上州随筆俳句

 長くアマ無線をやってきましたが、一昨年、電信愛好家のためにパソコンによる電信自動送信装置「CWBOARDKK」を作りました。
 本ブログには、アマ無線の活動及び古稀世代の色々な方面について、感じたままの随筆と俳句が書いてあります。
 

ダッチワイフ

 トランプ氏が大統領になってから、盛んにフェイクニュースと言う言葉を聞くようになった。
 フェイクとは、fakeのこと。偽造する、偽造品、偽造の、と言う意味である。
 例えば、「a fake antique」とは、偽の骨董品。これは、新聞でも、よく見かける。
 以前は、フェイクニュースなら、信用しなければ良いでは無いか、単に無視すれば良いと、ごく簡単に考えていたが、どうも、最近、事は、そう簡単では無い、と気付いた。
 と言うのは、年末に、アメリカの航空宇宙局が、今年の正月は、スーパームーンであると、発表していた。
 日本だと、1月2日である。
 月が地球から356570Kmの距離まで接近するとの事。
 平均距離が、384400Kmだから、これは、随分と近い訳だ。
 ネットでも、スーパームーンについて、色んな報道がなされていたが、ふと、思った。
 まあ、これは本当のニュースだろうが、もし、フェイクニュースだとしたら、人々は、それを見破る事が出来るだろうか。
 ブログを閲覧したら、スーパームーンについての記事が載っていた。
 このブログの筆者達は、本当に、自分が、今、見てる月が、スーパームーンであると、自力で検証出来たのだろうか。
 いや、ただ、単に、ニュースで聞いたから、アメリカの航空宇宙局が言う事だから、正しいと信じて、外に出て、月を眺めただけだろう。
 これが、もし、嘘だったら、見事に騙されて、嘘の月に、何と素晴らしい事、と、アホ顔して、感動した事になる。
 翻って、ならば、私自身は、スーパームーンを検証出来るか?
 普通の人に比べれば、私は、アマチュア無線家だから、色々と高価な電子計測器を沢山、所有しているが、それは、月の距離測定には何の役にも立たない。
 だから、私も、自力で月の距離を検証は出来ない。不可能である。
 こうなると、これは、普段のフェイクニュースでも同じ事だ。
 その真偽を自分で検証する力を持っていなければ、一寸したフェイクニュースに、無抵抗に、ごく簡単に騙されてしまうと言う事である。
 フェイクニュースなんて、そんなものに、騙されることは有り得ない、と、私は、楽観的に、傲慢に構えていたが、現実は、そうで無かったのだ。
 偶に、新聞に電子工学関係、無線関係の記事が掲載されて、その誤りに気付いた事が、今までに、何度か、あった。
 私は、気付く事が出来たが、多くの人は、電子工学の知識を持っていない人は、気付かず、記事をそのまま、信じ込んだ筈である。
 ところが、経済関係の記事の誤りは、私には、指摘する能力は無いから、新聞に書いてある事を、そのまま信じるしか無い。  
 その経済ニュースが、もし、フェイクであれば、私は、見事に騙される訳である。
 これは、実に、困った事である。
 さて、全ての事を知ってる人は、この世に居ないから、どんな人も、余程、気をつけていても、知らない分野では、騙される事になる。
 ニュースの専門家などは、多数の新聞、多数の情報源を、常に、比較して、その真偽を判定しているらしいが、それでも、的確な判断は難しいようだ。
 その道の専門家が、その程度なのだから、我々素人は、殆ど手段が無い。
 まあ、口惜しいが、余り、うまい話には、乗らない、と言うのが、精々の防御手段だろう。 
 トランブ大統領は、新聞、テレビなどの主要メディアと、史上、初めて対決した大統領と言われているが、このメデイアが流す、フェイクニュースに、何処まで、彼は対抗出来るだろうか。
