産物です。
 古典とは、大昔に、沢山の人に読まれた事がある、もしくは、単に、歴史的価値を有するもの、と言う事です。
 ふるさとは、今も尚、多くの人が、それを聞いて、楽しみ、感動する事が出来ます。
 どんな小説も、時の流れには勝てません。
 時の流れで消え去るのは、文字で作られた小説の宿命です。
 寧ろ、時の流れと共に、歴史の彼方に、消えて行くからこそ、小説は価値があるとも言えるでしょう。
 仕方ありません。
 意図的に、古典なるものを残す作業は、意味の無いものです。
 こうして、名作小説と比較すると、命の長い音楽の偉大さを改めて、感じますが、それでも、数千年の時が経てば、やがて、その名曲も消えて行く日は来ると思います。 
 永遠に消えないものは、有り得ません。
 ところで、ふるさとを、偶に、何かの折りに、ふと、歌う事があります。
 そうすると、今となっては、もう、何十年も前になってしまいましたが、長野県の高野辰之記念館の部屋で、オルガンを弾いていた彼女の姿が、鮮明に蘇って来ます。
 小さな肩を動かしながら、とても楽しそうに弾いていた彼女の姿。 
 私にとって、ふるさとは、やはり、どうしても、忘れられない曲のようです。 


(参考)
Song for the Close of School   (学校修了の歌)
We part today to meet, perchance, (今日でお別れ、でも、逢えるよ)
Till God shall call us home;     (神様が天国に呼んでくれる時に)
And from this room we wander forth, (この部屋から出て、彷徨う)
Alone, alone to roam. (一人で彷徨うのだ)
And friends we've known in childhood's days (幼なじみの友達は)
May live but in the past, (過去に生きているだろう)
But in the realms of light and love (愛と光の天国で)
May we all meet at last. (最後に、また逢えるだろう)


(以下2番、3番省略)




俳句


オルガンの 調べに合わせ 我歌う