上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

山の詩

 今朝は、天気が良かったので、それではと、布団を干した。布団は、もう冬用。
 ベランダの手摺りに掛けるだけだから、そう手間は無い。
 干した後、暫く、朝の陽光の下、眼下の関東平野を眺めていた。
 我が家は、赤城山麓で、標高が300メートル位のとこにあるから、眼下に関東平野が眺望出来る。
 真南には、秩父山脈、少し西には、八ヶ岳、蓼科山、浅間山、妙義山、榛名山。
 北に近づけば、草津の白砂山、沼田の谷川岳、小野子山、子持山。北は、赤城山。更に、東に向けば、日光の男体山など。
 自宅から四方を眺めれば、南東の東京方面以外は、全て山脈である。
 群馬は関東平野の始まりなのである。
 この関東平野は、何万年も掛けて、利根川が作ったものである。
 原始の時代、それこそ恐怖の塊のような大波、高さ10メートル位のが、奥利根の源流から流れ出し、それが、途中、大きな巌を砕き、土砂を運びながら、関東平野を目掛けて流れ下って行ったに違いない。
 その営みの果てに、緑の関東平野が出現したのだ。
 真南には、富士山が位置するが、生憎、私の家からは、途中にある、雲取山が邪魔をして、見えない。
 自宅から、西へ1キロほど行くと、冬、晴天であれば、白い雪を被った富士山が半分ほど見える。
 なので、その辺は、以前、富士見村という名前だった。
 赤城の鳥居から、少し登った地点でも、天気が良ければ、富士山を眺める事も出来る。
 ずっと前、赤城に登った帰途、途中から、富士山が見えて来たので、何処まで見えるか、確かめた事がある。
 そしたら、鳥居のすぐ前辺りまで、富士山がはっきりと見えた。
 さて、こんな山国に住んでいるのに、私自身は、それほどには、山を訪れた事は無い。
 山好きな人なら、群馬は天国かも知れない。
 里山から始まって、人跡未踏の奥山まであるからだ。
 それに、もっと高い山に登りたければ、長野県、新潟県に行けば、県境から、もう大山脈の連続となる。
 ずっと以前、長野県境の嬬恋村に、一年ほど住んでいたが、そこから車で10分ほど移動すると、もう日本アルプスの偉容が広がっていた。
 初めて見た時は、思わず、息を飲んだものだ。
 後は、スキーと温泉が群馬の楽しみだ。
 スキーは、大学の時、怪我して以来、ご無沙汰となったが、温泉は、今でも、時に、出掛ける。
 草津や伊香保が有名だが、余り有名で無い、僻地の温泉も楽しい。
 吾妻の、湯の平温泉、尻焼き温泉。川底から湧き出しているのも趣がある。
 こうして、青く霞む、遠くの山々を見ていると、若き日の想い出が、自然と蘇って来る。
 何と言っても、一番の思い出は、やはり上高地だろう。
 初めて見た西穂高の山容は、余りにも雄大で美しく、今も尚、脳裏に焼き付いている。
 梓川の水に手を入れ、それから、彼女の手を握ったら、彼女は悲鳴を上げて飛び上がったものだ。
 夏だというのに、本当に冷たい水だった。
 あの高い峰からの雪解け水が、山腹の地下を潜り抜け、この梓川に流れて込んでいるのだ。冷たい訳だ。
 川の水に手を入れ、振り返ると、彼女の顔の向こうに西穂高の峰が重なって見えた。
 そのシーンは、今でも、忘れる事無く、はっきりと思い出せる。
 その夏が終わると、彼女の姿も消えていった。
 翌年、私は一人で西穂高に行き、梓川の同じ場所で、同じように流れに手を浸した。
 そうして、もしかしたらと思い、去年と同じように、西穂高の方を振り返った。
 でも、彼女の姿は見えなかったです。当たり前。
 男と言うアホは、一年経っても、まだ、引き摺っているんです。
 さっさっと、次の女を捜せば良いのに。
 女なんて、いくらだって、この世に居ますからね。
 長野県の八ヶ岳も、よく彼女と行きました。
 長い道を、時に、眠くなりながら、運転したものです。
 ある時、うとうとしていたら、彼女が叫んだので、すぐにブレーキを踏みました。
 もう少しで、渋滞の車に追突する所でした。
 途中、牧場に寄って、二人で搾りたての牛乳を、牧場の柵に寄りかかりながら、飲んだものです。 
 目の前は、広々とした牧草地、地平線の向こうには、青い山脈が幾重にも連なっていました。
「来年も、きっと、また此処に来ようね」
 と、彼女は言いました。
 マグカップを手にしたまま、私は、彼女の目を見ましたが、嘘は見えなかったです。
 が、二度と来る事はありませんでした。
 女の約束は、殆ど当てには、ならないのです。  
 その時、その瞬間は、そう思っているだけです。
 秋の落ち葉のように、ひらひらと、目まぐるしく、いつも変化して、止まる事はありません。
 若く美しい女の嘘ほど、残酷なものはありません。
 一体、何人の男を殺したら、気が済むのでしょうか。
 それにしても、若い男から見て、若く美しい女ほど、神秘に満ちているものはありません。
 不思議なのは、歳を取ると、その神秘性が全く消えてしまう事です。
 やはり、見えるのは、男の本能のなせる、幻なのかも知れません。
 神様は、もう少し若い女を、地味に作って欲しかったです。
 そうすれば、若い男は悩む事も、苦しむ事も無かったでしょう。
 その後、風の噂に、つまらない男と結婚したと聞き、女の考えは、ますます不可解になりました。    
 


俳句

山道に 思い出残る 若き日々