 大統領が勝つか、今までの無冠の帝王が勝つか、アメリカの民主主義は、関ケ原を迎えたのかも知れない。
 メディが流す、フェイクニュースをアメリカ国民が、信じてしまえば、トランプ大統領は、早々と、辞任する事になるだろう。
 しかし、幸いなことに、現代は、新聞、テレビだけが、主要メディアでは無い。
 インターネット言う、強力なメディアも登場したので、これにより、国民は、真偽を判定する、有効な基盤を持ったから、そうは、簡単に、フェイクニュースに騙されないと思う。
 もっとも、そのインターネットでさえも、フェイクで溢れているのは、既に、指摘の通りである。
 さて、別のフェイクの話。
 私が自宅を新築すると、翌年の春、市から税金の通知が来た。
 例の土地と家屋の固定資産税である。   
 その通知を、何かの折、既に、退職していた父に見せた。
 その通知を、父に見せる必要はあったとは思えないのだが、とにかく、実家に持って行ったらしい。
 それで、偶然、見せたのだと思う。
 父は、その通知を見た途端、すぐに言った。
「これは、間違いだ。こんなに税金が高い事は、あり得ない」
 翌日、父は、市の税務課に連絡して、簡単に話をつけてしまった。
 そうして、私に連絡して来た。
「市の方で、間違いました、と言っていたよ。その通知は破り捨ててくれ、と。また、正しい通知を、お前の家に、郵送するとのことだ」
 父の電話を聞き終わって、私は、思わず、ゾッとしたものだ。
 その通知を、偶然、父に見せたが、見せてなかったら、どうなっていたか。
 何十年も税金を払い続けたら、税金だから、間違っていても、ほんの僅かしか、返金されない。
 父は、仕事が税金関係で、言わば、税の専門家だったから、フェイクの通知を、瞬時に、見破る事が出来たのだ。 
 もう、一人前の大人になったつもりの、私だったが、それでも、なお、父に、明確に劣る自分自身を発見した事は、ひどく残念だった。
 しかし、私には、フェイクの税金に、対抗する能力が、まるで、無かったから、どうにも出来なかったのだ。
 さて、憎むべきフェイクだが、その全てが、困るかと言えば、そうでも無い。
 例えば、電子機器でも、安い中国製のフェイク基板の方が、価格対性能で言えば、優れており、こんな場合、中国製フェイク基板は大歓迎である。
 また、絵や、掛け軸なども、私のような庶民層には、フェイクで十分。
 ところで、ダッチワイフも女性のフェイク製品と言えるが、あれも、もし、高性能の製品が出来れば、本物の女性は不要になるかも知れない。
 いや、そんな事は有り得ませんね。ない、ない。
 女性だけは、本物に勝るものは、無いでしょう、と、私は思います。
 さて、女性がフェイクなる手法を用いて、より一層、美しくなる事に、私は、反論を微塵も持っていない。
 入念に化粧する事、大賛成である。
 生きている時、美しき女性に酔えるのであれば、女性のフェイクに異論など、ある筈もない。
 でも、そのフェイクにも、一つだけ、例外がある。
 それは、整形した顔、これだけは、頂けない。
 あるテレビ局の女性アナウンサー達、その番組で、みんな同じ顔をしている。
 恐らくは、整形手術した病院が同じだったか、或いは、コンピュータで美の輪郭を計算したら、皆、同じデータとなったか、それで、ともかく、あの顔になってしまったのでしょうね。 
 でも、いくら美しくても、個性の無い美は、美ではありません。
 さて、フェイク美人、生まれつき美人、どっちでも贅沢言いませんから、神様、どうか
、括れのある、美しき女性に、是非、逢わせて下さい。  
  
