上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

年の暮れ

 今朝、目が覚めたら、まだ5時半位だった。
 通常、8時間半位は寝る事にしているので、目は覚めたが、そのまま布団の中で、仮眠していた。
 現役の頃は、眠たかろうが何だろうが、6時には起きなくてはならなかった。
 このまま、寝ていられたら、どんなにか、幸せな事だろう、と、毎回思ったものだ。
 それで、退職してからは、特に、何か用事が無ければ、6時半位まで、布団の中で朝寝を楽しむ事にした。
 天井を見て、ボーッとしてたら、急に、もう歳の暮れだなと思った。
 来年は、また、歳を取る事になる。
 70代は、この分だと、まだ体力もありそうだし、知的能力も、それほどの衰退は無さそうなので、なかなか素晴らしき70代を過ごせそうだ。
 でも、80代になると、どうかなと思う。やはり、それなりの衰えが来ると思う。
 平均寿命が延びたとは言え、80代というのは、やはり、人生最後のホームストレッチなのだ。
 出来れば、大病が来ないことを祈りたいものだ。
 姿勢の良い人は大病しないと言うから、今後は、どんな時も、姿勢を良くして生活しようと思う。
 とは言え、人生、すべて天命だから、従容と対処するしか無い。
 そんな事を考えていたら、どう言う訳か、不意に、中学時代の先生方の事を思い出した。
 当時、我が学年は、4クラスあった。全160人。
 生徒は、戦中、戦後の生まれだから、史上最低の出生数である。
 何しろ、男は、皆、兵隊さんとなり、戦争に行って居なかったから、新生児が産まれようが無かったのだ。
 新一年生の先生方については、自分の担任以外、もう忘れてしまった。
 でも、卒業学年である、三学年の先生方は、今も、はっきりと記憶している。
 それで、どうしたかなあと、思い出したら、何と、もう、全員亡くなって居た。
 その事実に、今朝まで、気付かなかった。
 私が古稀だから、考えてみれば、至極、当然のことではあった。
 1組担任のK先生は、4年位前に、確か94歳で亡くなった。国語の担当だった。
 私は1組所属でした。
 白皙の風貌は、さすが武士の末裔と思わせるものがあった。
 師が72歳頃、母校で偶然、お会いしたが、その時の言葉は、今も記憶にある。
「君、分かるかね。我々老人はだな、もう明日とか、これから、と言う言葉は無いんだ。あるのは過去だけなんだ」  
 その日から、22年後に、K先生は亡くなった。
 2組の担任は、T先生で、海軍兵学校出身の秀才であった。後に、高校に移り、校長で退職した。この先生のお陰で、数学が出来るようになった。 
 ただ、秀才にありがちな傾向で、人情的なものは、殆ど感じた事はなかった。
 朝、挨拶しても、生徒に挨拶を返す事は一度も無かった。
 ひよこの中学生など、眼中にも無かったのである。
 この先生も、3年位前だか、92歳位で亡くなったと思う。
 3組担任は、Y先生。
 英語の先生だが、教科的な実力は、イマイチだった。でも、純粋な人で、退職してから、地域の活動で何度か、お会いした。
 人間的には、十分、温かみのある人だった。
 ある年から、年賀状が来ない、と思っていたら、亡くなって居たらしい。
 ある時、知人から亡くなった事を教えられた。新聞の訃報に気付かなかったのだ。
 だから、亡くなられた歳は、不明である。
 多分、5年前、85歳位だと思う。
 4組担当は、H先生。理科担当の女性。
 もう私が中学の時から、立派に、お婆ちゃんの風貌であった。確か、あだ名も、それだったと思う。
 薬剤師の学校を出たらしいが、昔は、教員になった方が待遇が良かったようだ。 
 理科は得意だったから、その授業も記憶にあって良い筈だが、思い出しても、何も浮かんで来ない。
 まあ、人間的な波長が余り合わなかったのかも知れない。
 100歳で、3年前位に亡くなった。
 随分と長生きしたものだ。確か、姪あたりが喪主になっていた。
 他に、担任外で、英語の若い先生がいたが、彼も、数年前、亡くなった。
 実に、分かり易い授業で、中学生の学力レベルをよく熟知した授業だった。
 人付き合いが上手で無くて、高校に移ったが、余り出世はしなかったようだ。
 確か、亡くなったのは、82歳位だと思う。
 中学時代を通して、一番印象的な先生は、やはり、一年時の担任である。
 中学での最初の担任という事もあるが、人間的な波長が合ったのだと思う。
 まだ、ご存命だと思うが、85歳位かも知れない。
 こうして思い出すと、個々の先生の元気な姿が、一枚一枚、写真のように脳裏に浮かんで来る。
 あんなに若々しく活動していたのに、もう、全員、亡くなってしまったとは。
 人生は本当に短いものだと、改めて感じます。
 時が来れば、人間は、皆、例外なく、亡くなると言う事ですね。
 私も、勿論、その例外ではないから、確率的には、父と母の平均である、90歳位が、人生のゴールかも知れない。
 それまでの約20年間だが、父が罹った、大腸癌、胆嚢炎に注意すれば、何とか、90歳に到達出来るのではないか、と思う。
 今現在は、特に、何も悪い所は無い。
 それに、心臓と脳だけは、かなり自信がある。
 平時の心拍数が55位と、少ないので、長生きすると言われています。
 また、生まれてから一度も、頭痛と言うのを経験したことが無いです。
 なので、心臓麻痺、脳内出血で亡くなる事は、無いと思います。
 ですから、男の、最高の夢である、腹上死は願っても出来ないようです。
 となれば、あとは、今後の暇つぶしをどうするかが、一番の課題となります。
 青井みたいに裸の絵を描いて、若いモデルと楽しくやりたいけど、絵は全く描けないから駄目ですね。
 それと、このブログですが、20年間も続けることは、有り得ませんね。
 今月で、半年ですが、もう大分、飽きて来たから、一年続くか、どうかすらも、怪しい位です。
 でも、ピチピチギャルが応援してくれれば、調子に乗って、このブログ、永く続ける事が出来るかも知れません。
 まあ、私も古稀で贅沢は言えないから、応援してくれる方は、元ピチピチギャルでも、いいですよ。
 但し、多少の括れと、まあまあの美脚は、必須条件でお願いします。
 それさえあれば、後は目を瞑って、大切にして、下にも置かず、抱っこしますよ。
 えっ、それも、全然、無いんですか?
 それじゃあ、家の老妻と、全く同じですよ。
 それだったら、もう十分、間に合ってますから、わざわざ、お出で頂かなくとも、結構でございます。


    


俳句


懐かしき 先生方は 黄泉の国