上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

平城山の歌

 先日、沢山のブログを見ていたら、その中に、平城山の記事が載っていた。
 確か、中学の時、音楽教科書の巻末資料にあった曲である。
 思い出すと、音楽の先生が、一度位は、歌ってくれたかも知れない。 
 とても、しんみりした、哀情溢れる歌だ。
 高校に入学して、ある時、図書館で、偶然、平城山の作詞者、北見志保子について知った。
 その時、北見志保子についての事実を知り、驚いたものだ。
 あとは、大学生の時、友達から借りたCDか何かで、聞いた事があったと思う。
 それ以後は、この平城山の曲に、然したる記憶は無い。
 随分と、久々に、平城山の文字に邂逅したので、無性に懐かしくなり、改めて、作詞者の北見志保子について、調べてみたい気持ちになった。
 歌詞は以下の通り。作曲は平井康三郎。
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 一番
  人恋ふは悲しきものと
  平城山(ならやま)に
  もとほり来つつ
  たえ難(がた)かりき
 二番
  古(いにし)へも夫(つま)に恋ひつつ
  越へしとふ
  平城山の路に
  涙おとしぬ
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 歌詞の元は、短歌だから、何とか分かると思うが、簡単な口語訳を以下に。
「人を恋することは悲しい。平城山近くを彷徨っていますが、堪えがたいです。昔も夫を恋しいと思って平城山を越えた女性がいました。その平城山に私も涙を落としたことだ」
 ところで、北見志保子とは、何者なのか。
 色んな資料を総合すると、以下のようである。
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 「北見志保子、明治18年(1885)、高知県宿毛(すくも)村生まれ。
 本名は川島あさ子。昭和30年(1955)、70歳で没。
 志保子は、幼なじみの橋田東声と結婚。その後、東声の弟子で、12歳年下の浜忠次郎と交際。これにより、忠治郎は、親族によって強制的にフランスへ。
 平城山の歌は、志保子が奈良の磐之媛陵周辺で、忠治郎への思いを詠んだもの。
 磐之媛の仁徳天皇への思いをイメージして詠んだと言われます。
 その後、橋田東声との離婚成立、浜忠次郎と再婚した。」
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 これに依れば、志保子は、12歳年下の男と、不倫という事になります。
 やはり、12歳も年下の若い男の身体に惹かれたんでしょうかね。
 いやいや、きっと、押さえ難き純愛だったんでしょうね。
 ところが、これ以前にも、志保子は、純愛を経験しております。 
 それと言うのは、最初の夫、橋田東声とは幼なじみで、ずっと、付き合っていました。
 その後、志保子は、大学に入学した東声のために小学校教員をして学資を稼いだそうです。
 この時の二人は、生活は苦しくとも、心は充実した、とても幸せな日々だったと思います。
 そうして、東声が東京帝国大学を卒業すると同時に、結婚しました。
 何と言う、幸せな人生でしょうか。
 これ以上の幸せがあるでしょうか。
 一番好きな人と、結ばれるというのは、なかなかありませんからね。
 志保子の母親も、実は、二人の結婚に応援してくれたのですが、それは省略します。
 こんなに幸せな日々だったのに、どうして、いとも簡単に崩壊してしまったのでしょうか。
 この辺からは、筆者の私も、些か、心が痛みます。
 さて、この上ない、幸せの日々に、予想外の出逢いが訪れたのです。 
 12歳年下の浜忠次郎と言う、若き男の登場です。
 写真で見ると、志保子は、なかなか、いい女ですので、此処は、忠次郎が、強引に口説いたものと思います。
 豊かな貿易商の息子で、富裕な生活をしていた訳ですから、忠次郎は、明治の時代、女には不自由していなかったと思われます。  
 それなのに、選りに選って、12歳も年上の女に近づいたのです。
 間違いなく、志保子に、忠次郎を惹きつける強烈な、女としての魅力があったんだろうと思います。
 12歳も年上ですから、並の女の魅力では、若い男は寄って来なかったと思います。
 それが来たと言うのは、我が畏友、青井に言わせれば、「その女は、空前の名器に間違いない」と言ったと思います。
 加えて、志保子には、精神的にも男を癒やす、何かを備えていたものと思われます。
 でも、そんな結婚が、今はともかく、あの時代、すんなり行く筈がありません。
 明治の時代、しかも不倫。おまけに、12歳も年上の女でバツイチ。
 これでは、男の両親も、当然のことながら、納得出来ないでしょう。
 貿易商の父親は、息子をフランスに追い払い、二人を引き離しました。当然ですね。
 まあ、フランスで、暫く、キュッと括れのある、金髪女を抱いていれば、志保子のことは忘れるだろうとの目算ですね。
 でも、こう言った事情だと、二人を引き離すことは無意味です。
 困難になれば、なるほどに、燃えるのが、世の恋情というものですから。 
 そうして、とうとう父親も諦めたんですね。  
 大正14年の春、若き男、浜忠次郎は帰国します。
 二人の愛情が勝った訳です。こうして、めでたし、めでたし、となりました。
 この時、志保子40歳、忠次郎28歳です。
 うーん、現代ですら、この年齢の組み合わせには、かなりの抵抗があるんでは無いでしょうか。
 私が忠治郎の父親なら、フランスでは無くて、スウェーデン辺りにやったと思います。
 あの北国なら、間違いなく、ウルトラ級の美人は居る筈ですから。
 まあ、ともかく、これで二人は結婚出来ました。
 でも、私には、素直に、めでたし、と言えない気持ちがあります。
 それは、やはり、他の人間に苦しみを与えた末に、獲得した幸せですからね。
 他人を踏みつけて、その上に居座る幸せとは、どんな味がするものでしょうか。



 以下次回




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