<あの、女性に騙された事はありますか?>
<無くは無いよ>
<差し支えなければ、教えて下さい> 
<クラブの女でね、誕生日でも無いのに、プレゼント欲しいって、嘘ついて来た。仕方ないから、プレゼントしたよ>
<じゃあ、大損しましたね>
<いや、プレゼントしたバッグは、ヴィトンのフェイクだったから、どうと言う事、なかったよ> 


俳句


ダッチワイフ 本物よりも 具合良し

典雅なるもの

 有名な音楽プロデューサーが不倫報道で、引退するとの事。
 引退とは言っても、力士みたいに現役を退く訳で無いから、また、すぐにでも復帰は可能だろう。
 要するに、引退と言う言葉に、彼なりの決意を織り込んだ、と言う事だ。
 テレビは殆ど見ないから、よく知らないが、奥さんが病気で、もう、かなり長く療養しているとの事。
 となると、これは、無理も無い事、と言うか、当然の事かな、と思う。
 このプロデューサについては、よく知らないから、好き嫌いは無い。
 単に、「男」の立場から、考えれば、当然の事と思うだけで、彼自身を弁護している訳では無い。
 とは言え、夫の不倫事件を聞いて、彼の妻が落胆していると言うのであれば、彼のした事は、妻に悪影響を与えたのは確か。
 もしかして、病気の回復が遅れたり、重くなるかも知れない。 
 となると、模範的な男として、彼は、奥さんのために、男としての欲望を、全くゼロにして、我慢して、生き無くてはならなかったのだろうか。
 しかし、我慢して下さい、で済めば、何の問題は生じない。
 現実には、それが、我慢が出来ないから、今回のような事件が起きる訳だ。
 この辺、私としては、我慢なるものに、かなり同意出来ないなあ。
 男として、死んだ人生を送って下さい、と言う事ですよね。
 妻を死ぬほどに、熱烈に愛していて、他の女に全く興味ない、と言う男ならば、不倫も浮気もせずに、人生を送る事は出来るかも知れない。
 でも、その我慢の生活は、決して綺麗でもないし、予想以上に、もう大変ですよ。
 それを表現するに、まさに醜悪の一語が適切と思う。
 と言うのは、健康な若い男なら、1週間経てば、精液は確実に満杯となる。
 そのまま放置は出来ない。
 毎週、一人でオナニーして、放出する事になる。
 いい大人が、そんな、馬鹿げた事を一年も、してたら、彼自身が、ちょっとした精神異常や鬱病を来すかも、いや、確実に来すと思います。
 普通の健康な男子であれば、そのような忍耐は、短期間なら、ともかく、絶対的に、不可能な事象です。
 だから、我慢と言うのは、漠然とした、雰囲気だけの無責任な言葉ですね。
 それにしても、有名人だけが、不倫の度に、報道されて、かなりの社会的制裁を受けるのは、どこか、妙な気もするし、気の毒だなと思う。
 恐らく、有名人で無い人、一般の人も、沢山、不倫してる筈です。
 それと、不倫してる二人が、やってる事の内容は、有名人、一般人、そんなに変わらないと思いますよ。
 同じ事をしてるのに、社会的制裁に於いて、差があり過ぎる気がします。
 そうであるなら、何度も繰り返される有名人の不倫問題、少し、その扱い方を考えてみる必要がありそうです。
 さて、話は飛びますが、結婚しても、多くの男は、時によっては、オナニーをします。
 妻が、普通に健康な場合でも、です。
 例えば、昨日、セックスしたばかりなのに、また、どう言う訳か、ふと、妻の寝顔を見てたら、急に、また抱きたくなった。 
 或いは、食事の支度をしている、ミニスカのエプロン姿の妻を見たら、その場で、急に欲望が、激しく湧いて来た。
