上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

桐下駄

 夕飯を食べた後、、大きな椅子に寄りかかり、ボーッとしていたら、老妻が部屋に入って来た。
 開口一番。
「靴箱に要らない履き物は、ないですか?」 
「要らない履き物? ああ、あるよ」 
 私も、人生残す所、幾ばくもないから、例の断捨離で、使わなくなったものは、どんどん捨てている。
 だから、老妻にも、不用な私の物は、フリーマーケットで、どんどん売って構わないと、以前、言った事がある。
 そしたら、まだ使っているのも、どんどん売ってしまったので、以後、売ってもいいが、私にも、ぜひ、一応、事前に連絡してもらいたい、と進言した。
 それで、玄関の靴箱には、古い履き物が沢山あるので、売れるものがあるかと、私のとこに聞きに来た訳である。
 どうやら、私の進言が老妻の耳に届いたらしい。これは、実に希有な事である。
 と言うのも、殆どの場合、私の要望、注意は、老妻には馬耳東風なのだ。
 例えば、老妻は、水道の栓を力一杯締めるから、パッキンが、すぐ駄目になってしまう。
 それで、力一杯締めてはいけないと、結婚以来、1000回位も注意したが、今でも、水道栓をねじ切るかのように、力一杯、思い切り締めている。
 だから、我が家では、あちこちの水道栓から、ポタポタと水が垂れている。
 私が、もう呆れて、すぐに治すのを止めたからだ。
 いや、日頃の不満で、つい、話が脱線した。 
 それで、早速、下駄箱を検分して、三足フリーマーケットに出す事にした。中には、買ったきり、履き心地が悪くて、二度位しか履いてないのもあった。新品同様だ。
 でも、こう言うのは、置いても、もう死ぬまで履かないし、単なるゴミだ。
 断捨離に優柔不断は禁物である。
 何でも不用と思ったら、その瞬間に、断捨離するに限る。
 それは、両親の家を解体する時に、強く感じた事である。
 亡くなった両親が残した、沢山の家具、食器、着物など、子どもの誰も、引き取る事が出来なかった。と言うのは、それぞれの自宅にスペースがないからだ。
 であれば、我が子供達も同じ。私が要らない物を沢山残せば、解体作業の時に苦労するだけである。
「この下駄も良いですか?」 
 見ると、桐下駄である。桐下駄など、今の人は知らないと思う。
 亡き父の形見である。
「それは・・・、もう履かないと思うけど、でも、もう少し置いておこう」
 さすがに、即、断捨離はできなかった。つい、情に流された。
 情が、断捨離の大敵である事は分かっているが、やはり、私も情には勝てない。
 下駄は懐かしい。
 子ども時代、大抵、靴よりも下駄で遊んでいた。
 裸足で下駄を履くと、春先などは、本当に清々しくて、気持ちが良かった。
 だから、学生時代も、まだ下駄を履く事が多かった。いや、当時は、私だけでなく、まだ下駄履きの人も多かった。
 ところで、下駄と言えば、一寸した思い出がある。 
 学生時代、微分幾何の講義に、私は20分ほど遅刻してしまった。小さな教室で、入り口は前しか無かった。仕方ない。前から入った。
 その頃、私は、毎日のように下駄履きで、大学に通っていた。
 下駄でも静かに歩けば、他の講義でも、文句を言う教授は居なかった。
 ところが、当時、微分幾何のA教授は、私と犬猿の仲だった。
 その確執は、A教授が、ある説明で、テクニックと言ったのを、私が、この場合、用語としては、テクノロジーが正しいと指摘したことから、始まった。
 勿論、私の方が正しかったから、尚更、深く恨まれる事になった。
 メンツを潰されたA教授の恨みは消えてなかった。
 今か今かと私の隙を狙っていた甲斐があって、報復のチャンス、到来である。
「おい、石原、学内は下駄禁止だぞ。すぐ脱げ」 (石原は私の事)
 と言われて、素直に下駄を脱げば、屈辱そのもの、見事な一本負けの形になる。
 それは出来ない。どうしよう。せめて技あり位にしないと恥である。
「じゃあ、少し待って下さい」 
 そう言うと、私は、教室を出て、柔道部室に行った。そこに居た友人から、靴を借りると、すぐに教室に戻った。
 入って来た私の足下をジロッと見たA教授。今度は、何も言わなかった。
 さて、大学を卒業して、二年目、 A教授の訃報を聞いた。まだ若かったと思う。
 下駄事件の事を思い出すと、正直、すぐには冥福を祈る気持ちになれなかった。
 とは言え、私が生意気盛りの時で、非は私にもあった。
 後に、冥福を祈りました。
 ところで、これは極秘事項なのだが、私に意地悪をした人物は、どう言う訳か、その後、不運に見舞われ、短命になるのである。
 40歳位の時、市内の胃腸科医院に行った。
 会って、すぐに嫌な医者だと分かった。向こうも、嫌な患者だと思ったようだ。
 だから、すぐにも帰りたいと思ったが、直腸検診をした方が良いと言う。
 具合の悪いのは胃なのだから、必要も無い筈である。
 妙な事とは思ったが、2分で終わると言うので、それならと応じた。
 これが、ものすごく痛かった。気絶するかと思った位だ。
 肛門は神経が集中しているから、やり方によっては、激痛で悶絶する。
 普通は、患者の様子を見ながら、徐々に指を入れていくものである。
 これをせず、気にくわない患者の肛門に、憎しみを込めて、指を突っ込んだのだ。
 後で知った事だが、実は、これ、江戸時代から行われている、いわば懲罰である。
 初めて伝馬町の牢屋に入る囚人に身体検査と称して、裸の四つん這いにさせて、肛門に太い棒を思いっきり、強く突っ込むのである。 
 これは死ぬほど痛い。
 どんな極悪人も、これで、忽ち、猫みたいに従順になったそうである。
 暫く、痛みで動けずに居ると、若い看護婦が側に来て、小さな声で言った。
「痛いでしょう、直腸検診は痛いのよ、やり方に気をつけないと」 
 10分ほど経ってから、私は、やっと、立ち上がる事が出来た。
 あの野郎! わざと痛くしやがったな。すぐ死ね! 
 私の、青白く燃える恨み、その祈りが天に通じたらしい。
 果たせるかな、その胃腸科の医師は、僅か二ヶ月後に、急死した。
 その事実を、ある日、訃報欄で知った時、私は思わず、飛び上がり、万歳三唱をした。
 人の死に、万歳三唱をしたのは、それが最初で最後である。 
 どうも、私には、何か不思議な力が備わっているらしい。


追記
 ずっと後に、その医師の冥福も祈りました。



 俳句


懐かしき 下駄の音なり 父来る