上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

基礎的資格

 以前、このブログで、江藤淳について、その愛妻家故に、妻亡き後、後追い自殺したと書いた。
 その後、ふとした折りに、また江藤淳についての新たな情報に接した。
 それを踏まえて考えると、自殺したのは、自身の身体状況の悪化が、相当に影響したと考えるのが、どうも妥当だと思うようになった。     
 重い病気になれば、誰しも、悲観的になり、自殺する事は、そう珍しい事では無い。
 偶々、配偶者の死とも重なり、人生の希望を失ったと言う事だ。
 実は、全収入の半分ほどを、彼は愛人の芸者に送金して居たと言う。
 芸者が趣味だったらしく、その界隈に、よく出没していたらしい。
 要するに、富裕層の男に、通常、よく見られる人生を辿っていたと言う事だ。
 故人に対して、少々、心苦しいが、愛妻家と記述したのは、訂正しておく。
 まあ、普通程度には、奥さんを愛していたと言う事だ。
 愛妻家の称号を付けるからには、せめて、最低でも、愛人が居ては、まずいと思う。
 称号付与の基礎的資格を、江藤淳は、保有していなかったと言う事だ。
 まあ、今更でないが、男と言うものは、十分な金と時間を持てれば、殆どが、同じ事をすると言う事です。
 とは言え、誤解無きように言えば、これを以て、江藤淳氏の文芸評論家としての価値が低下する事は少しも無いだろう。
 要するに、彼も、他の男と同じだったと言う事だけである。
 ところで、前にも言及したが、夏目漱石には、この種の話が、全く無い。
 即ち、愛人とか、浮気とか、芸者とか、である。
 江藤淳の後、これは、もしかしてと思い、疑心暗鬼となり、色々と調べたが、現在の所、何も無かったというのが、定説として流布しているようだ。
 これは、作家とか、芸術家と言う人種にしては、まさしく希有の事である。
 でも、本当にそうかなあ、とは思う。
 まあ、それなりに調べた限りでは、それらしき記録は見当たらない。
 でも、それで疑念が、全て払拭されたかと言えば、そんな事は無い。
 と言うのも、ある故人の人生の、詳細なる様相など、他人が、いくら調べた所で、その深奥までも窺い知れるものでは無いからである。
 そこへ行くと、森鴎外は、ある意味、極めて開放的であったと言える。
 何しろ、母親が愛人の世話をするのだから、秘密も何もあったものでは無い。
 後世の文芸研究家にして見れば、改めて、森鴎外の膨大なる資料を東奔西走、跋渉する必要は、何処にも無い。
 もしかすると、鷗外は、それを鑑みて、あからさまに、ドイツでの女遊び、芸者遊び、愛人の世話迄をも、してもらったのかも知れない。
 となれば、やはり、鷗外は、意外と豪放磊落で、傑出した文豪であったと言えよう。
 さて、巷の週刊誌には、毎週の様に、有名人などの不倫の記事が報道される。
 または、未成年女子高生との交際などで、成人が逮捕される。
 そんな記事が、いつも満載であるが、これは、どうして、その事実が、陽の下に晒される事になったのか。
 言うまでもなく、当事者の片方、何れかが、事実をバラしたからである。
 そうで無ければ、そうは簡単に、事が露見する筈は無い。
 と言うのは、こう言う類いの交際は、当事者達が、日々、相当に神経を使い、他人の目に触れぬように画策して居る筈だからである。  
 昼間から、街中の目立つホテルに入ったり、人が沢山居る公園を散策したりなどは、間違っても、していないと思う。  
 となれば、人目に付かない以上、交際の存在は、なかなか世間に知られないのが普通である。
 事実、その通りで、週刊誌にしても、なかなか発見出来ないからこそ、不倫スクープには、多くの年月を要している。
 敏腕の週刊誌の記者が、それこそ刑事顔負けの張り込みを辛抱強く続けて、やっと、不倫の事実を把握するのである。
 容易な事では、不倫の事実は、漏れては来ない。
 まあ、中には、ボンクラ有名人も、多々居るから、自爆的公開に至る例も無くは無い。
 ところが、女子高生と若い教員の交際などは、有名人でも何でも無いから、週刊誌記者が張り込みをして居る筈も無い。 
 そんな二人の事は、それほどのスクープにはならず、張り込みの価値は無いからだ。
 それなのに、不思議な事に、何時しか、その事実は世間様に知られてしまうのだ。
 何故なのか。 
 これは不思議でも何でも無い事だ。   
 大抵、このブスで性悪な、男の敵である女子高生の方が、事実を、警察や、報道機関にバラすからだ。
 以前は、一応の恋人同士だったのに、何故、そんな事をするのか。
 様々な例があるが、その多くは、恐らく、金で揉めたのだ。
 希望の金額が手に入らないと分かり、脅したが、それでも相手の教員が応じなかったので、世間様にバラして、社会的制裁を加えたのだ。
 青少年保護条例があるから、バラせば、相手の成人は、相当の被害を被り、社会的に罰せられる。
 ざまあみろ、である。
 もし、その女子高生が、ずっと黙っていて、墓場まで持って行けば、この事実は、誰にも分からなかった筈である。
 となると、ごく普通の人間同士の不倫であれば、両人が、十分に事実を秘匿し、死ぬまで黙っていれば、その事実は、永久に、世間に漏れないと言う事である。
 夏目漱石は有名人だったから、神楽坂辺りをウロウロすれば、忽ちにして、人々の目に付いた事だろう。
 でも、ごく普通の女性と、周辺の状況に、相当に気をつけて、密会をしたとすれば、それはなかなか、世間に知られる事は無い筈である。
 相手の女性には、十分な金を渡しておき、生涯にわたって、最後まで、面倒を見れば、相手の女性としては、世間に、この不倫の事実をバラす理由は、何処にも無い。
 それで、やがて、両人が、この世を去ってしまえば、いくら、後で詮索した所で何も出て来る筈もない。
 勿論、手紙とか、証拠に残る物は、生前、よく気をつけて書かないようにするのだ。
 漱石ほどの人間であれば、その辺の事は、手抜かりは無かったと思う。
 こうして、百年が過ぎた今、漱石には、浮いた噂は、何処にも発見されない。
 過去の事は、歴史もそうだが、過去の記録に基づいて、その事実を判定するしか無い。
 その過去の記録に、その事実が記されていなければ、それは、その事実が存在しなかったと、結論づけるしか無い。
 さて、漱石に秘密の愛人がいたとしても、如何なるものも、彼にとっての瑕疵にすらならない。
 どの作家にも、それは日常茶飯の事だからだ。
 それよりも、一人も愛人が居なかった方が、私には何か妙で、物足りない感じがする。
 なので、上に述べた次第で、漱石にも愛人は居たと言う方が、ごく自然で分かり易いと思う。
 悪妻と言われた、鏡子夫人だけを、ひたすら抱き続けたと言うのは、どうも、窒息してしまいそうな感じを覚えてしまう。
 要は、我が尊敬すべき、文豪漱石にも、定説を覆して、やはり愛人が居たと言う風に思いたい。


<あの、上州無線さんは、愛人欲しいですか?>
<過去に沢山居たから、もういいです>
<古稀だから、居ても仕方ないですよね>
<あのな、今だって、曜日毎に8人居るぞ>
<一人多いですよ>
<だから、日曜日は、頑張って二人だよ>


俳句


愛人の 一人位は 欲しかった