 こんな場合、その旨を申し出ると、大抵は、妻に拒否される確率が高いので、妻に問うのは止めて、仕方なく、自分で実行する訳です。
 これは、家庭内の問題ですが、こんな場合、イスラム教みたいに、四人妻が居たら、恐らく、悩まずに済みそうです。
 と言う事で、日本社会が、不倫不倫と騒ぐのであれば、私としては、さすがに四人は要らないけれど、三人まで妻帯出来る法律を作ったらどうでしょうか。
 そうれば、不倫問題の多くは、解決すると思います。
 まあ、三人居れば、通常の場合、もう十分だと思いますが、如何ですか。
 男と女の性的活動の様相は、明らかに違いますから、その辺の対応が社会的にもあった方が良い面もある事は否めませんね。 
 そうは言っても、単純に、男の性欲面からだけで、対応を考えるのは、適切では無いと思います。 
 でも、イスラム教で、多妻を認めているのは、砂漠地帯等、色んな要因があると思いますが、明らかに、男の活動的性欲を大いに考慮してると思います。
 前にも書きましたが、イスラム教は、女に、ブルカを頭から全身に被せて、肌が見えない様にしました。
 それは、日常生活で、不要な性的刺激を、男が女から受けない様にするには、最適な措置でした。
 それと、多妻を認めたイスラム教。
 何か、そこに、男の論理が、凜と確立してる感じがします。
 いえ、100%、賛成する訳ではありませんよ。
 要するに、男の性欲は、かなり強いと言う事実は、歴然とありますので、この点を失念しない様にする事は、家庭内であれ、社会であれ、どの場面でも、大事なことです。
 生身の人間、綺麗事だけでは済まない部分がある訳です。
 さて、具体的な場合を考えてみましょう。
 例えば、妻が病気になり、しかも、長期療養することになった。
 こんな場合、夫婦は、どう対応したらよいのか。
 夫が65歳以上なら、何とか我慢出来ると思いますので、まあ、死ぬ気で我慢してもらいましょう。
 因みに、TENGAは評判が良いようですので、それで我慢しましょう。 
 はい、それでお終い。
 さて、まだ若い場合、到底、性的欲望を我慢出来ない場合は、どうするか。
 要するに、これが最大の問題、今回の音楽プロデューサーの場合です。
 これはね、言い難いけど、女の方が気を利かすのが、最善の事と思います。   
 もし、夫への愛情が、少しでもあったら、「それなりの事」を言うべきです。
 なかなか勇気の要ることかも知れませんが、そうする事が、一番賢い方策だと思うのです。
 そうせずに、放置したら、どうなるのか。
 将来起きる、個々の予測は難しいですが、今回の音楽プロデューサーの様な場合も、容易に予測される事と思います。
 ところで、世に、草食男性なるフレーズがあります。
 これは、真っ赤かな、嘘ですから、信用しないで下さい。
 普通の健康男性であれば、そんな男は、この世に、存在しません。
 草食男性、推測するに、最近の若い男は、性欲の無い我が儘女に合わせて、如何にも性欲が無い振りをしてるんだと思います。    
 そんな男の態度を誤解して、最近の男は性欲が無いみたい、と思ったのでしょう。
 この言葉を世に広めた、某女性評論家は、男の事を、何も、ご存知なかったと思われます。
 若い男は、性欲が無い振りをするために、密かに、妻に内緒で、巷の風俗店に通って性欲を解消します。
 それで、妻の前では、淡々と無性欲を演じます。
 重ねて言いますが、健康な男は、決して、草食ではありません。
 さて、今回の音楽プロデューサーのような事例、妻が病気になった場合に、世の、多くの男性も、今後、遭遇する事と思います。
 その場合、夫婦、双方で、是非とも、よく考えて、適切な対応をしたいものです。


