上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

我がアマ無線人生<7>高校時代

 入学した高校が県内屈指の進学校だったから、さすがに無線で遊んでいる訳には行かなかった。
 それでも、全く工作を止めてしまった訳では無かった。何しろ、無線に夢中になっていた頃だから。
 大きなものは作れないが、ゲルマラジオを作り、それで海外放送を聞いた。 
 モスクワ放送、北京放送、VOA放送などが受信出来た。
 当時は、まだ冷戦真っ最中の頃だから、ソビエトも大出力の海外放送を行っていた。
 放送局はウラジオストック辺りにあったらしい。
 放送開始の合図が、ロシア教会の澄み切った鐘の音で、軽いフェージングを伴いながら聞こえて来ると、如何にも遠い外国から、飛んで来た電波という感じがしたものだ。
 北京放送は、アナウンサーが甲高い声で、何か頭が痛くなりそうな感じだった。どうも、中国語の高い音は苦手である。
 VOAも、強力であった。もっとも、中継局が沖縄辺りにあったからだろう。
 ケネディ大統領の暗殺ニュースも、このVOAから直接聞いた。
 好きでも無い受験勉強をしながら、深夜、海外放送に耳を傾ける時が、唯一の楽しい時間であった。
 順調にいけば、それなりの成果を得られた筈だが、高校に入って一年位すると、体調を崩してしまい、思うように勉強時間を確保出来なくなってしまった。
 例えば、夜、お風呂に入ると、翌日、半日位、疲労が抜けなかった。
 ずっと後で、思った事だが、運動を止めてしまった事が、健康を失った大きな原因であったと思う。 
 それでも、成績は何とか維持していたが、三年生になると、もう勉強する体力が無くなっていた。
 我が人生で一番辛い時期であった。勉強したい気はあっても、すぐに疲れてしまい、机で寝てしまった。
 三年の半ばには、もう浪人を覚悟した。
 この頃、偶然、中学の後輩と出逢って、付き合いだした。既に勉強は諦めていた。
 一年下の可愛い女の子であった。
 夏の夜、部屋の窓際に行くと、その子が弾いているピアノの音が微かに聞こえた。
 高校時代は、猛烈な性欲の昂進期だから、女の子に近づくなと言われても、押さえる事は出来ない。
 とは言っても、その子の家に上がる訳に行かなかった。
 と言うのは、独身の怖いおばさんらしき人が、同居していたのである。
 その内、その子は、厳しい、おばさんの目を盗んで、私の部屋に来るようになった。
 目は大きくて、肌は雪のように白かった。
 この子とは、私が大学に入って、すぐに連絡があって、再会したが、一度だけ逢ったきりで、付き合う事は無かった。
 今思いだしても、とても良い子だったのに、何故、付き合わなかったのか、大いに後悔している。
 どうしてだか、その時の心理は、私自身にも、よく分からない。
 若い時は、自分でも、自分の気持ちの推移が理解できないことが多かった。
 気まぐれなのは、女だけで無くて、男も、そうなのである。 
 高校時代は、今書いていても、余り良い思い出は無い。
 覚えているのは、日に日に、増してくる強烈な性欲である。
 これには、正直、参った。
 作家の渡辺淳一が、股間に猛獣を飼っているようなものと言ったのは、蓋し、名言だ。
 この猛獣を上手く制御しないと、男は、明日にでも性犯罪者になってしまう。
 同時に、ますます綺麗になっていく、女子高生にも困った。
 男女別学の高校だったから、却って、女は神秘化されて、それは後々まで、祟った。
 女は、タダの女だと気付くまでに、相当の時間がかかってしまった。
 体調は、ずっと回復しなかったから、大学に入ると、まず、体力回復のために運動を始めた。 
 勿論、私は、再び無線に没頭するようになった。講義には殆ど出る事は無かった。
 


俳句


運命は 吹く風に似て 定まらず