<あの、上州無線さんは、三人妻で良いんですか?>
<うん、三人で良いよ。後は、愛人が10人居るから、十分、間に合うからさ>
<嘘でしょう?>
<パソコンの中に、写真の愛人が10人と言う事だよ>


俳句


人間は 闇深きこと 底は無し


91歳のマリリン

 それは確か、小学校の3年生位の頃だった。
 学校帰り、道草をしながら、麦畑に囲まれた小道を歩いている時だった。
 前日見た、マリリンの写真が綺麗だったから、私は、それを友達に話してみたくなった。
「あのさ、マリリン・モンローって、知ってるかい?」
「なに、それ」
「アメリカの女優でね、とても綺麗な人だよ」
「ふーん、あっ、あそこにヒバリが降りたよ。行ってみよう」
 友達は、マリリンに全く関心がなかった。
 私の問いに答える事無く、ヒバリの降りて場所に向かって走り出した。
 無視された私は、不愉快で、ヒバリの所には行かなかった。
 暫くして、友達は、戻って来たが、ヒバリの巣は、かなり広い麦畑だったから、見つからなかった。
 この記憶が、私にとって、一番古い、マリリンの記憶である。
 マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)は、1926年6月1日生まれだから、仮に、あの時、私が9歳だとすると、彼女は28歳である。
 もう、すっかり成熟した女性である。
 そんな成熟した女性に、まだ、ほんの子どもであった私が、どうして、マリリンを好きになったのか、今考えると、相当に不思議ではある。
 雑誌で見るマリリンには、ハリウッドの他の金髪女優と違って、とても親しみと優しさを感じた。
 美人女優と言う事なら、他にも、エリザベス・テーラーとか、他にも居たが、どうも、マリリンみたいな親しみを覚える事は無かった。
 それと、マリリンには、他にも、沢山のイメージを感じる。
 例えば、近所の、親切な、お姉さんと言う、イメージで、声を掛ければ、すぐ一緒に遊んでくれる女だ。
 かと思うと、色気全開して、すっかり妖艶な女になって、男を狂わせる感じになる。
 または、一人で佇んでいる写真からは、相当に、孤独で知的な女を連想する。
 モンローの瞳は、女優らしさが無く、恵まれなかった孤独の人生を、そのまま映している。
 スクリーンでは、金髪の馬鹿女を演じていたが、彼女の目を見る限りでは、馬鹿女とは無縁の存在だった。
 さて、恵まれなかった生い立ちを知ると、ひどく同情したくなるが、その不幸せが、また、あのマリリンを作ったのかも知れない。
 普通の家庭に生まれていたら、もしかすると、マリリン・モンローは、誕生しなかったのかも知れない。
 私が高校生位になると、もうマリリンは、単なる憧れでは無くなったのだが、それでも、不思議な事に、マリリンを性的な対象と感じた事は無い。
 これは、小さい頃に感じた、マリリンに対する印象、刷り込みが、不動のものとなっていたからだと思う。
 ずば抜けて妖艶な女の面も有していたが、私には、綺麗なお姉さん、母性的な優しさ、知的な大人の女、これらの印象が、常に優位を占めて、それは、もう変わる事は無かったらしい。
 だから、マリリンの写真で興奮するな事は無かった。
 高校生位の男は、人生で一番抑制が苦しい時期だが、その、いざと言う時に使ったのは、他の女の写真ばかりである。
 さて、私が、高校三年生の11月23日、ケネディ大統領が暗殺された。
 それ以後、ジョン・ケネディとモンローの愛人関係が知られる事になった。
 弟のロバートとも関係していたと言うから、私は、ひどく落胆したものだ。
 でも、こんな場合、憎むのは、勿論、モンローの方では無い。
 ケネディ兄弟に、私の、強い憎しみは、向けられた。  
 だから、今以て、ケネディ大統領への敬愛の念は、針穴ほどにも無い。
 まあ、ケネディ兄弟の気持ちは、よく分かる。
 マリリンを見れば、男なら、誰だって、抱きたくなる事は間違いない。
 でも、現職の大統領と、司法長官の立場を考えたら、そこで、立ち止まるべきだった。
 もしかしたら、後で噂された様に、この件が、マフィアによる、二人の暗殺に繋がった
のかも知れない。
 その推定が当たってる確率は、相当に高いと思う。
 憎まれ口を叩けば、マリリンを抱いた以上、死んでも悔いは無かったのかも知れないが。   
 さて、ジョン・ケネディの暗殺の前年、1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドで、マリリンが寝室で全裸のまま、死亡している所を発見された。36歳。
 監察医の所見は、自殺である。
 でも、自殺するのに、全裸になる必要があるのか、甚だ、単純な疑問であるが、感じない訳に行かない。
 自分の死後の事を考えれば、服をきちんと着たまま、自殺するのが自然では無いか。
 日本の自殺でも、女性は、足を縛り、それから入水している位だ。
 死後、股が開くのを恥じたものだ。
 それを、選りに選って、みずから全裸になって自殺とは、到底、理解出来ない行動である。
 あれから、もう何十年過ぎてしまったが、ケネディ暗殺もモンローの自殺も、沢山の疑義が俎上に上げられたにも関わらず、歴史は、捜査当局の判定を、そのまま認めている。
 即ち、単独犯であり、自殺である。
 さて、36歳で亡くなった、マリリンは、永遠に若いままである。
 若いままなのは、ファンとしては、良いけれど、やはり、それなりに長生きして、年齢を重ねた、マリリンも見たかった。
 病気や事故で死ぬのは、仕方ないが、そうで無ければ、生きて生きて、生き抜く事で、人生には、また、違う世界が見えて来るからだ。
 生きる事に悩んでいた、マリリンも、もし、生きていたら、また、新しい世界を見て、生きる喜びを感じたと思う。
 今、私の書斎には、マリリンの、30歳頃の写真だと思うが、古い写真が二枚、西の壁に掲げてある。
 お姉さんのマリリン・モンロー、生きていたら、今年は、91歳である。
 毎日、書斎に入ると、チラッとマリリンを眺め、そうして、私の一日が始まる。


<そんなにマリリンが好きなのに、ピチピチギャルも好きなんですか?>
<次元が違うからさ。マリリンは憧れ、ギャルは現実>
<あの、化粧してない時のマリリンなんて、つまらない、タダの女ですよ> 
<化粧して美しくなるのなら、女性は、沢山、化粧した方が良いね。化粧した女も、立派な現実なんだよ>
<老妻さんも化粧してますか?>
<毎朝、熱心にしてるけど、最近は、しても、殆ど変化は無いね。じゃ、これで失礼するよ>




俳句


マリリンも 遠き昔に なりにけり





この世とは

 ボクシングは好きで、以前は、モハメッド・アリなどの試合、その他を、よく見ました。
 ただ殴り合うだけのボクシングは、一見、如何にも粗野で乱暴に見えますが、実際は、相当に、精神的依存度が高い格闘技です。
 即ち、単なる殴り合いでは無くて、綿密な計算をしながら、戦う競技だと言えます。
 この辺に、何とも言えない魅力を感じるのです。 
 それと、もうひとつ、ボクシングが好きな理由は、多くのボクサーが、知的であり、楽天的なキャラの持ち主が多いと言う事です。
 最近の、村田諒太選手も、快活な性格で、とても好感が持てます。
 この顕著な特性は、ボクシングが西洋発祥のスポーツだからでしょうか。
 対して、日本の相撲や柔道は、選手の性格が暗いので、よい印象はありません。
 この辺は、何とかしてもらいたいものと、個人的には思って居ます。
 さて、ボクシングの映画で、有名なものとして、「ロッキー」があります。
 ボクシングを扱った映画なので、興味を持って、見ましたが、実際には、ロッキーとエイドリアンの恋の物語でした。
 その一場面は、以下の様になってます。
------------------------------------ ADRIAN :We'll get by.
          何とかなるわ
ROCKY : That's just it. I don't want just get by the hard way , you know? I want you to have good things. I want the kid to have good thigs.                  
    そこだよ、貧乏暮らしは厭だ。君と子どもに良い暮らしをさせたい。
ADRIAN : We'll have them.
    その内、そうなるわ
ROCKY : I just think we need them,now,don't you?
    今すぐ、そうなりたいんだ
ADRIAN : Oh,Rocky ,please... you don't have to prove anything.
    お願い、無理して何かしないで
ROCKY : It's all I know,Adrian.
    俺が出来るのはボクシングだけなんだ
ADRIAN : I don't want you to do it.
     でも、ボクシングの試合は止めて
------------------------------------
 強敵アポロと試合して、勝って、裕福な生活をしたいロッキーです。
 それは、勿論、妻エイドリアンと産まれる子供のためです。
 でも、ボクシングは、負けて負傷する事もありますから、エイドリアンは、ひどく心配し、反対しています。
 しかし、此処で、妻エイドリアンの言う様に、試合を止めたら、ロッキーの人生、男としての人生は、それで終わりです。
 男は、家族のために、命を掛けるものと、それは、石器時代の大昔から、決まっていた事です。
 原始時代、家族を守るために、ライオンやクマなど、害獣と戦って、命を落とした男達は、恐らく、数え切れないほど、沢山、居た事と思われます。
 でも、例え、不幸にして死んでも、家族を守る意志は示された訳で、男達に、後悔は無かったと思います。
 さて、見る前の予想と違い、ボクシングは脇役でしたが、若い男女の物語として、なかなかの名作でした。
 ところで、ずっと前に、「アラビアのロレンス」と言う、映画を見た事があります。 
 中東地域に展開された、砂漠の戦争を扱った映画です。
 あの頃は、まだ、街に椅子席のある、大きな映画館があって、確か、70ミリ方式と言う、大画面で見たと思います。
 で、それを見終わった時、「あれ、この映画、そう言えば、女が一人も出て来なかったぞ」と言う、奇妙な印象を持った事を覚えています。
 まあ、戦争映画ですから、群衆などの場面は、当然、あった訳ですから、その中に、女性は居たと思うのですが、画面の中で、はっきりと女性の姿を捉えた事は無かったと記憶してます。
 そんな映画は、あのロレンスだけです。
 その後、沢山の映画を見ましたが、どんな映画でも、男と女は必ず、登場しました。
 それは、男と女の人生を通して、人間の本質に迫ると言う、不可欠の構造を、映画、小説が保有して居るからだと思います。
 渡辺淳一氏も、「小説は、男女の情事を扱うものだ」と、論破しています。
 事実、彼の小説は、野口英世の伝記以外、全て、男女の物語です。
 だから、他の作家の様に、歴史小説とかは、書かなかったのです。
 でも、晩年は、もうテーマが枯渇したのか、多少、歴史に題材を求めたものもありました。
 いや、作家の晩年は、どの作家にしても、もう論じるに値しません。   
 老兵は消えて行くのが、自然かなと思います。
 さて、「風と共に去りぬ」と言う、南北戦争をテーマにした小説があります。
 不朽の名作ですが、これも、戦争映画では無くて、要するに、恋愛物語です。
 確かに、南北戦争の場面は沢山出て来ますが、それは、一寸した息抜きであり、敢えて言えば、レストランで出される、コップ一杯の水と等しいものです。
 今更、煎じ詰めなくても、スカーレットとレットの、正しく、壮大な恋愛物語です。 
 とは言え、南北戦争の場面が、全く無かったしたら、この長い小説は、また、退屈極まりないものになっていた事は、言うまでもありません。
 即ち、読者も、恋愛の場面だけでは飽きてしまったと思います。
 小説と言うのは、作家が、読者を飽きさせない様に、何時までも、夢の世界に浸れる様に、巧妙な仕掛けを、彼方此方に施して、構築されていると言う事ですね。
 即ち、どの位、読者を騙せるか、それが、作家の腕前と言う事かも知れません。
 さて、最近、本が、小説が、あまり売れなくなって、本屋さんは大変のようです。
 我が街の本屋も、以前は沢山ありましたが、今は、殆ど潰れてしまいました。
 よく学校帰りに、街角の本屋に寄ったものでしたが、今は、もう大きな本屋しか、残っていません。
 もう大分前から、出版業界は、凋落の一途を辿ってますね。
 夏目漱石や松本清張みたいな作家が登場しないと、この低落傾向に歯止めが掛かる事は無いでしょう。
 待たれるのは、言わば、作家の藤井四段ですね。 
 いや、著名な作家の登場だけでは、出版業界の不況改善は、明らかに不十分です。
 その対策として、まずは、本の価格を、自由価格にして、本屋が自由競争出来る様にする事が、不可欠だと思います。
 凡そ、資本主義社会にあって、価格競争が無いのは、不公平、不合理と言うものです。
 話は、ズレますが、それは開業医も同じです。開業医も自由競争させるべきです。
 呆れるほどの優遇税制と診療費無競争に支えられている開業医は、医療費沸騰の、最大の元凶、性悪のガンです。
 さて、不況の出版界ですが、私の個人的希望としては、小説では、美しく、魅力ある女性が、スカーレット・オハラみたいな、主人公の小説、是非、読みたいです。 
 それと、映画であれば、マリリン・モンローみたいな女優さん、是非、出て来て欲しいです。
 因みに、マリリン・モンローは、人類史上、最高の女性と言うのが、私の評価です。 
 


俳句


この世とは 男と女 それだけだ



荷風さんの傘

 毎日、昼ご飯を済ませると、午後、散歩に出掛けるのが、私の習慣である。
 とは言え、時間は定まっては居ない。
 早ければ、昼ご飯を食べて、すぐに行く事もある。
 逆に、用事で遅くなる時は、五時位からでも散歩に出掛ける事もある。但し、その場合、墓地公園の散歩だけは、避ける。
 と言うのは、人影の絶えた、夕暮れの墓地公園は、散歩していても、どことなく不安で、少しも楽しくないからだ。
 お化けとか、幽霊は、この世に存在しないと、一応、確信はしているが、それでも分からない。
 もしかすると、出て来るかも知れない。
 何時だったか、春先に墓地公園を散歩していた。
 何かで遅くなり、もう夕闇近くで、公園には誰も居なかった。
 となると、私の脚も、自然と、いつもよりは、ずっと速いテンポになった。 
 歩き出して、すぐに、こんな時間に来なきゃあ良かった、と後悔したものだ。
 墓地公園は、その名の通り、広大な公園内に、墓地が彼方此方に点在している。
 その一画を通っていたら、急に、後ろで、大きな足音が聞こえた。
 思わず、振り向き、足音の方向を見つめて、臨戦態勢を取った。
 相手が人間なら、どんな奴でも、引き分け位は出来るだろう。少なくとも、負ける事は無い。でも、幽霊なら、すぐに逃げよう、と思った。
 とにかく、幽霊が相手では、得意の体落としも、十字固めも効かないからだ。
 じっと身構えていると、墓石の辺りから、また、足音がした。
 すぐに、足音は、強い春の風が、数枚重なっている卒塔婆を揺り動かしたものと、分かった。
 そんな事位にと思うが、一人で歩いていて、もう、内心、何処か怯えていたから、ちょっとした卒塔婆の音に驚かされてしまったのだ。
 これが、もし、数人で散歩していたなら、気持ちに余裕があるから、誰も喫驚する事は無かっただろう。
 いや、あの時は、本当に怖かった。
 さて、散歩の時、私は、必ず、大きな95センチの雨傘を携行する事にしている。
 これは、長年、散歩をして来た体験からの所産であって、決して、敬愛する、永井荷風さんの真似では無い。
 因みに、荷風さんの、もう一つのトレードマーク、下駄の方は、履かない。
 下駄は、学生時代まで。
 それに、今は、もう、下駄は見ないし、あっても、相当、高価格でしょうね。
 さて、傘携行の理由だが、ある時、散歩していたら、向こうから、大きな犬がやって来た。
 犬の種類は知らないから、分からない。とにかく、大きめの犬だった。
 中年の婦人が、紐を持っていた。
 繋いである犬なので、安心はしたが、それでも、なるべく近寄らない様に、警戒して擦れ違った。
 ところが、質の悪い犬で、突然、私に吠え掛かって来たのだ。
 恐らく、飼い主の悪い性質が、犬にも移っていたのだと思う。
 まあ、飼い主がいるからと、多少、安心していたら、飛んでも無かった。
 すぐに私は、素早く離れたが、何と、犬は、どんどん追い掛けて来る。
 その婦人は、駄目よとか、何か叫んでいるが、本気で止める気が無い様に見えた。
 さて、逃げると、犬は追い掛けて来るもの、である。
 それは知っていたから、とうとう、立ち止まり、犬と対決した。
 唸り声を上げていたが、さすがに、私の方が身体が大きいせいか、凶悪な犬は止まり、飛びかかっては来なかった。
 恐らく、犬は、私の、がっちりした体形から、これは強い相手と知ったのだろう。
 婦人は、済みませんと頭を下げながら、綱を更に、短く握りしめた。
 私は、犬を睨み付けながら、ゆっくりと移動した。
 この間、僅か、一分位だと思うが、ひどく疲れた。
 犬は、子どもの頃、飼った事があるが、あとは、無いから、大きな犬は、やはり警戒をする。その感覚が犬にも伝わり、犬の方も緊張するのかも知れない。  
 とにかく、犬とは相性が悪いので、散歩の時、犬は困る。
 後で思ったのは、大きな犬だから、婦人の方も力不足で、振り回されてしまったのだ。
 となれば、いくら飼い主がいても、婦人の場合は、全く頼りにならないと分かった。
 以来、護身用の武器として、大きな丈夫な傘を持つ事になったのである。
 それから、傘は、大いに役に立ち、何度か、犬を撃退したものだ。
 いや、犬ばかりか、人間を威嚇、撃退した事もある。 
 ある時期、その公園に、私に懐いていた野良猫、シロが居た。
 いつもの様に、広い芝生の端で餌をやって居たら、小さな犬が、シロを目掛けて襲いかかって来た。
 シロは、サッと身を翻し、素早く、近くの大木に駆け上がった。
 飛んでも無い犬だとばかり、怒った私は、その犬を追いかけ回し、大きな傘で、何度か、コノヤローと、思いっきり、叩いた。
 小さい犬だから、少しも怖くない。
 すると、向こうから、人が猛烈な速さで、走って来るのが見えた。
 40歳位の男が、息を切らして走って来た。
「家の犬を、何で叩くんだあ!」    
 もう、私に飛びかからんばかりである。
 きっと、遠くから、彼の愛犬が、何度も傘で叩かれたのを、見ていたに違いない。
 それで、これは、一大事とばかり、お犬様の救援に駆けつけたのだろう。
 いい大人が二人、芝生で睨み合いとなった。
「あのな、この公園では、犬の放し飼いは違反なんだぞ」
「何も、あんなに叩かなくても良いだろう」
「猫を襲ったから、向こうに行けと、そっと押しただけだ」
「いや、叩いてた、何度も強く叩いてたぞ」
「とにかく、繋いでおけば、良かったんだ」
「猫に餌をやるから、野良猫が増えるんだ。餌やりは駄目だろう」
「そっちの放し飼いは、ウンコをまき散らして、規則違反だ」
 論理は、メチャクチャである。まあ、喧嘩とは、そんなものだ。
 相手は、私と背は同じ位、そうは頑健に見えなかった。 
 この程度ならば、組み討ちで瞬殺、到底、私の敵では無い。
 殴り合いだと、さて、どうなるか、分からない。
 私よりは若いから、スタミナはあるだろう。
 となると、出来れば、無手勝流で行きたいものだ。 
 即ち、喧嘩に至る前に、相手を追い払う戦略である。 
 そこで、手にしていた、大きな傘を、ゆっくりと、如何にも威嚇する様に動かした。
 何時でも、この傘で、犬を叩いた様に、お前を叩くぞ、と言う意思表示である。
 こんな傘でも、目を突かれたら、相手は大怪我を負う事になる。
 相手の男は、私の意図をよく理解したのか、やがて、背を向けて、黙って立ち去った。
 今回の相手は、犬では無かったですが、大きな傘の威力は、絶大でした。
 それ以来、傘は、ますます、不可欠の携行品となりました。
 もしかすると、永井荷風さんも、質の悪い人間を叩くために、傘を持ち歩いていたのかも知れません。
 残念ながら、今となっては、その真意を確かめる術はありません。


      
俳句


芝生での 喧嘩は傘で 勝ちにけり